お題「脳」「夏」「名」@御定言兵衛

 カランコロン。カランコロン。
 俺の部屋にやって来た夏が、グラスの氷を溶かしながら音を立てる。
 ミーン。ミーン。
 少し気の早過ぎた蝉が一人部屋の外で淋しさを訴えている。まだ世間は花見だなんだと浮かれているのに俺だけが夏と共にいるようだ。部屋には散乱する清涼飲料の空き缶、カップ麺の器、スナック菓子の袋。ギリギリ足の踏み場はあるといったところか。謎の異臭を放ち始めてるものまである。
「俺の気持ちを解ってくれるのは、お前くらいだろうなぁ」
 部屋の熱気に脳を溶かされてしまった俺は窓の外の蝉に話しかける。
ミーン。ミーン。
「そうだね。今、僕も夏にひとりぼっちさ」
喋った。いや、声が聞こえた。ついに頭がバグったか?蝉、半翅目セミ科の昆虫の総称。翅は膜質で透明。辞書的な意味が頭をめぐる。まあ、こんなうだるような暑さの中なら蝉の声の一つやふたつ、聞こえるだろう。きっとそうに違いない。適当に自分を納得させる。
「一週間くらいだけど、仲良くやっていこうや。ひとりぼっちどうしさ」
 ミーン。ミーン。
 返事をするように蝉が鳴く。蝉に語りかけている。端から見たら完全に異常者だ。
「ところで、蝉よ。お前は名前は何ていうんだ?」
 ミーン。ミーン。
「僕たちには名前はないよ。」
「へぇ、なくても困らないのか?」
 ミーン。ミーン。
「僕たちは一生の間で一人としか出会わないから」
「なんだそれ、ロマンチックじゃん。でも、名前がないのは不便だから。何て呼べばいい?」
 ミーン。ミーン。
「じゃあ、319って呼んで」
「わかった」

俺と蝉の声だけか響く奇妙な空間。
それからちょうど七日間俺と319はいろんなことを語り合った。

そして七日目。
 ミーン。ミーン。
「じゃあね」
「どこかいくのか?」
 ミーン。ミーン。
「うん、どこかにね」
「そっか、元気でな、」
そして319は飛び去っていった。
部屋には涼しげな風が吹き抜けていった。こうして、俺の部屋にやって来た季節外れの夏は蝉と共に去っていった。