近藤史恵『サクリファイス』@黎明

【あらすじ】
ぼくに与えられた使命、それは勝利のためにエースに尽くすこと――。

陸上選手から自転車競技に転じた白石誓は、プロのロードレースチームに所属し、各地を転戦していた。そしてヨーロッパ遠征中、悲劇に遭遇する。アシストとしてのプライド、ライバルたちとの駆け引き。かつての恋人との再会、胸に刻印された死。青春小説とサスペンスが奇跡的な融合を遂げた! 大藪春彦賞受賞作(本書裏表紙より)。

【感想】
本書はロードレースを舞台にしたミステリでありスポーツものであり青春小説である。
世の中にはミステリは沢山ある。青春小説も山ほどある。しかしその二つを組み合わせ、なおかつロードレースを中心とした物語となるとなかなかに珍しいのではないか。私が本書を読もうと思ったのはこの一風変わった組み合わせが気になったからである。

ロードレースというのはかなり過酷なスポーツである。
ロードレースには大きく分けてワンデイレースとステージレースがある。ワンデイレースはその名の通り一日で決着が着くレースであり、ステージレースはそのワンデイレースを数日から数週間連続して行い総合順位を競うものである。平坦なコース、山登りのコース、タイムトライアルといった多種のコース(ステージと呼ぶ)でワンデイレースのように一位を競いながら、最終的には全ステージの積算タイムによる総合優勝を狙うのである。本書で描かれているのはこのステージレースである。

ステージレースはその性質から戦略が物を言う。参加チームが狙うのはもちろん総合優勝であるが、数週間にも及ぶレース日程ゆえに全てのステージで優勝するのは体力的に無理がある。例えば最初の方のステージでトップを取ったとしても、最後のステージで順位を下げれば、総合順位では優勝を狙う事は難しい。一方で、全てのステージで一位を取れなくても常に上位に居続ければ、総合優勝を狙うチャンスはある。山登りが得意な選手は、ヒルクライムのステージで全力を出すし、瞬発力に自信があればタイムアタックのステージで上位を狙う。つまりどのステージで勝負をするのか、どのステージでは力を温存するのか、それを天候や他の選手の動向、そして自分たちのコンディションやこれまでのステージの結果と相談しながら決めていくのである。

さらに特殊なのは、この競技は団体競技であるという点だろう。総合優勝や各ステージの優勝者は個人なのに、である。
ステージレースには一チーム六〜九人のメンバーが参加する。その中の一人がエース、残りの選手をアシストと呼び、チームはエースの総合優勝を狙う。もちろん状況によってアシストがステージ優勝を飾ることもある。しかしアシスト役の選手は基本的には自分の順位がどうなろうと、たとえリタイアすることになってもエースを勝たせることに尽力するのである。本書のタイトル『サクリファイス』が象徴するように、エースの総合優勝はアシストの犠牲の上に成り立つ。本書の主人公白石誓もそのアシストの一人である。

本書の魅力はまずロードレース描写にある。本書ではステージレースとしてツール・ド・ジャポンとリエージュルクセンブルクが描かれているがどちらも手に汗握るレース展開で読んでいてとても面白かった。また私は本書を読むまでロードレースなんて全く知らなくルールも全然把握していなかったのだが、本書を読んでいくと専門用語やルールが自然に頭に入ってきてレース描写をきちんと楽しむことが出来た。

一方、ミステリ部分も面白い。コアになるのはチームのエースに纏わる黒い噂。表面上は穏やかだが内面は不穏な各チームメイトとエースの関係。上記したようにロードレースではエースがチームの顔であり絶対的存在であるがゆえにさまざまな軋轢が生まれる。レースの合間やレース中にもそういった影が徐々に顔を出していく。そういった暗い流れがレース終盤の展開と重なって読んでいて非常にスリリングである。

キャラクターで言えばエースの石尾が一番印象的である。普段は寡黙で無表情、常にレースのことを考えている人間だ。レースにおいてもチームメイトから恐れられるほどに、勝利を貪欲に冷徹に求めるタイプである。もちろん勝利を何よりも優先するのは、自分の勝利は自分一人の力によるものではないと理解しているからである。つまるところ自分の勝利はアシストの犠牲の上に成り立っているという強烈な自覚を人一倍認識しているからこそ、石尾は貪欲に勝ちに行く。そのエースとして姿勢はとても強烈な印象を残した。

自転車レースなんて全然分からないという方でも問題なく楽しめる良作。ロードレースと言うスポーツものとして面白く読め、ミステリとしても面白く読め、さらにこの書評では触れなかったが青春ものとしても面白く読める。続編のエデンと合わせてお勧めである。