伊坂幸太郎『グラスホッパー』@麻木

[あらすじ]
 「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。
鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。
それぞれの思惑のもとに――「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。
疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説!
(本書裏表紙より)

[書評]
 この作品は、押し屋、自殺屋、ナイフ使いと、三者三様の技を持つ殺し屋達の三つ巴戦を、「鈴木」、「鯨」、「蝉」の三つの視点から描いたものである。
雰囲気は一貫して重く、暗い。モノクロの世界にいるような印象を受けるが、それは何も殺し屋が出てくる小説だからというわけではないと私は考える。
一番の要因は、その描写にあるのではないかと思う。
 まず、主人公たちのどこか達観した姿勢。
一見理不尽なことでも、それをあるがままに受け止めるような、そういう姿勢。
人間も誰しも、認めたくないことに遭遇したときは現実から目を背けたくなるのが道理であるのに、主人公たちの姿勢は、それとは真逆である。
与えられた運命は辛く、苦しい。だからこそ人は努力するし、尊い
「頑張っている」彼らたちから、教えられたような気がした。
 それから、感情をさしはさまない冷徹な描写。
その中でも特に注目していただきたいのが、人が死んでしまう時の描写である。
彼は、人が「死ぬ」というような描写をするのではなく、「破壊される」対象として描写している。
具体例を挙げることは、読んでから楽しんでいただきたいのでここでは省略させていただくが、その「人体破壊」の描写によって、人の「死」を極限まで無力化している。
ここに、タイトル「グラスホッパー」が指し示す物語の主題、そして作品の世界観が描かれているのではないかと私は思う。

明るい内容の小説でもないし、人がたくさん死んでいくが、それでも読み返してしまう面白さがある。ただ、本を読みなれない人には読みづらいかもしれないことを忠告しておく。