矢口敦子『償い』@おさひさし

≪あらすじ≫
「あの人は死んでよかったんだと思うよ」
 私が救った子供は、15歳の殺人鬼に成長していた? 36歳の日高は子供の病死と妻の自殺で絶望し、エリート医師からホームレスになった。流れ着いた東京のベッド・タウン光市で、高齢者、障害者など社会的弱者ばかりが殺される連続ナイフ殺人事件が起き、日高は知り合った刑事の依頼で「探偵」となる。やがて彼は、かつて誘拐犯から命を救った15歳の少年・真人が犯人ではないかと疑い始める。
「人の心の泣き声が聞こえる」という真人は、「不幸な人は死んでしまえば、もう不幸は感じずにすむ」と言う。自分が救った子供が殺人鬼になったのか―日高は悩み、真相を探るうち、真人の心の深い闇にたどり着く。感動のミステリ長篇。(「BOOK」データベースより)

≪感想≫
 二年ほど前、新聞にこの作品の広告が載っていた。「人の肉体を殺したら罰せられるのに,人の心を殺しても罰せられないのですか。心に沁みる,ミステリの隠れた傑作。温かい感動の輪が広がり,50万部突破!!」との謳い文句。
 これは面白そうだと思い、購入したが、この本を読み終わったとき、私は見事に釣られた魚のような心持ちになった。いや、決してこの作品のことを駄作だと言いたいわけではなく、ただ少し誇大広告をされすぎたのではないかと思うのだ。
 あらすじの通り、謎の殺人事件が連発して元医師のホームレスがその犯人を追いつめるというミステリー小説で、犯人の少年の目的や心境が最後に向けて徐々に明かされていく。なるほど、と思う点はあるが、しかし何かが足りない。なんとなく安っぽい感じがする。少なくとも私は感動などしなかった。
 私が不満に思うのは以下の点だ。
 まず話がくどく、長い。幻冬舎文庫から出版されたこの本は総ページ数が450近くあり分厚いが、それに比べて中身はそれほど濃くない。同じような話を何回も読んでいるような気さえする。展開も遅く、読んでいるうちに飽きてくる。もっと短くまとめられないものか。
 次に台詞が安っぽく、説教くさく、なんとなく青さまで感じる。私が言えたことではないのだが、少なくともそんなに持ち上げられるほど温かくて感動する台詞はない。中でももっとも鼻持ちならないのは、最後の最後、日高と真人が和解する所だ。殺してくれと懇願する真人を日高が説得するのだが、いまいち重さを感じない。「え、それで納得しちゃうの?」というくらい、真人はあっさり籠絡される。いくら根が優しい少年と言えども、殺人鬼と化しこれから本気で死のうとしている人間が、知り合いのおじさんの軽く説教くさい台詞で落とされるとはいささか考えにくい。

 これから読もうとしている人には申し訳ないが、広告に書いてあるほどの感動作ではないし、その通りの物語を期待しているならば、私はあまりお勧めできない。
 ちなみに私はこの本を読んでから、広告の「感動」とか「衝撃」という派手なキーワードにあまり騙されなくなった。良いのか悪いのか、微妙な心持ちである。