瀬戸内寂聴『秘花』@大江

内容
そこには花と幽玄が絡みあい解けあった濃密な夜の舞があった――。『風姿花伝』『花鏡』などの芸論や数々の能作品を著した能の大成者・世阿弥。彼が身に覚えのない咎により佐渡へ流されたのは、齢七十二の時だった。それから八十過ぎまでの歳月の中、どのように逆境を受け止め、迫り来る老いと向かい合い、そして謎の死を迎えたのか……。世阿弥、波瀾の生涯を描いた瀬戸内文学の金字塔。(本書裏表紙より)


感想
私は日本の伝統芸能に関して以前から関心があり、また講義でも耳にすることがあったので詳しく知りたいと考えていた。そんな折、家に本書があることを知り、伝統芸能の知識を得る足掛かりになるかもしれないとの思いから読み始めた。正直なところ、裏表紙に目を留めた時の印象と実際に読んだ時に受けた印象との間には少なからず差があったが、それが気にならない程に本書の世界観に引き込まれた。
この物語は老境の世阿弥が配流を言い渡された後から始まり、世阿弥の独白という形でその生涯が紐解かれる。絶世の美童として時の権力者の寵愛を受けた世阿弥は父の観阿弥と共に申楽を幽玄の芸にまで高め貴賤を問わない人気を獲得するが、その心には深い屈辱も刻みこまれていた。さらに観阿弥の死後、権力者の移り気な寵愛は世阿弥の元を離れ、養子と実子との後継問題をも抱えた中で、その栄華は崩れてゆく。……前半部を纏めるとこのようになるのだが、ここまでは史実や資料を基に描かれたものである。
後半では、世阿弥佐渡で出会った一人の女性の視点から、己の孤独と悲運を嘆いていた世阿弥が自らの運命を見定め生き抜いてゆく様が語られるのだが、ここが著者にとっての世阿弥の集大成ともいえるものだろう。
物語の中での現在と過去が実際の情景と独白を織り交ぜながら描写され、その時間軸の中に自分自身が取り込まれるような、不思議な魅力を感じる興味深い作品だった。ただし、そこは色気のある文章で名高い著者による作品なので、匂わせる程度の表現からやや露骨な際どい表現まで描かれており、べたべたとした甘さを感じさせない心理描写も相まって、色々な意味で大人向けの作品である。また、当時の習慣でもある男色がたびたび登場するので、免疫のない方にはお勧めできない。