お題『天使』『竜』『最初の物語』@窪屋 綾人

 夜空を舞うは一匹の黒竜。その口から放たれた幾数もの火球は、山間の小さな町を飲み込んだ。
 夜が明け、町中の物を燃やし尽くした炎が治まったころ、町の中心あたりで一人の少年が目覚めた。
「んぅ……あれ、どうして俺は?」
 起き上がった少年が自らの両手や両足、身体の至る所を見渡す。その身体には傷や火傷どころか煤一つついていない。
「なんで」
「やぁやぁ、目が覚めたかい?」
 少年の呟きに答えるかのように、声を掛ける者がいた。少年は不意をつかれたのか慌てた様子で声のした方へと身体を向ける。その視線の先にいたものは、一見して人ならざるものであると少年には分かった。
「あの、あなたは?」
「先に質問したのは私なのだがね、まぁ良いだろう。私はミカエリス。見てわかる通り天界の神々に仕える天使だ」
 白いローブのようなものを纏うその人物は、地面よりも数十センチほど空に漂ったまま答えた。その背には純白の羽を広げ、頭上には『私は天使だ』と主張するかのように、光輪が輝いている。少年が唖然としているのを見て、天使は説明の言葉を口にした。
「なぜ生きているかというのを知りたいのだろう。それはもちろん我々が冥界へと誘われし貴君の魂をこの世に留めたからだ。身体の傷はついでに治しておいた。目を覚ました途端全身の痛みで死なれては困るからな」
「あ、あの。どうして僕は生き返されたんですか?」
「それは貴君に使命を果たしてもらおうと思ってな」
「使命……ですか?」
 意気揚々に答えた天使に、少年が恐る恐る尋ねた。少年はこの世に生を留めたことへの喜びよりも、天使から告げられるであろう使命とやらへの恐怖を感じていたのだった。それを感じ取ったのか、天使は少しだけ微笑むと、問いかけるように話し始めた。
「貴君は竜についてはどれほどまでに知っているだろうか?」
「え、えーっと。昔話で聞いたぐらい、です」
 少年の答えに天使はうんうんと何度か頷く。
「まぁそうだろう。本来、竜というものは人前へと現れることはないからな。それは太古より人と竜の間に交わされた契りの為だ。だから貴君らも伝説や昔話としてしか竜を知ることはないだろう。それほどまでに人と竜とは別の世界を生きる存在だったのだ。だがその関係は崩れ去った。知的で誇り高き竜が、野蛮な獣のようにただただ残虐にも人々を襲ったのだ」
 そこで天使が一旦言葉を切る。少年が不思議そうに天使を見つめると、天使は少しだけ固い表情をした。
「貴君にはその謎を明かしてもらいたい。なぜ、突然竜は人々に襲い掛かったのか。何が起こっているのか。そのために貴君はこの世に生を留めたのだ。つまり――」
「つまり?」
「申し訳ないが、貴君がこの使命を果たすことを放棄した場合、私は貴君の命を冥界へと送らねばならない」
 そう言って少し顔を曇らす天使の姿を見て少年は、自らに選択権がないことを思い知らされた。
「そう、ですか」
「苦しい思いをすることになるだろう。それが嫌だというのならば、今この場ですべての苦しみから解放することも可能だ。そのうえで問いたい。貴君はどうする?」
「僕は……やります。その使命を果たします。そのためだけの命だったとしても、僕は町のみんなが死ななければならなかった理由を知りたい!」
 少年の言葉に天使は口元を緩める。
「そうか。ならば私は貴君を全力で手助けしよう。さぁ立ちたまえ。これから貴君の旅路が始まるのだ」
 少年が天使の差し伸べた手を掴む。

 少年の物語が今、動き始めた。