お題「夕陽」「ヤカン」「暗黒の運命」 PN たぬき

                               
 『暗黒』はその日、日が暮れるまで、とある学校の家庭科室で身を潜めていた。狭く暗い空間で、自分が外に出られる時をじっと待つ。
 鮮やかな紅に染まる空には赤く燃える夕陽があり、教室内を夕陽の色で包んでいた。生徒達が直し忘れたのだろう、食器やヤカンが光を照り返して輝いていた。
 そして、完全に太陽は沈み、夜が訪れた。
 闇が世界を覆い隠し、人は家に帰って家族と団欒を囲む時間。その時間こそ、『暗黒』が動き出せる時間だった。
 かたこと、かた、かたん……。
 誰もいないはずの空間に、小さな音が響く。ヤカンの蓋が、かたかたと揺れて持ちあがると、そのまま宙を滑るように床に落下した。
 からーんっ――――……。
 静かな校舎の中を、甲高い金属音が長く響き渡った。
 そして、ヤカンの底から、にゅーっと『暗黒』は姿を現した。彼は、周囲の様子を探り、人がいないことを確認して安堵した。
 人間は彼のことを妖怪や化け物と呼んで、忌み嫌うからだ。とりわけ、小学生と言う分類の人間は、まっくろくろすけと呼んでは、彼のことを追いまわし、虫籠と言う名の牢獄に閉じ込めようとしてくるため、苦手なのだ。
 もちろん形を持たぬ彼に、隙間がある箱は拘束の意味を成さない。それでも彼の天敵である日光を防ぐには十分な働きがあるので、昼間は何かしらの箱や物陰に隠れて過ごしている。
 彼はゆっくりと、いつものように気の向くままに、その身をゆらゆらと蠢かしていく。淡い月明かりがひりひりと彼の肌を焼くが、我慢できないほどではない。
 校舎を離れ、近くの川を渡り、風が心地よい山の上へとふわふわと浮かんで移動する。人のいるところは彼の苦手な光で溢れているから、通らないように気をつけた。
 山の頂上で、彼は肌を焼きながら、彼の天敵そっくりなまんまるな満月を見上げた。そして、いつものように、伝わるはずのない思いを胸に、月を眺め続けた。
 『暗黒』は、強い光を当てられると、身を焼かれる痛みと共に、この世界から消えてしまうほどにか弱く、儚い存在だ。だから、彼は絶対に昼間に活動することはなく、人々が寝静まった時間しか活動できない。だからこそ、彼には、いつも思い描く願いがある。
 彼は生まれた時からずっと夢見ている。
 太陽に会ってみたい、と。
 もちろん、『暗黒』は太陽に照らされれば消えてしまう。出会った瞬間が、彼が死を迎える瞬間で、それが『暗黒』の運命だ。
 それでも、思わずにはいられないのだ。
 机の中で、部屋の片隅で、深い森の中で、閉ざされた洞窟で、忘れられたヤカンの中で、彼はいつも憧れた。ほんの少しの隙間から差し込む、あの温かく明るい紅の輝きに。
 溢れ出す輝きの余波のような夕焼けの光でさえ、彼の身は耐えられないほどに辛くなり、そして、とても暖かだ。彼はその光が美しいと感じた。
 人を恐れさせる自分とは違う、人に安心と温もりを与える対極の存在。
 『暗黒』は太陽に憧れた。
 だから彼は、太陽の光を写す月を見つめ、尋ねるのだ。
 
 今日の太陽は元気でしたか? 明日は雨だそうですね。残念です。
 
 月はそれには答えずに、ただ一言、いつものように、提案を一つ。
 
 気になるのなら、会ってあげればどうですか? 会いたがっていましたよ?
 
 その返答に『暗黒』は静かに体を揺らす、それはできない、と。
 それは、月も分かっていることで、月は代わりとばかりに毎晩彼と話をする。
 太陽のことを伝えるために、儚い『暗黒』の思いを太陽の代わりに聞いて過ごす。そうして時は過ぎ、月は何時しか沈んでいって、暗かった空に、明るい光が差し込んでくる。
 夜明けがやってきた。
 まだ、太陽は出ていないのに、彼の体はぼろぼろと崩れ始めていた。だから彼は山を降りて、森の中で身を隠す。今日は木の洞穴にしようと、日が当らぬ場所を選んだ。ただ、眠りに就く前に、一度だけ、東の空を見つめた。
 彼が望む太陽が、ほんの少し待つだけで会えるのだ。
 そう思うと、焼ける痛みも無視して、会ってしまおうか、という考えが浮かんだ。
 ゆらりゆらり、『暗黒』は揺れて、自分の考えを追い払う。
 そんなことをしても、一目見る前に消えるだけ。それでは、意味がない。
 会って、話がしたいから、彼は胸を焦がす願望を押しとどめ、ゆっくりと木の中で眠りに就いた。
 いつの日か、あの眩しい光と出会える日を夢見ながら。