お題『望遠鏡』『丘』『秘密』@助野 神楽

「子供の頃はさ、近い方が良く見えるんじゃあないかと思って、高い山に登ってさえみれば良いって思ってたんだよなあ」
「今の認識は?」
「十五歳の時、実験的に富士山山頂で見てみたら、もう息を飲むほど綺麗だったことが僕の勘違いを助長したんだろうな。ここの丘は標高二百メートルもないけど、今までの人生で最高の星空だ」ロバートは興奮の余り早口になっていることに、おそらく気付いていない。
「それは良かった」
「なあ、スバル。君は僕のように考えなかったのかい?」
「いいや。その発想は無かった。というのも、小学校の教師が典型的な勘違いの一例として説明するのが、僕が星を見るよりも先だったのさ。いくら標高の高い山に登っても、地球と他の星との距離からすれば極めてちっぽけで、意味がない、ってね」僕は無意味なことに、肩をすくめた。「重要なのは、大気中の塵が少ないことなのさ」
「ううん、何だか恥ずかしいな。僕が指摘されたのは十九のときなんだぜ」
「そう恥じることもないさ。昔、君と似たような仮説を立てた科学者がいるん……、おっと! 来たぞ」僕は視界の端に一筋の閃光を捉えた。
「本当か! じゃあ、こっちももうすぐかもな。準備する」
「また来た! 南の空だ。やっぱり望遠鏡いらないよ、これは」僕は望遠鏡から目を離し、丘の草原に寝転ぶことにした。多少コートの背中が砂と草で汚れるが、気にしないことにする。夜中なのに息が白いのがはっきりと分かる。
「こっちも来た! 方角は北北西、ここまではっきりとしたのは、久し振りだ」ロバートも僕と同じ体勢を取る。「日本じゃあ、消えるまでに三回願いを唱えると、叶うんだって?」
「そう言われている。試したらどうだい?」
「いや、やめとく。第一無理だろ? いくら今日みたいな日でも、一瞬だぜ。『金くれ』ならなんとかいけそうだが、叶ってもなんか嫌だろ?」ロバートが冗談めいた口調で言う。
「違いない」僕たちは笑い合った。
 話している間も、いくつもの流れ星が、僕の姿勢からでは、時間的に、そして座標を無秩序に流れる。
 今日はペルセウス座流星群の極大日である。
「凄いな」ロバートの声。「世界の終わりかもな」
「うん」
「スバル、覚えてるか?」
「何を?」僕はとぼける。
「三年前、あの日も、まるで空が落ちてくるみたいだった」
「そうだな」あの日は、確か双子座流星群だった。
「ありゃあ、忘れたくても、忘れられねえ」
 僕は答えない。
 ロバートは続けた。
「この先、この景色を見る度に、僕たちは思い出すんだろうな」彼の表情は、分からない。「これって、呪いかもな。あの男の」
「あの人の、意思だと?」
「今となっては、分からねえよ」
 僕と彼の、秘密の共有。彼はそれを、呪いと言う。
 僕には、怖くて確かめられない。恐らく、今後も。
 それでも、目の前の光景は、ただ雄大で、儚くて、怖くて、優しい。これらは、今だけは矛盾しない。
「……やめにするか?」
「ああ」
「悪いな、こっちから振っといて」
「気にしてない」
「全く、暑い。今夜は熱帯夜だな」
「風は吹かないのか?」
「凪みたいに静かさ。そっちは?」
「もう風が寒い。しかも乾燥が凄いよ」
「だから言っただろ。ニュージーランドにしとけって」
「仕方ないじゃあないか。キャンベラの市街地を見たかったのさ」
「欲張るねえ。こっちは明日は寺院巡りだ。念願だった鹿煎餅も買う」
「君こそ欲張っている」
「はっ。こっちは東京見物を捨てたのさ」
「せめてイルカを見ていくことにするよ」
 僕は流星のほとぼりが冷めた後も、タブレットの向こうの友人と討論していた。