花村萬月『二進法の犬』@明義 隆通

〔あらすじ〕
 家庭教師・鷲津兵輔が、生徒として引き受けることになった女子高生の倫子。彼女の父は、武闘派乾組組長・乾十郎だった。鷲津は、乾組という組織、十郎の「白か黒か」を徹底する生き様、そして倫子の凛とした存在に、次第に自分の所在を見いだしていく。博打、抗争、性愛…激流のなか、鷲津が手にしたものは―!
 ひとの心が抱える深い闇―その暗黒を重厚に、そして狂おしいまでに切なく描き、あらたな“倫理”を世に問う、芥川賞作家・花村萬月の超大巨編、ここに登場。  (本書あらすじより)

〔書評〕
 あらすじにもあるように、この作品で扱われるのはいわゆるヤクザや性愛など、嫌う人の多い内容である。ストーリーとしても、偶然、乾十郎の娘の家庭教師となってしまった中心人物(この本では視点が複数あり、そのいずれもが内容と密接に関わるため、あえて主人公とは呼ばない)の鷲津がその娘に惹かれ、愛してしまい、抗争によって娘を殺され、その弔い合戦で見事犯人を殺し、悲嘆に暮れながらも生きていく――という、言ってしまえば非常に陳腐なものである。
 この作品のすばらしさは、圧倒的な描写の量にある。中心となっている人物の一つ一つの行動に関する心理状態や感情の揺れが、細やかに、そして大胆に描かれている。「1か0か」で物事をはかる乾十郎や、乾十郎に忠誠を誓う中嶋、極道の組長の娘であることを厭う乾倫子、そして彼らを冷静に見つめつつも、自分がその影響を受け、しかしカタギであろうとすることに苦悩する鷲津。鷲津を中心として、倫子、中嶋がどう自分を、そして鷲津の周囲の人物が彼をどう感じているかの感情の機微が、圧倒的文章力で描かれる。
 情景描写に目を移せば、とくに物語中盤で描かれる賭博場の差し(一対一)の本手引きの駆け引きは、本を閉じることをためらうほど、その逼迫した状況を表現していた。
 こういった細かな文章で、しかも750ページというボリュームだが、引き込まれてしまえば一気に読める。それはきっと、感情の流れに乗りやすいからだと思う。
 賭け事の話や車の話、犬の話の辺りは固有名詞が多く知識も要するだろうが、決して読みにくくは無い。
 一度、花村萬月の世界に引き込まれてはいかがだろうか。