西尾維新「少女不十分」@江乃本

あらすじ

作家として名を馳せる三十路の「僕」は、自分の物語作りの基礎となった、トラウマとも言うべき出来事を回想する。当時大学生だった自分と、あるきっかけで出会った少女との交流を描いた物語。

感想

この本を読み始めた上で最初に気にかかったのは、この本は果たして小説なのか、それとも作者の自叙伝的な物に当たるのか、ということである。
結論から言ってしまうとこの話は当然フィクションであると考えられるのだが、それでも主人公であるところの「僕」は作者自身をベースにしているであろうことは想像に難くない。
そうでなくとも、冒頭でこれほどまでに、これは今までのような作り事の物語でなく実際にあった出来事である、と念押しされれば、誰でも、そうなのかもしれないと思うことだろう。
そういう意識でこの本を読み進めていった結果、「少女」と「僕」の気味の悪さが一層際立ったと感じられる。
まず「少女」は、その挙動のひとつひとつが異常であり、取るべき行動の基準、優先順位が完全に間違っているとしか言いようがない。
そして主人公である「僕」もまた、読者にとっては全く理解できないような行動を取り続ける。
そんな登場人物たちの関わり合いを見ていく中で、まだ頭の片隅でこれは実際に起きた出来事なのかもしれないと思っている読者の身としては、気持ち悪さを感じずにはいられなかった。
でもその気持ち悪さを改まって説明しようとしても、上手い表現が見つからないのである。
自分が決して関わることのない、関わりたくない、滅茶苦茶な人たちの行動を見せつけられているから、だから不安が募るのだろうか。
しかしその後の展開で現実的にありえないことが続き、ようやくこれはフィクションであるという確信を経て、謎の安心感を得ることになる。
それでもまだ不安が完全に払拭されたわけではない。
冒頭で、これから語る話に起承転結はなく、気の利いた落ちもなく、ましてエンターテイメント性などない、と宣言されているのである。
「僕」と「少女」は幸せになれません、とネタバレされているようなものだ。
「気味の悪い話」から段々と「いい話」になっていく物語ではあるが、このネタバレのせいで読者は最後まで気を抜けない。
結果として、確かに「僕」の物語はあまり幸せでない終わり方をする。
だが私は読み終わったあと、気持ち悪さはどこへやら、思わず笑ってしまうほどに幸せな気持ちになった。
要するに最後の最後まで振り回されたわけである。
いつの間にか引き込まれて、いつの間にか不気味になって、いつのまにか幸せに感じた、不思議な物語であると、私は感じた。