村上春樹『羊をめぐる冒険』@たこのには

 

 題名に惹かれたので読んだ本。「羊」と「冒険」の2つの単語が並ぶことはあまりないと思う。
 本作は『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』とともに「初期三部作」といわれる小説の第三作にあたる。三部作には一連の流れがあるが、本作だけでは〈ジェイ〉と〈鼠〉の描写が少ないため、彼らの人となりがあまり伝わらない。前の二作を読んでからの方がより楽しめるだろう。


【あらすじ】
〈僕〉は広告会社を経営する青年。昔失踪した親友〈鼠〉からもらった写真を広告に使おうとしたところ、右翼トップのもとから男がやって来て、その写真を使うなとの指図を食らった。おまけに男は、写真に写っている一頭の奇妙な羊を捜しだせ、できなければひどいことになると言って脅してくる。しかたなく、〈僕〉は完璧な耳を持つガールフレンドと共に写真の羊を探しに出かける。


○冒険
 冒険、冒険。冒険ってこんなのだったっけ。〈僕〉の行動は全然冒険的じゃない。男によって状況が追い込まれているとはいえ、冒険と呼んでいいものかさえ迷ってしまう。なにしろ、〈僕〉がしたことの中で冒険と呼べそうなのは、崖と隣り合わせの「不吉なカーブ」を歩いたこととこの世のものでないものと(平和的に)話をしたことくらいである。それどころか、〈僕〉は終始酒を飲み音楽を聴き料理をし時にランニングをしている。しかしご心配なく。これでも〈僕〉は彼なりのやり方でちゃんとやっているのです。日常的でありながら日常ではない冒険をしている、そこが面白い。


○生き始める
 すべてが終わって、エピローグから一節。

 
 「僕はいろんなものを失いました」
 「いや」と羊博士は首を横に振った。「君はまだ生き始めたばかりじゃないか」
 「そうですね」と僕は言った。 (下巻、223頁)


 いろんなものを失った、けれども〈僕〉は生き始めた。〈羊博士〉は「君にはまだ先の人生がある」とは言わず、「君はまだ生き始めたばかり」だと言った。生き始めたということは、今まで生きていなかったということだ。酒飲んで小説読んで音楽聴いてセックスしての大学時代も、友人と広告会社を経営してきた仕事生活も、別れた妻や100パーセントの耳を持つガールフレンドとの関係も、羊をめぐる冒険も、みんな「生きていない」状態だったということだ。作品全体を見れば、作者はすばらしき青春を謳っているように思える。けれども、実は、それはそれでいいけどねと割り切っているのである。そして他に「生きている」状態があると言う。
 人は大切なものを失って強くなる、なんて使い古された言葉があるけれど、それだけじゃない、ここは青春の終わり、物憂げでほろ苦い退屈な日々の終わりでもある。そうして〈僕〉は現実と正面から向き合って熱い何かを胸に生きていくのだろう。