花村萬月『欝』@序二段

【あらすじ】
いちばんの快感は、他人の意思、あるいは意志をねじ曲げることである。無数の本が書かれたことの底辺にある、ある後ろ暗い、ほとんど無意識の欲求の本質は、文字という柔らかな抽象を用いた洗脳である。安穏とした日常を打ち壊すべく放たれた、新生・花村文学の超衝撃作。(「BOOK」データベースより)


【書評】
 ストーリーは面白くない。陳腐と言ってもいい。というかストーリーなるものはない。
 私は純文学至上主義とそれに伴う大衆文学を低俗とみる風潮が大嫌いで、つまるところ純文学なるものを敬遠していた節があった。文章も話の筋立ても整理できない小説の免罪符になっていることもあったからだ。この『欝』もいわゆる純文学というものに分類されるようだが、読み始めてすぐに今まで読んだ小説とは違う何かを感じた。
 まず冒頭から、独りよがりな主人公の心情と、ひたすら写実的に描いた風景の対比が強調される。起こるのはうすら寂しいほど淡々とした日常と、自己の優位の確認のために弱者を虐げる非日常。三人称が用いられているにも関わらず、過剰ともいえるほど人物の心象を拡大し、呆れるほど多彩な語彙と圧巻の分量で書ききっている。生々しい描写は低俗さを隠そうともしない。しかし豊かな言い回しはそれを自然に装飾し、結果として不思議な魅力を醸し出している。読む者にとって、主人公は明らかに嫌悪感を持たせる人物であるのに、小説の中を歩く彼を我々の頭に具現化させる手段である表現は、徹底して華やかなのだ。そして何より退屈しない。物語性を排したといってもいい空間は、その表現の自由度の制約を取り払っている。読む者を選ぶなどとどうしていえようか。私はもう読んでしまったのだから、そんなものは想像もつかない。