お題『ザリガニ』『橋』『テント』@三奈月かんな

釣り上げられ、橋の上に置かれたバケツに放り込まれたザリガニが泡を吹き出している。わずかばかり入れられた水すら照りつける太陽で茹だっているのだろうか。
たまに底を這う音がして、まだ生きているんだなと確認できた。
季節は夏真っ盛り。人を刺し殺せそうな鋭い光が降り注ぐ中で蝉がうるさく鳴いている。
濁った池の中に糸を垂らす隆也は、くあ、とあくびをもらした。
台所から拝借してきた凧糸と近くの林に落ちていた枝で作った即興の釣具は数分前からろくに動いていない。あまり水の動きがない池が暑さのせいか放つ臭気、そして下を動いているだろう生き物たちを見せない濁りは隆也にわずかなストレスを感じさせた。
手持ち無沙汰に草笛にしていた葉を噛んで、調子っぱずれの鼻歌を歌っていると、凧糸の先からつんと引っ張られたのが伝わってきた。ゆら、と糸が揺れてから、張る。
それに目を向けた隆也は鼻歌を止めて、枝を持った手をしっかり持ち直す。また何か引っかかった。
もう一回つん、と引っ張られ、今度は緩むことなくさらに力強く引かれる。隆也はため息を吐くと一瞬枝をさげて糸を緩め、そして次にぐんと上へ跳ね上げた。ぎしりと枝が痛々しく撓んで鳴いた。
小さな音と水しぶきと共に獲物が水面へ躍り出る。
少し黒っぽい赤色の甲羅に二本の鋏。ザリガニだ。
ぼとりと糸から剥がした獲物をバケツの中に放り込んで、餌を付け直してはまた糸を垂らした。
しばらくしてバケツにそれなりの数のザリガニを放り込んだ隆也は、重くなったそれを手に立ち上がった。バケツの中は泡で少し白い。
カリ、とザリガニ同士がぶつかる音は蝉の声の合間を縫って聞こえた。まだザリガニたちは生きている。


住居がわりの簡易テントに戻ると、姉の友美にバケツを渡した。
そもそも隆也が真っ昼間にザリガニ釣りをしていたのは姉の頼みによるものだ。
「ホントにこんなの食えるのかよ」
「らしいわよ。まあ、ちょっと汚い水に棲むでかいエビと思えば大丈夫だいじょーぶ」
「汚い水に住んでる時点で大丈夫じゃねーよ」
「あはは」
友美はからからと笑って、ありがとね、とバケツを掲げた。
「もうこれがやだ、あれがやだなんて言えないもの。我慢してね」
「誰も食わないとは言ってない」
食べられるかが心配だっただけだ。
そう言うと、友美はそうね、とまた笑った。
このテントに住むのは隆也とその姉の友美、隣家に住んでいた幼なじみの兄妹二人。この四人だけ。どちらも上は中三で、下は中二。親はどこにいるのか、それとももういないのかも分かっていない。
二週間前、大地震が起こった。人生の中で一番大きいものとなる揺れに襲われたその時、隆也たちはこの公園にいた。あまりにひどい揺れに、四人は一度気を失い、そして目覚めた時には町は壊れていた。
火事にのまれなかっただけマシなのだろう。
廃墟と化した町を探索できるだけの度胸は四人にはなかった。それに、人の気配はなかったのだから、探したところで意味はないだろうと自然に悟られた。もしかしたら隣の町へ行くべきだったのかもしれないが、その道は崩れた家などで遮られていたこともあって、なかなか踏ん切りがついていない。
もちろん携帯やらなにやらの電子機器は役立たずだし、持ち出した食糧はもう尽きかけている。幸いなことに、水道はまだ生きているから、今は飲み水の心配はしなくてもいいのが救いだった。
それにしても、夏であっただけマシだったのだろう。冬なら凍え死んでいたかもしれない。
そんな中で、まだ誰とも会えていない。一応町を回ってみているのだが、四人以外の人を見かけたことはなかった。そろそろ、待つだけではなく、自分たちから探しに行くべきなのかもしれない。
じゃあごはん作るわね、と言う姉は少し楽しそうだ。隆也は頼むと言ってきびすを返した。周りに生えている草でもとってこよう。ザリガニだけ食べるよりはきっとマシだろう。
じわじー、と周りの木立の中で蝉が鳴いている。


夕飯はザリガニとそこらへんの草を使ったスープと米。味付けは塩くらいのものでそっけないが、それでもしっかり食べられるだけマシだろう。
少々泥臭い気もしたが、思ったより普通。それどころか、ザリガニはエビのような味がしてむしろおいしい。
探索や物の調達から帰ってきた兄妹も含めて、四人は目を丸くしながらもおいしいと平らげていく。鍋からそれぞれの皿にそれぞれがよそう形になっているおかげで小さな争奪戦だ。
「そろそろ、なんとかしないとね」
そんな中、隣家の兄がぽつりと呟いたのに、隆也たちは無言で箸を進めた。分かっていることだ。確かに、もう動かないと。
二週間経っても救助が来る様子などないのだ。このまま待っていたところで埒があかない。米はまだ余っているけれど、それだって限界があるし、他のものもなくなってきている。
隆也が暗くなってきた空を見上げれば、そこには気の早い月があり、星と共に光って見えた。その仕草に気がついた友美が同じように空を見る。目を細めて、どこか暢気に呟いた。
「星がきれいだねえー」
夜空に光る星たちは今日も何も変わらない。あの日から雲はかからず、毎日同じ星を見ることができる。夕立さえ降らず、誰にも邪魔されることはない。自分たちが作る火以外はろくに明かりもない世界では、星たちは鮮やかに星座を作っていた。
そよ風が吹いて、まわりが小さくざわめく。その音を聞きながら、隆也はぼんやりと夜空を眺めた。隣家の兄妹も、友美と同じように今日も綺麗だね、と言い合っていた。
気温は夜になって下がって、すごしやすくなっている。昨日も一昨日もこんな気温だったな、と思えば隆也はため息をつきたくなった。他の三人はまだ違和感を覚えていない。けれど。

……ああ。ここはどこなんだろう。

隆也はそう思いながら、目の前のスープを見た。
殻をむかれたザリガニが丸まって白い肉を晒していた。