来八「東の僻地に住む友へ」

拝啓。
 久しぶり。山田秀平だ。覚えているか。
 季節が移り変わるこの時期、体調を崩しやすいと聞くが、お元気か。
 先日とある本を読んで、文通というものがしたくなった次第、それらしく便箋やら何やら用意した所で、はたと出す相手がいないことに気が付いた。餃子を食べようとして、ラー油がないことに気が付くようなものだ。憂慮すべき問題という奴だな。
 誰に書こうか悩んでいたところ、正月に君から年賀状が届いていたことに気が付いた。小学校の頃、よく一緒に遊んでいたな。思春期の時分、東の僻地へ引っ越していった君の見送りで号泣した自分を思い出したよ。あの頃僕らは若かった。
 今一度心の交流をはかろうでないか。
 返事待ってるよ。
 では失礼。
敬具。
 田中康彦様へ 


拝啓?
 お手紙読ませて頂ました。お久しぶりです。
 文通大いに結構です。メールやら何やら電子的な交流が日本を埋め尽くす中、自らの手で手紙を書くのは前時代的ですが、良いことだと思います。
 しかし私は餃子にラー油は必要ないと思います。や、タレすら必要ないでしょう。彼らはそのままでも充分おいしく頂けます。いいですか。彼らはそのままでも充分おいしく頂けるのです。
 ところであなたは私が引っ越す日、号泣したと言いますが、それは嘘です。あなたは私を見送りに来なかったのですから。あなたはとてつもなく薄情な奴です。
日毎寒くなっていく気がします。大阪はいかが?
 東の僻地はとても静かです。良く言って、さっぱりとしている、悪く言って、何もない、という感じです。私は自宅から一時間半ほどかけて大学に通い、農学を勉強しています。ちなみにこの手紙も電車の中で書いてます。
 返事お待ちしております。
かしこ?
  山田秀平様へ 
 

拝啓。
 返事ありがとう。心して読ませていただいた。
 餃子については不毛な議論かと思われる。所詮味覚なぞ人それぞれだ。この世のどこかにはポリエチレン的な何かを旨そうに貪る人がいるかもしれない。仮にその人を雅彦としよう。雅彦に「それ不味いだろ?」と言っても雅彦は頑としてポリエチレン的な何かを食うのをやめないだろう。雅彦にとってそれはふかのひれに勝るとも劣らないご馳走なのだから。ポリエチレンが体に良い訳がない。雅彦の体が心配だ。
 つまりあれだ。人の好みは人それぞれってことだ。
 昼夜の温度差は激しいが、大阪はまだそこまで寒くないぞ。しかしこの時期になると、俄かに町内が活気付き、やいやいとだんじりが騒ぎだす。黙って山車を引け。
 文章から察するに君は相変わらず馬鹿丁寧なようだ。君は小学生の頃から敬語で話していたな、懐かしい。細く整った君の字から美しく聡明な女性が想像出来るが、実物はガキの頃のように芋っぽいままだろう。
 文通美人とは君のことだ。
 ちなみにかしこは女性が使うものだったはず。気をつけたまえ。
        僕の人生史至上指折りの文通美人へ 
 

 拝啓。
 かしこは女性専用なのですね、知りませんでした。
 雅彦の話は良い話だと思いました。そうですね、所詮何を良いと思うのかなんて人それぞれですね。
 近頃妹が「男同士の恋愛は美しい」と惚けた目で呟くので、兄である私は妹を正しい方向へ導くべきかと悩んでいたのですが、止めるべきではないと思いました。男同士の恋愛が妹にとってのポリエチレンなのでしょう。
 最近私は興味本位で性病について勉強しています。
 こういうと皆、厳しい顔つきでこちらを見るのですが、性病は奥が深く勉強のしがいがあります。
 私が性病の権威となる日も近い。
 そういえば性病ってかかってても気付かない場合が多くて、感染が広がるケースが多いらしいですよ。軽はずみな行動はいけません。自分の身を大切に。
 あなたは僕を馬鹿丁寧と言いますが、馬鹿丁寧大いに結構です。社会に出ても丁寧な言葉遣いが出来ない人にはなりたくありません。
 そういえばあなたは大学に通っているのですか?
 もう働いてたりするのでしょうか?
 返事待っています。
山田秀平様へ 


 拝呈。
 その妹は正しい方向に導いてやるべきだ。彼女のその症状はよろしくない。人生の障害になりかねん。妹にとってのポリエチレンなんて言ってる場合じゃねぇぞ。
 何故性病を学ぶのかとかそんなことは尋ねるまい。
 興味があることを自主的に学ぶことは良いことだ。教わることばかりが勉強ではないのだ。いいこと言った。
 ところで性病で思い出したが、僕の知り合いが先日彼女に振られた。悲しいかな喜ばしいかな男と女はいずれは終わる。彼女に新しい男が出来たそうだ。振られたショックで自棄酒を煽りぐでんぐでんに酔っ払った彼は「何らかの手段で世界中の女に性病をばら撒いてやる、絶対に」と声高に宣言したよ。万一そんな時が来たら、君が蓄えた性病の知識が火を噴くかもしれん。
 世界に通用する権威たれ。
 言ってなかったが、僕は一年浪人した後、大学に通っている。電車で片道一時間弱だ。経済学部の学生として、毎日経済やら経営やらに関する良く分からん有難い話を拝聴している。大半は右から左だ。
 最近明け方が冷える。寝てる間に服を脱ぐ癖がある僕としては由々しき事態だ。お互い体には気をつけよう。
 性病の権威の卵へ 


拝復。
 言われた通り、妹を説得してみました。しかし「私の勝手でしょ」と言うだけでした。
 もうこれどうしようもないようです。
 そういえば一つ謝りたいことがあります。
 先日久しぶりに家族会議がありました。
 その日の会議は比較的温厚な父が何故かピリピリしているし、母は心配そうに私の顔を見つめてくるし、妹に至ってはそこはかとなくニヤニヤしています。
 父が胸の前で腕を組んで低い声で私に言いました。
「お前誰かから病気貰ってきたのか?」
 私は最初意味が分からず、しばし呆けた後、父が何を言っているか分かりました。そういえば私は最近所構わずそういう病気に関する本を読んでいたのです。
 私はこの誤解をどう解消するか迷った挙句、君の名前を出してしまいました。山田秀平という男からそういう病気について相談されている、と。少しでも力になってやりたいからそういうことについて勉強しているといった嘘をつきました。会議は何となくで終わり、あなたは私の家で性病患者として名を馳せてしまいました。
 ここに遺憾の意を表します。
       我が家の哀れな性病患者・山田秀平様へ         


 拝啓とかもうどうでもいい。
 僕は立腹だ。何が楽しくて他人の家で性病患者呼ばわりされにゃならんのだ。これ甚だしく名誉毀損だ。
 ふぁっくだ、ふぁっく。
 ところで君は中村和樹を覚えているかな。小学六年の頃一緒のクラスだった細長い男だ。
 先日電車で彼とたまたま出くわしたのだが、彼は来年から渡米するらしい。一人で向こうで暮らしてみるそうだ。「不安だけど何とかやってみる」と言った彼の顔は輝かしいものだった。
 や、全く驚いた。ついで劣等感を感じた。
 ほとんど毎日大学に行き、あまり興味のない話を聞いていることに価値などあるのだろうか。こんなことするならもっと他にするべきことがあるのではないか。
 バイト、麻雀に時間を費やしている場合じゃねぇ。
 秋は憂いの季節だ、と誰かが物憂げな表情で言った。
 もう秋は過ぎてしまった筈なのに、いまだ僕の心の内はメランコリックの色を隠せない。
 抑えきれない焦燥感と憂鬱で何もやる気が起きない。
 もう何もしたくない。
 嗚呼、鳥になりたい。なるだけ見栄えのいい奴に。
 僕の名誉を甚だしく毀損する旧友へ 


 拝啓。
 中村君ですか。懐かしいですね。覚えていますよ。
 プールの時間、唇を紫に染め、がたがた震えながら端っこで体育座りをしていた彼を思い出します。
 そんな彼が渡米ですか。すごいですね。
 どうもあなたは鬱々としているようですが、考えても仕方ないことというのもあります。気分転換に動物園でも行ってみては如何でしょう。和みますよ。
 いきなりで恐縮ですが、今気になる人がいるのです。
 私が図書館で参考になりそうな本を探していると、よく私の棚の隣で、眉を八の字にし、難しい顔して本の背表紙を睨んでいる人がいます。モスグリーンのコートを着ているので、私はモスグリーンさんと呼んでいます。
 そのモスグリーンさんが何となくそこはかとなく気になるのです。
 最近夢の中で良く彼女が出てきます。決まって彼女は図書館でラムネの瓶ジュースを飲んでいます。私はいつも彼女の斜め後ろで、猫を抱きしめながら彼女を眺めていて、視界の端では星条旗が風に揺れています。
 とにかく日常生活に支障をきたす程度に気になっています。どうしたらいいですかね。
メランコリックに沈む山田秀平様へ 


 拝啓。
 最近途轍もなく寒いと思ったらもう師走だな。
 君が恋にわずらわされる日が来るとは思わなかったので少し意外だ。昔から君はどこか超然とした奴だったからな、異性には興味がないものと思っていた。
 ここはそのモスグリーン嬢に話しかけてみようじゃないか。存外向こうも君に好意に似た感情を持ち合わせているかも知れない。あまり期待しない方が良いが。
 一つ言っておきたいのは気になるからといって、ストーカー的な行為に走るのはやめておけ。絶対に。
 そういえば先週大学で就職の話について聞かされた。もう就職の事を考えねばならないのかと少しへこんだ。
 このままじゃいけない気がするが、どうすれば良いか分からない。働きたくも無い。嗚呼、紐になりたい。 
 以前大学の帰りに、商店街で買ったコロッケを食べながら歩いていると、犬が捨てられていた。ステレオタイプに、ダンボールに入れられて。
 こいつこのままどうなるんだろう、と同情の視線を向けていたら、通りかかった綺麗な女の人が犬に気付き、しばらく悩む素振りを見せた後犬を拾って行った。
 嗚呼、ペットになりたい。僕を飼ってみないか?
 恋に悩まされる旧友へ 


 拝啓。
 山田秀平なぞ飼うつもりはありません。
他をあたって下さい。
 モスグリーンさんの件ですが、しばらく観察してみることにします。話しかける勇気なんてありません。
 敵を知り己を知れば、百戦危うからず、です。
 そういえばあけましておめでとうございます。
 我が家では新年早々家族会議がありました。私が何かやらかしたのかと思ったのですが、違いました。どうにも妹の好みが母には問題に思えるらしいのです。まぁ私にも問題に思えるのですが。
妹の好みというのは言わずもがなですね。
 父は別に悪いことではないだろうと言います。本人が何を好きになろうが勝手だろうと。
 妹が言っても聞かない人間だということは分かっていましたし、私も好きにやらせてみたらどうかと言いました。他所様に迷惑をかけるものでもないですし。
 結局母が折れる形で会議は終わりました。
 妹は相変わらずです。超然としています。
 他人や世間に惑わされず、好きなように生きればいいのかもしれません。今を楽しめれば、明日も楽しめる。
 野良山田秀平様へ 


 拝啓。
 あけましておめでとう。
 観察といえば聞こえはいいかもしれんが、それはストーキング行為とも言えるだろう。即刻やめるべきだ。ここは男らしく勇気を振り絞って話しかけてみよう。
さっさと当たって砕けなさい。骨は拾ってあげるから。
 しかし君の妹の趣味が認められるとは、どうにも末期的だな。東の僻地も腐ってしまった。世も末だ、世も末。
 先日ラーメン屋のカウンターで、一人でつけ麺を食べている時、同じように一人で食っている知らないおっさんに話しかけられた。
いきなり話しかけてきたので少々身構えたが、気さくでいいおっさんだった。話は大いに盛り上がり、その後場所を変えて、居酒屋で二人で酒を飲んだ。
 面白いおっさんだったよ。若い頃リュックサック一つを身につけ、世界中を旅したらしい。
 酒で顔を赤くしたおっさんは、若いうちに何でもやっといた方が良いと言った。年を取ってからでは遅い、と。
 全く色々と考えさせられたよ。
 自分にやりたいことがあるだろうか、と考えた所、漠然と海外で勉強してみたいと思った。ううむ。
 ストーカーと化した旧友へ 


拝啓。
 もう節分が過ぎましたね。豆はまきましたか。
 条件や環境が許すなら、あなたのやりたいことをやるべきではないでしょうか。今は今しかないのです。
 あなたに私が好きな言葉を捧げましょう。
適当に、生きるな!
私は好きなことを勉強しながら、過ごす日々にそこそこ満足しています。将来的にどうなるのかは分かりませんが、なるようになるでしょう。
 あなたに言われた通り勇気を出してモスグリーンさんに話しかけてみました。ところが話しかける瞬間に緊張してしまい、何を話せば良いか分からず、
「そこにある『絶対わかる抗菌薬』という本を取ってくれませんか?」
「どうぞ」
なんて平凡極まりない会話しか出来ませんでした。
 でもどうやら顔を覚えて貰えたようで、図書館で顔を合わせる度に会釈をしてもらえるようになりました。
 これは世間一般には小さな一歩かもしれませんが、私にとっては大きな一歩です。
 千里の道も何とやら。
   人見知り知らずの山田秀平様へ  


 拝啓。
 突然だが、この手紙で僕らの文通はおしまいだ。
 前にちらっとにおわせたが、北欧に留学することにした。三日前見た夢の中で、ふてぶてしい顔をした猫が僕に「山田秀平という男を日本に眠らせておいていいのか」と言った。だからではないが、日本を出て見聞を広めたくなった。北欧で何を学べるか分からないが、それでも何か手に入るものがあるだろう、たぶん。
 山田秀平はペット程度で終わる人間ではない筈だ。
 グローバルな人間になろうではないか。
 少ない手紙の応酬であったが、振り返れば得るものがいくつもあった気がしなくもない。
 今だから言うが、僕は子供の頃からどこかで君に劣等感を感じていた。君は小学生も低学年の時分から小難しい本を片手に、気になることを貪欲に学んでいた。その姿が外で遊んでばかりいた僕には眩しかったよ。
 何となくで始めた文通であったが、僕も君のように色々と学びたくなったよ。
 それでは、今までくだらない手紙に付き合ってくれて、ありがとう。
 我ながら綺麗にまとめたのではないだろうか。
 ではさらば。        
東の僻地に住む友へ 


 拝啓。
 文通終了の旨、承知しました。
 北欧ですか。良いですね。私も死ぬまでに一度は行ってみたいです。
 最後の手紙ですね。何を書きましょう。そうですね。
当然あなたも知っていますが、私は中学生の頃こちらに引越してきました。新しい学校ではもう人間関係は出来上がっていて、口下手な私は人の輪に割り入って友人を作ることに大分苦労しました。
 あなたは初対面の人間とでも、すぐに打ち解けれる人間ですね。子供の頃から片隅で本を読んでいた私の手を引き、球技に参加させてくれたあなたを私は尊敬していました。私もあなたのような人間になりたい。
 あなたなら国外でも上手くやっていけるでしょう。
 グローバルな人間になって下さい。
 私もグローバルな人間になろうと思いますが、あなたを見習って、とりあえずそこら辺のおじさんと仲良く居酒屋にいけるような人間になろうと思います。
 数ヶ月の間でしたが楽しかったです。
 当然ですが、日本とは気候が違いますよ。
 体調に気をつけて下さい。
 では、さようなら。   
北欧へ旅立つ私の友人へ