西尾維新『クビシメロマンチスト 人間失格零崎人識』@一之瀬霧夢

西尾維新(著)





誰がそれをなしたのか、それだけが問題だ



ミステリにおけるカテゴリは様々だが、結局のところここに行きつくしかないというものが1つだけ存在する。
それが「フーダニット」和訳すれば「誰がそれをなしたのか」
言ってしまえば「犯人当て」のことである。
現実世界においてもこれは至極当たり前のことで、「どうやってそれをなしたか」や「なぜそれをなしたか」といった方法論や動機よりも一番に優先されるべき考えであることは、どうやったとしても否定することなど不可能であろう。
そもそもが勧善懲悪という根柢の元、殺人という最も重い罪を犯した者は当然ながら罰せられるべきであって、いかなる理由があろうともそれを逃れていい理由にはならないだろう。

さて、今回の話は前回の孤島の話から一転、血なまぐさい「連続殺人犯」が潜む古都・京都が舞台になる。
鹿鳴館大学に通う主人公「いーちゃん」は、大学生のクラスメイト達の誕生日パーティーに誘われる。
その数日前に件の連続殺人鬼と遭遇しながらも、いつも通りの日常にいるかのように……

そして一人殺されていく
そうしてもう一人
さらにもう一人
それでみんないなくなった?
いやいやいますよもう一人
それで犯人は件の連続殺人鬼なんですか?
いやいやそれがそうとも言えないんです。
「じゃあ」「いったい」「誰が」「彼を」「彼女を」「私を」「「「殺したんでしょうか」」」

最後に語るのは名探偵ではなく、戯言使いなのでお気を付けを