明義 隆通『此花咲耶』

   
 私の父はかつて不動産を営んでいたが、数年前の世界的な恐慌の折、その職を失った。以来、父はコネとして利用していた土建業者の肉体労働者として働くこととなった。家から外に出れば、財産を失い、住む家を失った人間を容易に見つけられる時期に、私たちは父の貯蓄のお陰で、家を失わずには住んでいた。しかし、生活は苦しくなった。
 父が身を粉にして稼いだ金は、数ヶ月前の労働者の最低賃金の三分の一程度であった。雇用者側の言い分としては、このご時世に雇ってやってるだけでもありがたく思ってくれ、というところであっただろう。確かに、賃金を受け取れるだけでも恵まれた立場であったのは間違いない。当時、あらゆる会社がその人員を切り詰めることで、給与に割り振る金銭を縮小して生き残ろうとしていた。大規模で相当な利益を上げていた財団や財閥でさえ、その営業の規模を大幅に縮小せざるを得ない状況だったのだ。はるかに格安であるとはいえ、給与を滞りなく渡してくれていた彼らには感謝せねばなるまい。でなければ私たち一家はすぐに路頭に迷い、道ばたで飢え死にしていただろう。
 私と姉は、学校から帰るとすぐに母の内職を手伝っていた。私はあまり器用ではないので、花を折るための紙を破いてはその度に姉にお前は外で遊んでろと言われ、よく分からない部品を組み立ててはそのネジをどこかに飛ばして結局一つを不良品にしてしまったり、あまり役に立った記憶が無い。それでも私はとにかく手伝い、不器用さを改善していった。手伝いを始めて三ヶ月程経った頃には、姉と同等に手伝うことが出来るようになっていた。
 しかし、いくら働こうにも生活は良くならなかった。むしろ悪くなっていった。長引く不況によって段々と父の給料は減っていき、ついには働き始めた時の六割程度になっていた。内職で稼げる額にも限度があった。私たち一家が以前のような生活を送ることはもはや不可能であった。かつて白米がいっぱいに入った茶碗には玄米が赤ん坊の握り拳ほどしか入っておらず、汁椀には、白湯に申し訳程度に醤油が混ざったものしかなくなり、小皿には五人分のほうれん草のおひたしがこぢんまりとのっていた。魚や肉をのせていた皿は、最初の時こそ週に一回は出ていたが、やがて姿を現さなくなった。が、外の乞食達のように餓死し、その屍体が路傍に放置されることは免れていた。
 父の性格は、日を追うごとに変わっていた。失職から立ち直った時は再挑戦とでも言わんばかりに溌剌としていたが、半年経っても生活が豊かにならぬことに気が滅入ったのか、荒れていった。嘗ての父ならば言った後に頭を抱えて一晩中苦しみそうな言葉を大声で言うようになった。生来真面目だったその性格が困窮に絶えられなくなったのであろう。始めのうちこそ言った後に我に返って謝っていたが、次第にそれもなくなり、大声で罵詈雑言を叫ぶようになった。その内容も、現場や同僚、上司に対する文句から、彼らへの暴言、そしてついには母や私たちきょうだいに対しても、お前らがもっと働かないからどうのこうのだとか、売春宿にでもうっぱらってやろうかなどと、矛先を向けた。帰宅した際に酒を飲んでいると、それはいっそう激しいものとなった。母も姉も私も、父がいなければ生活出来ない身だったため、耐える他に手段はなかった。
 父が職を失っておよそ八ヶ月ごろ、季節は秋の半ばくらいだっただろうか、夕飯時になっても父が帰ってこないときがあった。
 夜は電気はおろか、蝋燭さえ勿体なかったので、八時頃には布団に入っていた。私は深夜、尿意を催して眠い目をこすって便所へ向かった。私たちが寝ていた居間から便所はそう遠くなく、廊下を挟んで向かいにあった。手探りで(とはいっても慣れたもので、躓いたりはしなかった)便所まで行き、用を足して便所を出ると、玄関の方から雷でも落ちたような音が響いた。その音と、怒鳴り声が重なっていた。何を言っていたのかは分からないが、それが父であることは何となく分かった。私は軽い夢心地から覚醒した。そして、今まで味わったことのない、今考えれば恐らく恐怖が、全身を襲った。母が父を宥めているのが聞こえたが、すぐに、怒鳴り声と、何かいやな音が聞こえた。床に人が転がる音を聞いて、殴られたか、張り倒されたのだと分かった。被害者が母であることも、直感的に理解した。私は父に見つかるまいと、居間の布団に急いで潜り込んだ。姉も、震えていた。荒れた父を止める正義感など、私たちには無かったのだ。
 彼が家族に暴力を振るった、最初の夜である。
 この日以来、父は毎日酔っぱらって帰宅し、我々に手を上げるようになった。母も姉も私も、抗う術はなかった。なじられ、殴られ、蹴られた。
 父の暴力が始まって一ヶ月ほど経って、姉が失踪した。学校から帰ってこなかった。母が自警団と警察に捜索願を出したが、時勢もあってかまともに取り合ってもらえず、私たちも自分の生活がある以上、自ら探しに行くことは難しかった。私も逃げたかったが、母を残して行く勇気はなかった。母に一緒に逃げよう、と言ったみたが、彼女はもはや私の言葉が何を意味しているのか理解していなかった。
 父の暴力は、この日を境にますます激しくなった。ひとつ標的が減った分、その不満を私たちにぶつけていた。俺が育ててやったのに逃げただと、生意気な。見つけたら縄をつけて閉じ込めてやる。と、父は毎日のように言っていた。もはや酒を飲んでいないのは睡眠の時くらいになっていた。ろれつも回らず、まっすぐに立つことも難しくなっていた。それでも、肉体労働で無理矢理に丈夫になった体は十分な凶器になり得た。
 その父は、姉の失踪から三週間ほどで死んだ。母を殴っているときに急に倒れ、そのまま意識を取り戻さなかった。私は安心した。これで痛い思いをしないで済む。平穏な生活に戻れると。それと同時に、不安もあった。父がいなくなった、このことは我が家にとって収入がほとんど零になったことを意味する。私と母の内職など、雀の涙ほどだった。私が新聞配達など働いても、二人で生活する賃金など稼げなかった。私は学校を辞め、どこかで働こうと決心した。
 そのとき、父が世話になっていた会社の社長が私の家にやってきた。父の死を聞いてやってきたのだと言う。社長は四十歳の前半だと聞いていたが、それより幾らか若く見えた。スーツを着て、革の鞄を持っていた。社長は父の死を悼んだ後、私たちにある提案を持ちかけてきた。光太郎(父の名である)さんがいなくなって、母子で暮らすには少々つらいでしょう。私がこの土地と家を買いますから、あなたたちは公営のマンションに引っ越しては如何でしょう。なに、安く買いた叩いたりはしませんよ、光太郎さんには不動産での下積み時代にお世話になった御恩がありますから。マンションの手続きもやっておきます。と、彼は金額を提示しながら言った。私にはその金額が適正かどうかは分からなかったが、彼が、なんなら他の不動産を呼んできましょうか、これより安い値しか出ないと思いますけれど、と言うので、私たちは長年住んでいた家を手放した(後になって分かったことだが、確かにこの金額は当時としては破格だった)。
 公営住宅に引っ越し、母はなんとか勤め先を見つけた。私は学校を、転校はしたが、通い続けることが出来た。

 それから十年が経った。私は中学卒業と同時に就職した。生活は決して楽なものではなかったが、人並みの暮らしは出来ていた。母もパートから正社員になることが出来た。この時世としては随分と安い賃金ではある。しかし、米と、野菜と、魚がきちんと食べられればたいしたものだろう。
そんな生活を五年ほど続けていたある日、家に一通の封筒が届いた。投函してあったわけではなく、背広をきちんと着た、あの社長を彷彿とさせる出で立ちの男が、我が家の玄関先で直接私に手渡してきたのだ。用件を聞いても、中身をお読みください、決して怪しい者では御座いません、と機械的に返されてしまった。中身は確かに手紙だけのようであったから、少々訝しんだが、とりあえず読むことにした。一般的に使われている封筒とは明らかに手触りが違っているが、私にはそれが良いのか悪いのか判断はできなかった。封筒自体には何も書かれていなかった。ちょっとした胸騒ぎを覚えたが、それはこの手紙がただの手紙ではないことに起因していたのを、何となく感じたのだろう。
 手紙には、『お話ししたいことが御座いますので、○月×日の夕食をご一緒しませんか』というようなことが、きれいな文字で書かれていた。読んでいる間、先ほどまでの不安はいつの間にか消え去り、懐かしさというか、怒りともとれるような、何か他の、言いしれぬ感情が渦巻いていた。その感情は差出人の名前を見たときに最高潮に達した。差出人の名前は『幣原 敦実』であた。名字は違うが、敦実とは、私の姉の名前である。彼女がいなくなって既に十年が過ぎているが、何故彼女から手紙が、それも夕食の誘いなどが来たのかは全く分からない。もしかしたら同名の別人ではないのか、そう思わざるを得なかった。そもそも、幣原という家系に、私の家族が関わっているわけがないのだ。
 幣原の家系はかつての華族であり、華族制廃止の後、現代では大財閥として君臨している。封筒に入っている紋を見ても、その幣原家であることに間違いはない。そのような家系と、私の、平民の家系が交わることなどまず無い。住む次元が違うのだ。偶然、同じ名前を付けたのだ。さして珍しい名前でもない、当然のことだ。
 母も、手紙を見て呆然としている。何かの間違いであろう。我が家に幣原家からの招待状など。
 だが、母の反応は違った。
「これは、敦実の字よ。ほら、そっくり」
 まさか、そんな筈はあるまい。といっても、私には姉の文字の記憶などほとんど無い。
「何かの見間違いじゃないのか。名前を見て、似たように見えてるんだ」
「いいえ、これは敦実の字だわ」
 母は涙をこぼした。姉の書いた文字が残っているかは分からないが、恐らく、生み、育てた母が言うのだから間違いない。なのに、私は何かの間違いだと言い張った。間違いだと、そうであって欲しかったのだ。それが何故なのかは、私には分からない。だが、それが姉であって欲しくなかった。
「番号が書いてあるわ。電話してみましょう」
 言って、母がダイヤルを回した。少しして母が話し始めた。私には会話が掴めなかった。母が電話している間も、私はこの、胸を何かが這い回るような、異常な気持ち悪さに見舞われていた。
「私たちで合ってるそうよ。敦実が出たわけではなかったけれど」
 受話器を置いた母に落ち込んでる様子は見えなかった。
「万が一のことも考えて、落ち着いて考えよう」
 日時と場所も指定してあった。私の家からさほど遠くない、ちょっとしたビル街にある駅前のロータリーだった。指定された日は、ちょうど来週だった。
 何か宗教などの勧誘ならば、玄関口で、しつこいくらいに勧めてくるものである。日時、場所指定で勧誘など、聞いたこともない。もちろん、そういった手口がないとも言い切れない。
 ただしかし、私にはこの手紙の主が姉であることを否定することは出来なかった。それは、例えばこれが詐欺であっても、詐欺師が幣原の名を騙ることと、私たちを騙すことによって手に入る利益とのバランスがあまりにも悪いという合理的な判断もあった。詐欺には、もっと知られていない名前を使うものだ。あとは私の、何となく、という感覚的なものだった。
 手紙を読んだときに感じた懐かしさは、その文字が、嘗て私が見ていた姉の文字であったことが原因なのだろう。だが、あまりにも一方的な申し出に私が苛ついていたことも確かだ。勝手にいなくなったくせに呼び付けるなど。それも、幣原という名字を持って。
 私はその真意を確かめたいと思った。同時に、会いたくない、とも思った。父の暴力から私と母を置いて逃げた姉に会って、何を言うか分からない。本当にこれが姉からのもので、幣原の令嬢に暴言を吐いたとなれば、社会的に抹殺されてもおかしくは無い。いや、考え過ぎなのかもしれない。会って、喜ぶべきではないのか。嘗て辛酸を共にした者として。それ以上に、家族として。
 私の中のよく分からない感情は、日増しに大きくなっていった。約束の日が近づくにつれて、私の頭の中の混乱は、その度を増していった。
 母は母で落ち着かない様子だった。私が落ち着かないのとは、明白に違う落ち着きの無さだった。手紙の主が自分の娘であることに、一片の疑いも持っていないようだった。その割り切り方が、私は羨ましかった。会えるなら会えると信じている。詐欺とか、そういう悪いことであっても、彼女は何の後悔もしないだろう。彼女としては、ただ、いなくなった娘に会えること、それだけが嬉しいのである。彼女がいなくなったことに僻んでいる私とは違っていた。
 幣原であるならば、私たちにもっと早く連絡を取ってくれれば良かったであろうに。そうすれば母も私もこんな貧相な生活はせずに済んだだろう。元華族のような可憐な暮らしなんぞは要らないから、まだ父が溌剌としていた時代の、四人で囲んだ食卓がまた欲しかった。もう父はいないが、三人でも、決して悲しくは無い。幣原ではなく、私たちの家族として戻って来てはくれまいか。
 そう思おうにも、彼女への怒りは収まらなかった。抑制できぬ怒りではない。同じ境遇で、逃げ出したいと思っていたのは私も同じだったからだ。逃げた彼女を責めることは出来ない。だが、私たちを置いて逃げたことについては、許せることではない。私が彼女に会いたいのは、その怒りのためであるかもしれない。私は、彼女に会う決意をした。

 約束の日となった。手紙が来て以来、母はずっと何を着るかを考えていた。私は中学の卒業式と、入社式、成人式の日にしか袖を通さなかったスーツを着た。母もスーツだった。普段はほとんどしない化粧に時間を掛けていることが、私にとっては不愉快だった。
 毎日見ている駅が、心なしか大きく見えた気がした。ロータリーに入ってくる車、そのどれもに目を配った。一台入ってくるごとに、私の足の震えは大きくなった。
 迎えは、至って普通の車でやってきた。私には車の区別など出来ないが、特段に違う雰囲気が漂っていたとか、そういうわけでもなかった。それは、運転手しか乗っていなかったからだろう。幣原の家の者か、あるいは姉でも乗っていれば雰囲気は違ったのかもしれない。私は、中学の卒業式で学校にやってきた知事を思い出した。彼は世間で何かと発言が取り上げられる有名人だった。その分、やはり座っているだけで他の人間との存在とに差を感じた。ただの有名人でさえそうだったのだ。幣原の人間ならば、並大抵の存在感ではないに違いない。私がそれに耐えられるかどうか、不安がよぎった。
「私は長年幣原家のお抱え運転手やっておりますけどね」
 運転手が話し始めた。
「一般の、あなたたちみたいなのを乗せるのは初めてなんです。普段はお偉いさん方を、リムジンなんぞに乗せて走ってるんで」
 幣原家お抱えなら当然のことだろう。それとも、私と母が庶民以下であることを嘲っているのか。確かにまともな家庭では無い。それくらい言われ慣れている。
「お嬢様がね、私に直接頼みに来たんですよ。滅多に無いことでしてね」
 その言葉に、私は母より早く反応した。
「お嬢様、というのは敦実さんのことでしょうか」
 そうですよ、と運転手は答えた。
 姉が、『お嬢様』と呼ばれる立場になっている。そうであろうとは思っていたが、それがほぼ事実であることに間違いがなくなった。このことは私の心を深く抉った。私はあの父から逃れられず、貧窮からも逃れられないと言うのに。今のような、ある程度の生活が出来るようになるまで散々に苦労したというのに。いなくなった姉は一気に解放されたというのか。
 姉がどうして幣原家の一員になったのか、この時の私にはもはや些末なことだった。私の怒りは姉の、その待遇だけに向いていた。それだけに、私は理性的にならねばと自制した。胸の奥には、確信してしまった事実対しての憤怒が渦巻いていた。誰にも悟られてはならぬ。鬼がそう囁いた。
 
「着きましたよ」
 車を降りた私たちは、広い庭を案内された。日本風の庭は、西洋風の建物に合っているとは言えなかった。時刻は五時を回っており、辺りはやや暗くなっていた。
 館の中は静かだった。階段を上り、しばらく歩いてから広い部屋の前に着いた。母の部屋だという。その向かいが私の部屋だと言われた。それぞれ部屋に入り、一休みすることとなった。一時間ほどで食事へ案内する準備が出来るという。
 部屋一つが、私の住んでいる部屋より広かった。ベッドがあり、机があり、風呂も、異様に大きいクローゼットすらあった。私はシャワーを浴びることにした。
 湯の温度を高くし、熱いシャワーを浴びた。熱は私の憤怒を和らげてくれた。折角会えるのだから、何も怒ることは無いではないか。ゆっくり事情を聞けば、納得できるのではないか。それに、自分も逃げだそうとしたではないか。つらかったら逃げるのは悪いことではないだろう。私は自分の怒りを恥じた。何故、あそこまで実のきょうだいに怒ることが出来たのか。境遇は同じだったではないか。
 いや、境遇が同じだったからこそ私は怒るべきではないのか。鬼が囁いた。十五年、私は母とともに苦労してきたのだ。十五年、裕福な待遇を得た彼女とわかり合えるハズが無い。わかり合えるのは子供の頃のつらさだけで、それ以外に通じるものはない。私は耐えて、姉は逃げた。その違いは大きかった。 浴びているシャワーを見て、私の怒りは更に強くなった。風呂場を出て、ローブに身を包んでもそれが弱くなることは無かった。時間の直前になってスーツに着替え直したときですら、私の怒りは収まっていなかった。この部屋全てが、私の怒りの対象だったことに、部屋を出るときに気付いた。
 
 食卓には四つの席が用意されていた。三つは私と、母と、姉の分であることに間違いはない。残りは恐らく、父の分だろう。上座に姉が座っていた。すっかり様子は変わってしまったが、彼女が姉であることに疑いは持たなかった。感じるであろうと思った威圧感も、感じなかった。
「お久しぶりです。母さん、優実」
 立ち上がって、姉が挨拶をした。
「父さんは、いらっしゃらないのかしら」
 姉は言いづらそうにしていた。母の代わりに私が頷いた。
「十五年前に、この世を去りました」
 姉は少し沈黙して、そう、とだけ呟いた。
「どうぞ、お座りになって」
 母と私はいわれるがままに席に着いた。母は何かを言おうとしていたが、言葉になっていなかった。何回か口をぱくぱくさせて、遂には泣き出してしまった。
「私、母さんに会えて嬉しいです。ごめんなさい、母さん」
 姉は泣く母の頭を抱きながら言った。
「優実にも苦労を掛けてしまいました。たくさんお話をしましょう」
 私には泣くつもりなど毛頭無かった。我慢しているわけでは無かった。
 泣き止んだ母から離れて、姉は席に戻った。私は、私の感情がなるべく出ないように話を切り出した。
「何故、姉さんは幣原家にいるのですか」
 姉の顔がこわばった。何か、隠し事をしているのだろうか。邪推せず、聞きださねばなるまい。
「何から話したらよいのか、未だに整理が出来ていません。あとで、決心がついたらお話しします」
「無理にとは言いません。何か、私たち家族には言いにくい事情があるなら、私たちに対しても秘密で構いません」
「ありがとう、優実。そうね、今日は泊まっていくといいわ。遅くに帰っても、よろしくないでしょう」
 私にとってその提案はありがたかった。ゆっくり、姉と話が出来る。
「ありがとう、敦実。今夜は親子でゆっくりお話ししましょう」
 喋れるようになった母が、舌をもつれさせながら言った。
「感謝します、姉さん。何から何までお世話になってしまって」
 姉は大きく頷いて、後ろに立っていた給仕に一言二言何か伝えた。あの部屋は、元々私たちを泊める目的だったのだろう。
 その後はなんと言うこともなく時間が過ぎた。他愛のない、無難な話題ばかりだった。私は食い慣れぬ料理に舌が参ってしまった。喋っている間に怒りが飛び出さないよう、なるべく笑顔でいたつもりだ。 
 デザートまで終わり、私たちはいったん自分の部屋へ戻った。ベッドの上に真新しいシャツと下着、スラックスが置いてあった。服の上には『十時半過ぎに私の部屋へ』と書いた紙と、一部屋だけ丸がついている館の地図が置いてあった。夜、姉の部屋で話そうと言うことらしかった。
 風呂に入りながら今後のことを考えようと思ったが、鬼がそれをさせなかった。私がやることはただ一つであると決めつけている鬼が、私の心の憤怒を掻き回していた。いくら考えようとしても、それしか思い浮かばなかった。鬼がいなかったら別の結論を出していたのか、その自信は無い。姉が私たちの元を去ってから、私の心にはもう鬼が住み着いていたのだ。鬼のせいで私が怒っているのではない。私が怒ったから、鬼が住み着いたのだ。原因は父ではない。姉である。彼女が逃げ出したから、私は怒って、鬼を住み着かせてしまったのだ。鬼は私の怒りに薪をくべるだけだ。元々火を付けたのは姉だ。もはやこれ以上考えることは無い。暴力を振るった父も、私と逃げようとしなかった母も、鬼とは、私の怒りとは直接の関係は無い。逃げ出し、恵まれた姉こそが私の怒りに火を付けたのだ。年月がそこへ油を注いだ。鬼は囃すだけだ。またとないであろう機会に、鬼は暴れている。これ以上、私に何を我慢しろと言うのか。一切合切をただ生きるためだけに費やした私に、これ以上我慢することは出来ない。私は、私の中の鬼が嗤うのを聞いた。
 そうしながら、私は母と、案内人とともに姉の部屋へ向かった。姉の部屋は私たちが使っている部屋より数段広かった。大きな本棚には本が詰まっていた。何か小難しい本がたくさんあるようだったが、私には興味はなかった。
 使用人が出て行き、部屋の中は私と、姉と、母の三人にだけなった。姉はベッドに座り、母は椅子に座り、私は床に座った。床はカーペット敷きだったので、問題は無かった。
「私だけ逃げ出して、このようなことになっていることは大変申し訳無いと思っています」
 姉が俯いて言った。
「いえ、あの状態で逃げ出すなというのは、親として言えませんでした。出来れば、優実も連れて行って欲しかったのだけれど」
「私には母さんを放って行くことはできなかった。姉さんがいなくなったのは悲しかったけれど、姉さんがどこかで幸せになっていればそれで良いと、私は思ったよ」
 鬼が福の仮面を被っているようだった。姉は深く、頭を下げて謝った。
「それで、どうして姉さんは幣原家にいるのか、教えて欲しいの。それが一番、気になっていた」
 やはり、姉は言葉に詰まった。それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私の中学校にね、幣原家の方々がいらしたのよ。なんでも、ご子息が入りたいとか言っていたらしくて」
 確かに、姉の通っていた中学は公立の割に、かなり成績が良かった。
「私たちは懇切丁寧に案内したわ。もちろん、私も案内に参加したの。ここでお付き合いが出来れば、悪いことは何にもないって。庶民の卑しい考えだったのだけれど、みんなそんな考えしか持っていなかったわ」
 「そんな話、私は聞いていませんよ」
「先生から、口外無用と言われていたの。ごめんなさい」
 それなら仕方ない、と言うようなことを母が言った。姉は、話を続けた。
「私が案内についている時にね、偶然、父に殴られた跡が見つかってしまったの。私自身、気付かない場所のね。転んだ、とかぶつけた、とか言うにはかなり不自然な場所だったから、父にぶたれた、って言ったの。多分、同情してもらいたかったんでしょうね。このことで印象づけが出来れば、って思っていたのかもしれないわ。ところが、それを聞いた幣原のお父様が、私の家のことを調べてね。私のことを保護しよう、って言ってきたの。優実と母さんは保護できないって言われたのよ。幣原家と全く関係のない人間を、そう何人も受け入れられない、って」
 姉は一息ついて、涙目で語った。
「決して優実と母さんを見捨てようとしたわけじゃないの。私が、もう限界だったの。だから、私は幣原家に入ることになったのよ。あなたたちを呼ぼうと思った頃には、もう行方が分からなくて。ごめんなさい、時間がかかって」
 私は姉の肩を抱いた。その体は震えていた。私の体の震えとは、違う物だろう。
「姉さんは悪くないわ。誰だって、あそこからは逃げ出したくなるはずよ」
 姉は顔を上げて、私を見た。
「置いていくつもりじゃなかったの、本当よ」
「大丈夫、分かってるわ。姉さんはそんな人じゃない。私の姉さんだもの。心配しないで、姉さんを疑ってなんか、いないわ」
 姉は泣きついてきた。母も、姉の隣に座って肩を抱いていた。
 私の鬼は既に仮面を脱いでいた。姉の、さっきの話が本当ならば、私はそうせねばならない。幣原家の事情なぞ、問題ではない。彼女が父から逃げ出した。私たちの前から消えたことが、私に何をもたらしたのか。
「だけどね、姉さん」
 姉の体を離した。姉と母は私を見た。その目が、何よりも気持ち悪かった。どす黒い気持ちが私の中ではじけた。
「逃げたあなたを許すことなんて、出来るはずが無いじゃない。誰のせいでもないのだけれど、私にはそれが許せないわ。あなたにも、私の苦しみを味わってもらいたいの」
 姉の顔色が変わった。
「それならなんでもするわ。第一、今日招待したのだって、あなたたちを幣原家に迎えようと思ったからなの」
「それは補償よ。私があなたに求めてるのは、同じ苦しみを味わうことだわ。何かを失ってもらいたいの」
 私は姉に自分の体を見せた。姉がいなくなってから非道くなった彼の暴力は、私と母の体に消えない傷跡を残していた。これが、姉と私との大きな違いだった。境遇は同じではなかった。姉も体を見せたが、彼女の体に残ってる傷は、うっすらとしたものだった。
 私が失ったのは、人として持っていて当然の、きょうだいを愛する心だった。私は、姉が私の憎悪のもとで無くせば、それを持たなくなると考えていた。だから、私は結論を出した。
「さようなら、姉さん。二度と顔を見たくなかったわ」
 私は、忍ばせておいたナイフで、自分の首を突き刺した。
 鬼は私を嗤って、そうだ、と肯定した。私の中の憎悪はこれで消える。代わりに、姉の心には私の憎悪が残り、きょうだいとしての愛は消えるだろう。愛が、悲哀になるかもしれない。それは私にとってどうでもいいことだった。彼女から私への愛を消せれば、それで良かったのだ。
 
 私の遺骨は、木の下に埋められた。それがどういう意図なのか、考えるつもりは無い。ただ、この木に毎年花を咲かせる。そうやって彼女から私の憎悪を逃がさない。ただその為に、私は花を咲かせている。 

                             終