東野圭吾『秘密』@霧夢

東野圭吾『秘密』

あらすじ
妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まった。
内容(「BOOK」データベースより)


書評
万人受けする話というのは難しいものだ。
たとえ100人中99人が「おもしろい」と絶賛しても、残りの1人が「私には合わない」と言ってしまえば、それは万人受けしたとはいえない。
小説家は、そういった問題の中で「限りなく万人受けする作品」を書かなければならない、という至上命題にさらされているのだ。

前置きはさておき、この話「秘密」は100人がいたら6割ぐらいが面白いと思う作品だと私は思う。
残りの4割がなぜ受け入れられないかというと、端的にいえば「人が死ぬ」からに他ならない。
その立場にいる人にとっては、主人公に感情移入する前にその死んでしまった登場人物の方が気になり、結局その主人公の行動が自分が考えている行動と違うと拒否反応が起きてしまうわけだ。

しかし、なぜそうまでしてそういった設定を持ち出す風潮があるかというと「泣かせる話」を書きたいからだ。
はっきりとしたこと言ってしまえば、泣かせる話を書くのに「病気」「死人」などの負の要素は、かなりの割合で混入されている。
それはなぜかと問われれば、結局は「落差」という問題にいきつく、要は感情の波が底辺から一気に引き上げられることにより、普段感じる以上の感動が得られるという仕組みだ。

そんなこの作品だが、なぜ私が推すのかといえばまずはその設定の秀逸さにある。
「人格」の「入れ替わり」を題材にした小説や漫画などは数多くあるが、その中で重視されるのは「入れ替わった後どうしたか」また「どうやったら元に戻るのか」の過程である。
だが、もしもその「入れ替わった片割れ」が既に死んでしまっていたとしたら…?
そしてそれが自分の愛した「妻」と「娘」であったら…?

読了後に涙が出てきたのは主人公に感情移入したからなのだろうが、さすがに英語の授業中なのはまずかったと反省している。
(何しろ、英語に関しては特進クラスの5本の指に入る実力だったからな、もちろん悪い意味でだが)

東野圭吾の小説の多くが講談社文庫のレーベルから出ており、値段も安価である。
ドラマ化されている「新参者」と合わせて読み始めてみるのもいかがだろうか?