今年四月五日、人口二万人の我が街に竜が住み着いた。空に轟く咆哮と共に舞い降りたその巨大な体が街に飛来してから、かれこれ三か月になる。奴が新種の生物なのか、それとも異世界からやってきた化け物なのかはわからない。ただ一つ言えることは、奴のせいで、我々は外に出るのもままならなくなっているということだ。
本来ならば、短い命を燃やして蝉がジージーと鳴いているであろう七月に、街は美しく、ただ一色に覆われていた。
七月十四日。気温三十二℃。湿度四十%。天気 曇り時々――
雪。
肌を裂くような寒さと、ギラギラと輝きは変わらない太陽が、この街は異常であると伝えてくる。
あの竜が現れてから、この街では毎日雪が降る。街の周囲を囲うように吹雪いていて、酷いところでは数メートル先すら見えない。
そのため、道には数メートルもの雪が積もり、車はその役割を果たせない。他都市との交通がほぼ断絶され、街に住む我々は、街に残っていた食料と、命がけで吹雪の中を歩いて荷を運んでくれるボランティアからの物資だけで食いつないできた。
しかし、もはや限界だ。街の中の作物はこの寒さと雪ですっかり枯れてしまっている。街に住む人間は二万人。供給される食料に対して需要が大きすぎるのだ。
このままでは、遠からず我々は餓死するか、吹雪の中を集団で移動して凍死しないことを祈るかのどちらかしかできない。
吹雪の中を生きて出られる可能性は、現在のところ、完全防寒状態で一割。どちらにしても、分の悪い賭けだった。
我々は、手に手に武器を取り、灯油やライターを集めて、竜が住みかにする、小学校へと特攻することを決意した。
巨大な翼と鋭い鉤爪、そして牙が並ぶ口から吐き出される零度を下回る吐息。その全てが、我々の命を奪う必殺の凶器。
真っ白い校庭は、徐々に赤く染まっていき、氷の彫像が生み出されていく。誰も彼もが、死を目にし、覚悟し、恐怖で思考が止まっても、それでも皆、竜に向かっていく。
飢えと寒さによる痛みが、生きる苦しみが、死への恐怖を上回っているからだ。ここで生き延びても、この苦しみは持続する。それならば、いっそここで死んで解放されたい。そして、目の前の化け物を滅ぼす一助になれば、それでいい。
我々の心は一つだ。
それはまるで信仰だ。狂気の熱に当てられて、誰も彼もが死に躍る。あぁ、だが、それでいい。ようやくこの苦しみから解放されるのだ。
我々は、街中から集めた灯油を頭からかぶった。
そして手に手にライターを持ち、竜に近づき、火を付ける。
氷のように冷たい竜の体が、煙を上げて溶けていく。
爪で貫かれる仲間の姿を見ながらも、我々は嬉しくて笑う。
全身を焼かれながら笑う。
体を焼く痛みよりも、迫る死の恐ろしさよりも、苦しげに街中に響く竜の断末魔が、とても心地よいから。
次々に、火だるまになった町の住民が、もだえる竜に殺到して、翼を、足を、燃やして溶かしていく。
もしも今、我々の戦いを眺めることができるなら、巨大な炎の柱が天に伸びる美しい光景を目にできただろう。
そして、竜は死んだ。
雪がやみ、空には太陽が姿を見せるようになった。
巨大な炎で溶けた雪でぬれた小学校で、生き延びた街の住民が喜びの叫びをあげ、笑い、泣き、勝利を湛えた。
この戦いでの死者、一五六三人。
街の総人口の約一割の死者。
吹雪の中を強行した時の死者数よりも圧倒的に少ない犠牲。
たったこれだけの犠牲で済んだことは、奇跡とすら言えるだろう。
我々はこの日を、人類勝利の日として、記憶に刻み込んだのだ。
七月三一日。
その日、一つの噂が流れるようになる。
雪がほとんど溶けてなくなり、街の機能が元に戻りつつあった、蝉がうるさく鳴き始めたその日。
数匹の小さな影が、小学校から飛び立ったという噂だ。
その影は、トカゲが翼をもったような姿だと報告された。
あの戦いの日、狂喜に冒された我々は、校舎の中を探索しなかった。
だから、屋上にあった巣と、数個の卵の殻を見つけた時、己の愚かさを呪い、絶望したのだ。
残りの街の人口、一万八千と少し。
残りの全人類、七十億。
我々が勝利するまであと――――。
我々が滅亡するまで、あと――――。