お題『ダイイングメッセージ』『障子』『台所』@助野 神楽


「事件が起こったのは片田舎にあるごく普通の日本家屋。被害者はその家に住む主婦だ。亭主は表具師をしている」
 先輩は唐突に話し始めた。
「被害者はリビングのテーブルに突っ伏した状態で死んでいた。死因は鈍器で頭を背後から殴られたことによる脳挫傷、即ち撲殺だ。死亡推定時刻は正午」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。速いです。随分簡潔に言いますね」
「待ったは受け付けない。先刻も言ったが、僕には時間がない。君のために費やせる時間は残り七分四十三秒だ」
 メモを取っていた私は慌てて懇願したが、見事に切り捨てられた。
「部屋は荒らされていなかったため、怨恨の線で捜査が進められた。一見するとなんの変哲もない事件だが、少々捜査員を混乱させるものが現場にあった、それが」
「ダイイングメッセージ、ですね」私は絶妙のタイミングで続けた。
「……半畳も茶々も甘受しかねる。君は話の進行を妨害するのがお好きなようだね」
「いえ、あの……すいませんでした」
「時間を限定された君としては、話を早く先に進めたいと思うのは至極道理だが、逆効果だ。現にたった一言で、君は十三秒ほど浪費してしまったようだ」
 私は何も言えない。
「話を続ける。被害者の右手にはボールペンが握られていて、テーブルの上においてある紙――といってもビラの裏紙だが――の左上の方に『障子』の二文字が書いてあった」
 彼はコーヒーを一口飲み、続ける。
「一部の捜査員は色めきたったのだが、それには理由がある。被害者の通うカルチャーセンターに、障子、という名字の男性講師がいた。……どうぞ」
 どうやら私は何か言いたげな表情を浮かべていたらしく、先輩から促された。
「あ、はい! ええと、被害者の利き手はどっちですか?」
「成る程、犯人が別の人物の犯行に見せるよう、ダイイングメッセージを偽装した可能性を思いついたようだが、残念ながらペンを握っていた右手だ。それにペンには被害者の指紋しか見つかっていない」
「じゃあ、ええと、被害者は即死だったんでしょうか?」
「何が、じゃあ、なのか分からないが、質問に答えよう。言ってみれば、ほぼ即死、という状況で、死の間際に何か書き残すことは十分可能だ。またしても偽装の可能性を疑ったようだが、仕方ない、混乱を避けるために先に言っておくと、メッセージは間違いなく被害者が書いた、そう考えていい。他に質問は?」
「あ、いえ。無い、です」突然のヒント的発言に、私はかえって混乱してしまい、質問を思いつかなくなっていた。
「話を戻す。当然警察はその障子氏に事情聴取を行った。だが早くも捜査は行き詰る。障子氏には鉄壁のアリバイがあった。ディティールは省略するが、トリックの類などは一切ない、完璧な現場不在証明と考えていい。さて、情報提供は一旦休止する」
「え、あの、これだけですか?」
「違う、僕にはもう一つ、この謎を解く大きな手掛かりとなる情報がある。ヒントといってもいい。これを聞けば君でも直ちに真相に辿りつくだろうね」
「教えて下さい、今すぐ」
「いや、まずここまでの情報で思考を巡らせてからだね……」
「時間が無いって仰ったのは先輩じゃないですか。先輩ほどじゃないですけど、私も時間を無駄にするの、嫌いです」
「同じ時間でも、君は思索より説得や嘆願に費やす訳か……まあいい」
 先輩は嘆かわしそうに額に手を置いたが、私は気にしない。
「話そう、被害者の家の台所だが、小麦粉が煮てあった」
 五秒ほど無作為に過ぎる。
「……それで?」私は訊いた。
 先輩は口を開いたが、言葉が出ないようだった。この先輩にしては、珍しい現象だ。
「……分からなかったのか?」
「そうですね」
「もう解答を言う。犯人は被害者と仲の悪い主婦仲間の一人だった。所謂口論の末の突発的犯行だ」
「え? じゃああのダイイングメッセージは?」
「立ち上がるな、座りたまえよ。台所で小麦粉が煮てあったと言っただろう? あれは障子の張り替えに使う澱粉糊だ。つまり被害者は表具師の旦那に障子を張り替えてもらうよう糊を作り、障子を張り替えておいて下さい、という書き置きを書いている最中で殺されたんだ、正確には、二文字書いたところでね」
 私は言葉が出ない。驚愕よりも脱力のため。
「たまたま、障子、なんて珍しい名字の関係者がいたためにダイイングメッセージと誤解されただけなのさ。――そろそろ時間だ。失礼するよ。あと最後に一言」
 先輩は立ち上がる。
「現実は小説よりも奇なり。実際に起きた事件をミステリのネタにするような真似はやめておけ。じゃあな」
 無口になった私を残して、先輩は去って行った。