志賀直哉「城の崎にて」@小野

あらすじ

東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げられ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。(wikipediaより引用)


感想

おそらく高校生や中学生のとき国語の授業で習ったことがあるという方が大多数を占めるであろうこの作品。実を言うとこの作品をきっかけにして私は志賀直哉にひかれたのである。
この作品の特徴はなんといっても描写の無駄のなさだといえる。「生と死」について考える自分の感情描写。蜂の死骸と生きている蜂の対比を描いた情景描写、などなどどこをとっても無駄がない。
個人的な意見なのだが、蜂の死骸のくだりは似たような経験をしたことがあるので感慨深い。私の場合は死骸は蜂ではなくコオロギであった。そのコオロギがカマキリに食され息絶える。そしてその残骸をアリが持ち去る。なんだかサバンナでのライオンとハイエナの関係のようだ、と思った記憶がある。
そのような記憶も相まってか、この作品にひかれるところは多い。なにより、生と死の非両極性を感じ、死は隣り合うものでると思わせてくれる所に魅力を感じた。

志賀直哉は他にも名作が多いが、この作品は比較的読みやすいので志賀直哉の作品を読み始めるにはうってつけの作品である。