翡翠「心時計」

    

 目的の公園に着いて、周りを見渡す。町の中心からは少し離れた、人通りの少ない静かな公園である。ヨーロッパなどの大きな公園に比べるとたいしたことはないが、一応花も植えてあるし、ベンチの辺りには紅葉した木々も並んでいて、雰囲気はいいだろう。俺は手にした手帳に公園の名前をメモする。
 さて、喫茶店に行ってこの公園でのんびりとした後はどうするか……。
 周りに、気軽に二人で入れそうな店やカラオケなどの娯楽施設はないかと見渡すと、異様な風体の男が座っていた。
 易占い者のように白い布をかぶせた机を出してはいるが、男の恰好はシルクハットに黒いタキシード、片眼鏡という手品師のような装いであった。
 声をかけられないうちに立ち去ろう、と背をむけようとした矢先に
「ちょっと、そこのおにーさん」
と、間延びしたトーンで声をかけられた。
「……なんですか」
 怪しいと心の中では思っているのに、声をかけられるままに近づいていく。ああ、なんでこう浅はかなんだろう、俺って。だからいつも騙されたり、いいように使われたりするんだよなあ。
「突然すみませんねえ。いや、私、珍しいものを発明して売るのが趣味なんですよ」
 相変わらず緊張感のない声で、慣れ慣れしく男は語り始めた。
「俺、お金持ってませんよ」
 少し警戒したが、これくらいは答えても大丈夫だろうと思い、男の前に立って答えた。
 これは半分嘘で、半分本当だ。来る明日に備えて、お金は取っておかなくてはいけない。だから、今日使ってしまえるお金は残念ながら持ち合わせていない。
「いや、お金はいらないです。言ったでしょう? 珍しいものを発明するのも、私の趣味なんです」
 そして男はゆっくりと手を挙げて俺の顔を指差した。
「実験台になってくれませんか」
 そう言うと、男は二つの腕時計を取りだした。両方男物のデザインだ。片方は金属製の時計、もう片方は革のベルトで、どちらもどこにでもある普通の腕時計に見える。
 金属製の方の時計は、文字盤に波紋のような模様があり、シンプルで品のあるデザインになっている。
 革ベルトの方の時計は、焦げ茶のベルトに唐草模様がついていて、こちらも洒落たデザインだ。
 試しに金属製の方を手にとって見てみても、何の変哲もない普通の時計にしか見えない。
「この時計がどうしたんですか?」
 すると男はニヤリと笑って俺を見上げた。
「この時計は、体感時間を変えるんです。そちらの金属製の方は、腕につけていると一日だけ時間をゆっくり感じさせてくれるんです。こちらの革製のベルトの方は、つけている間、時間を短く感じるんですよ」
 俺は驚いて手に持った時計を見る。
「どうですか、まだ試作の段階なのですが……楽しい時間なんて、あっという間に過ぎてしまうでしょう。そういう時間を長く感じられたら、人生幸せだとは思いませんか? つらい時間、苦しい時間は短い方が良いでしょう。そう思って開発した商品なんです。何人かの方にお渡ししたのですが、やはりなるべく多くの方に試したいんですよ」
「無料なんですよね」
「もちろんです。こちらも協力して頂くのですから。ただし、条件があります」
 男は笑顔を崩さない。
「三日以内に使用して頂く事。その際、使う時間は指定しませんが、腕につけてから二四時間しか効果がありません。そして、二つともお使い頂いた後は感想を聞かせにまたこの公園に来てくださいね、必ず」
 そのあと軽く使い方の説明を受けた後、帰ろうとした時に、何気ない口調で男が何に使うつもりか聞いてきた。
 俺は迷ったが、実は誰かに話したくて堪らない気分だったので勢い込んで話してしまった。
「実は、明日、彼女と初デートなんですよ。ずっと前から片想いをしていて、あまり話した事も無かったんですけど、ずっと前から憧れていて……この前誘ったら、デートできることになったんです。もう本当に嬉しくて。俺みたいに普通の男が、彼女みたいな、綺麗で人気のある女性とデートできるなんて夢みたいです」
 照れて、思わず関係のない事までたくさん話してしまったが、男は頷いて笑いかけてくれた。
「そうですか、それはよかったですね。じゃあその時に、その時間を遅く感じる方をお使いになるつもりなんですね」
 俺は照れて少し俯いたが、はっきりと頷いて、今度こそ男に背を向けて公園から出た。男は、今度は黙って見送っていた。


 次の日、いつもより早起きをして、シャワーを浴び、一晩中悩んで決めた服を着た。それからは、そわそわと落ち着かないまま家の中をうろうろしていた。家を出る直前に、金属製の時計の方を手に取り、手首に巻き付けた。貴重な二十四時間。ぎりぎりまで時計をはめる気はなかった。
少し早めに待ち合わせ場所である映画館の前に着くと、彼女はまだいなかった。建物のガラスに映る自分の姿に、不自然な所がないかチェックをして、そわそわと彼女を待つ。会話がきちんと続くだろうか、彼女を退屈させないだろうか、嫌われるような行動をしないだろうか、などと後ろ向きな事ばかり考えていると、腕時計が待ち合わせの時刻を指した。
 時間きっかりに来た彼女は、いつも通り美しい。俺は緊張して、何を話していいかわからず、とりあえず予定していた通り、今話題の映画を見る。
 上映時間までの間、とりあえず何か話さなくてはと思い、大学の話を振ってみた。彼女の方も話題にのってきてくれて、結局映画が始まるまで、俺は調子に乗ってしゃべりっぱなしだった。確かに、その映画が始まるまでの時間を長く感じた。これもあの男の時計のおかげだと思うとありがたかった。
 映画を見終わった後、俺はなんとか彼女を楽しませようと必死で、喫茶店に入り、しばらく映画の感想等を立て続けに話した。彼女はずっと聞き役で、頼んだケーキを食べながら口も挿まず聞いてくれていた。俺だけでなく、彼女も少し自分の趣味の事や映画の感想を話したりと、喫茶店にずいぶん長い時間いた気がした。
 しかし、例の時計を見ると、喫茶店に入ってから一時間しか経っていなかった。


 予定通り、午後五時くらいに例の公園に着いた。ここで、正式に交際の申し込みをするつもりだった。
 しかし俺は、ここにたどり着くまでで、随分、気力も体力も共に削がれていた。時間を長く感じているせいか、いつもよりかなり疲れている気がする。大好きな彼女といるはずなのに、どうしてこんなに疲れるのだろうか。いやいやそんなことを思ってはいけない。俺は楽しいはずだ。疲れているなんて、気のせいに決まっている。
 昨日、目星をつけておいたベンチに二人で座る。紅葉もいい感じに散っていて、最高のシチュエーション……だと思う。しかし、頭も体も疲れていて、大事な事を切りだすのにぴったりの調子とは思えない。彼女の方も何も言わず、自分の腕時計をちらちらと見ている。
 しかし、今日は服装をきちんと見ていなかったけれど、彼女はやはりファッションセンスがいい。そこまで華美な服装ではないけれど、秋を思わせる落ち着いた色の清楚なワンピースに緋色のカーディガンを羽織って、それによく似合う、落ち着いた色の時計。靴も時計と同じような焦げ茶色で、カバンはカーディガンと同じような色の小さいポシェットのようなものだ。パールの控えめなネックレスに、同じく小粒なパールのピアスが揺れている。あまりじろじろ見るのも失礼だけど、何もかもが彼女に似合っていた。
 それにしても、どうやって正式にお付き合いを申し込んだらいいのだろう。今日はしゃべり過ぎたのか、酸素が不足している気がして上手く頭が回らない。一瞬、早く帰ってしまいたいと思った。
 日を改めるべきだろうか。彼女もさっきから腕時計を見ているし、そろそろ帰りたいのかもしれない。朝も早かったし、いくらこの時計の効果とは言え、大好きな彼女といる時間をこれだけ長く感じだんだ。悲しいが、俺の片思いだった場合、彼女は相当長い時間一緒にいたと感じているに違いない。
「あの、今日は本当にありがとう。よかったら、また一緒に出かけて下さい。今度は、遊園地とか……」
 俺がそう言うと、彼女はふっと微笑んで、ベンチから立ちあがった。
「こちらこそ、今日はどうもありがとう。また大学で」
 そう言うと、彼女は少し早足で公園から出て行った。俺は、伝えられなかった脱力感と、今日一日の疲れのせいで、しばらくベンチに一人座っていたが、夜ごはんもまだ食べていないことを思い出し、夕食をとるために近くの店を探そうと立ちあがった。公園を出る時、ちらっと手首をみて、今日一日をやたらと長く感じさせてくれた時計を、ポケットの中にしまった。


 次の日は大学の授業で、もうひとつの時計を試してみることにする。今日は大嫌いな教授の授業で、内容が退屈なのでいつも眠気との葛藤だった。
 しかし、いつも通りの授業としか感じない。前日の気疲れが残っているのか、今日はいつもより朝から眠かったので、余計長く感じた。もしかしたらこっちは不良品かもしれないな、と昼休みになった時に俺は時計を外すことにした。
 大学の講義が終わると、まだ日にちに余裕はあるが、早めにあの男の所に行くことにした。
 男は、それを予想していたのだろうか。昨日はいなかったあの公園に、今日はちゃんと来ていた。前と同じように、シルクハットの帽子と片眼鏡という怪しい恰好で公園の隅に座っていた。
 男は俺を見ると微笑み、手招きをした。
「こんにちは、どうでしたか、時計の効果は」
「あー、どうも。そうですね、こっちの時間を長く感じる方は、すごく効果があったと思います。俺、デートの一日をすごく長く感じたので。だけどこっちの方は、あまり効果がなかったかな。授業の時につけたんですけど、いつもと同じように、長く感じましたよ」
「そうですか、わかりました。ご協力、ありがとうございます」
 男は俺の話を聞きながら、何やら紙にメモをとっていた。正式に商品化する際の参考にするのだろう。ひとしきりペンを走らせた後、男は顔を上げて俺をじっと見据えた。
「どうでしたか、彼女とのデートは。時計の効果はあったようですが」
 俺はなんと言葉にしたらいいかわからなくて、少しの間考え込む。楽しかった気はする。それなりにときめきもあった気もする。しかし疲労を感じたことは予想外だった。みんなもデートに出かけるたびにここまでぐったりするものなのだろうか。それとも時計の効果で、時間を長く感じたからここまで疲れたのだろうか。どう言葉にしていいかわからず、結局正直にその感想を全部男に伝えた。男は、うんうんと頷いて、ペンを少しだけ走らせた。
「そうですか、で、授業の方に使った時は、効果が無かったのですね、申し訳ありません」
「い、いや。こちらこそ、すみません。もしかしたら俺が授業嫌いすぎるからかもしれません」
 俺は慌てて頭を下げた。そして、男がもう話しかけて来ないのを確認して、公園を出た。
 もう二度と会う事も無いかもしれないが、あの二つの時計が商品化されたら、また何か感想を述べるなど、協力できることがあるかもしれない。


 男のところに、新しく若い男が近づいていた。顔見知りらしく、シルクハットの男に慣れたように話しかけた。
「どうでしたか、実験は」
「……ああ」
 シルクハットの男は顔を上げて笑った。
「新しい心理実験。人はどれくらい他人の言葉に左右されるか、でしたよね」
 あるアメリカの心理実験では、教師が「匂いのするガスが入っている箱を今から開けます」といったところ、本当は無臭だったのにもかかわらず、生徒全員が「匂いがした」と感じたという。同じように、どれくらいの人間が言葉にだまされるかを調べようと心理実験を行っていたのだ。
「今のところ、五分五分と言った感じかな。さっきの青年と同じように、片方しか効果が無いという人も多かったよ。しかしさっきの彼は、彼女とのデートの時に効果があったと感じたという事は、楽しくなかったという事なのだろうね。本当は、時間を長く感じるはずが無いのに」
 男はどこか嘲笑に似た表情を浮かべた。
「しかし、君が今朝持ってきた写真を見た時は驚いたよ」
「何処かおかしい所がありましたか」
 すると男は、内ポケットから一枚写真を取り出した。そこには、先ほど時計の結果を報告しに来た青年と、おそらくデートの相手であろう彼女が写っていた。時計を本当に使用したかを見るため、実験者が使用している時の写真を撮るように部下に命令していたのだ。その写真を覗き込んで、若い男は驚きの声を上げた。
「この、彼女の方がしている時計って」
 彼女の手首には、ここ数日間で嫌と言うほど見た時計があった。写真を見た時にすぐわかるように、男性用と女性用で多少デザインは異なるものの、どの時計も同じデザインにしてある。その時計を見間違えるはずが無かった。
 公園のベンチで座っている写真の中の男女は、それぞれ見覚えのある金属製の時計と、革ベルトの時計をしている。
「彼女の方は、もう返しに来たんですか」
「ああ、私がこの写真を見たすぐ後にね。ここに写っている時計を突き付けて、全く効果が無いと怒っていたよ」