お題『雨宿り』『地図』『刀』@古川 砅



 木の葉と土に打ちつける、絶え間ない音。
 地面から立ち上がる、熱と湿気。草の匂い。
 僅かに吹き寄せる、冷涼感。
 雨だ。
 そして、ここは、どことも知れない、山奥だ。


「あの山、あるだろ。あそこに良い釣り場があって」
「俺は、釣りに興味は無いんだが」
「大丈夫大丈夫。じゃあ、明日、ふもとの駅に集合で」
 昨日の、職場の同僚との会話である。


 釣り具は同僚が揃えるというので、
 ハイキング用の装備で、駅に降り立ったところまでは良かった。
 ただ、駅に着いてから数分後、同僚が、
「悪い、遅れる。地図を送るから先に行ってくれ」
 と、連絡してきた辺り、正確には、
「わかった。待ってるぞ」
 と、俺が返した辺りからが、不味かった。
 彼から送られた地図を見ると、目的地までの距離はそれほど遠くないらしい。
 多少入り組んでいるが、すぐ着くだろう。
 そう思いながら、山中を歩いていたが、途中で、携帯端末の充電が切れた。
 何とかなるだろう、と歩き続けるも、それらしき水場は、一向に現れない。
 いい加減、疲れてきたところに、にわか雨まで降り出す。
 不幸中の幸い、偶然見つけた小屋の陰に、逃げ込んだ。
 山道に迷って、雨宿り。
 端的に言えば、それが現状である。


 雨はしばらく止みそうにない。
 傘を持ってこなかったのも失敗だった。
 手持ち無沙汰に、小屋の外観を見る。
 木造に見えるが、壁が朽ちている様子もないし、掃除された跡もある。
 誰かが使っているようだ。
 中を覗くと、思ったよりは広い。
 並んだ机の上に何か載っていた。
 山菜、瓶詰め、工芸品。壁に何故か、流木。
 土産物屋だろうか。
「ちょっと」
 振り向く。
 初老の女が、傘を片手に立っていた。


「そういうことかい。あたしはてっきり盗人かと思ったよ」
 品物の整理をしながら、彼女は言う。
 やはり、この小屋は、土産物屋らしい。
 何故こんな山中に、土産物屋があるのか。
「知り合いの手伝いだから、よくは分からないけど」
 どうやら、この山は、ある武人縁の地らしい。
 近くに史跡があり、日によっては、それなりに人が来るそうだ。
「この辺りに釣り場は無いのか」
「聞いたことはないねえ。ああ、でも、川とか池ならあると思うよ」
 まあ場所までは分からないけどね、と彼女は続ける。
 店内を見回すと、ふと、壁に掛けられた地図に目が留まった。
 この辺りの地形が、詳細に描かれている。
「少しいいか」
「何だい」
「この地図」
「ああ、地図かい。商品のおまけだよ。それは原本だ」
 整理は終えたらしい。彼女がこちらに寄ってくる。
「アレがあまりに売れないもんだから、趣味で書いた地図を付けてみたらしいよ。
 上手いもんだ。けど、まあ、売れないものは売れないねえ」
 しみじみと、うなずいている。
「この地図が欲しい」
「本当かい?アレを買わなきゃいけないよ」
「何でもいいから、売ってくれ」
「そうかい?」
 ちょっと待ってくれよ、と彼女は店の隅へと向かった。
 戻ってきた彼女は、何やら長いものを持っている。
「はい、これ」
「何だ。これは」
「木刀」
 上手いもんだねえ、としみじみうなずき始めた。


 その後、雨は止み、俺は池に着いた。
 木刀片手に現れた俺を見るなり、同僚が、大きく吹き出す。
「買う奴いるんだな、それ!」
 あの店には何度か行っているらしい。
「洒落たインテリアだろ?」
 釣り竿を手渡す同僚は、まだ、笑う。
 黒みがかった雲が裂け、白い光が下りてくる。
 昼には、空も晴れるだろう。
 俺は、こまめな充電を心の中で誓いつつ、
 淡くゆらめく水面へと、釣り糸を投げた。

お題「金貨」「アリ」「悪魔」@間雁透

担任の先生に頼まれて手伝いをしているうちに、すっかり遅くなってしまった。とは言っても夏は日が長いので、窓の外はまだまだ明るい。じりじりと日が射して、うるさいくらいに蝉が鳴いている。

 階段を下りて、下駄箱へ向かう。今日は部活の練習はないし、このまま一人で帰ることになる。いつもは一緒に帰る友達がいるんだけど、遅くまで待ってもらうのも悪いので、今日は先に帰ってもらったのだ。

 けれど。

「やっぱり寂しいなぁ」

 靴を履き替えながら呟いた。声は誰かに届くわけでもなく、無人の昇降口にむなしく響く。自然と溜息が出た。

 校門を出て、まっすぐ家へ向かう。僕の家は、ギリギリで自転車通学範囲外だから、結構遠いのに徒歩で通学しないといけない。普段は、こっそり自転車通学の友達に二人乗りさせてもらってるんだけど、今日はそれもできない。憂鬱感は増すばかりだ。

 そんな気分でひたすら歩いて、ようやく帰り道の真ん中まで来たくらいの頃だった。

 僕は道路の真ん中に座り込む、真っ黒なローブを着た柳沢君に出遭ったのである。



 僕の通う高校では、「あの変人の柳沢」といえば、それは1年1組出席番号20番の柳沢健介を指す。彼を一躍有名にした「西グラウンドミステリーサークル事件」は、まだ記憶に新しい。オカルト研究会会長を自称していて、教室でも何やら難しそうな本ばかり読んでいる。

 どうして僕がこんなにも彼に詳しいのかというと、単にクラスが一緒だからである。その上、出席番号順に並べたときに僕の前の席だから、嫌でもその姿が目に入るのだ。

 そんな訳だから、黒ローブの後ろ姿をすぐに柳沢君と判断できてしまうのも仕方のないことだと思う。とにかく、あまり関わり合いになりたくない相手だ。見なかったことにして、別の道から迂回しようとすると、

「おい、そこの男、何を見ている」

 と、振り向いた柳沢君に声をかけられてしまった。別にこのまま黙って走り去ってもよかったんだけど、一応クラスメイトだし、軽く挨拶くらいはしておくべきかと思った。

「やっほー、柳沢君。……何してるの?」

「ああ、吉本くんか。なに、ちょっと悪魔を召喚しようと思ってね」

 言って、わはははは、と笑う柳沢君をよそに、僕は少し驚いていた。柳沢君が僕の名前を即答したことについてである。一度も話したことないし、教室で完全に認識されてないと思っていた。

 って。

「悪魔って、えーー!?」

「今、驚くまでに少し失礼な間が入らなかったか?」

 冷静な突っ込みを入れる柳沢君の足元を見ると、そこには漫画とかで見たことがあるような魔法陣じみたものが描かれている。そしてその中心には、黒く蠢く妖しいモノ――

「柳沢君、それって……」

 もしや、本当に召喚途中の悪魔とか? 自分でも変なことを考えているのはわかるけど、柳沢君には、彼ならもしかして……と思わせる不思議な雰囲気があるのだ。

「ああ、これか」

 柳沢君はその黒いモノをつまむと、僕の目の前へずい、と突き出した。

 恐る恐る目を凝らすと、それはアリだった。足元に目を落とすと、おぞましいほどの数のアリが、魔法陣に群がっている。

「召喚のための生贄を何にしようか悩んだんだ。人間なんて論外だし、カラスとか猫はかわいそうだろう。でもアリンコ程度ならいくら使ってもいいと思ってな」

 結構えげつないことを言った後、そうだ、余ったからやろう、と柳沢君が何かをくれた。金貨みたいな包装で、めくるとチョコレートが出てくるやつだった。

魔法陣のアリの隙間から、溶けかけのチョコレートがちらちらのぞいている。子供のときから結構好きだったけど、これにあのアリが群がってるんだと思うと食べる気がおきなかったので、丁重にお断りした。

柳沢君は不快に思う様子もなく、そうか、とだけ言ってチョコレートをポケットにねじ込んだ。
……。

変な沈黙が生まれる。お互い、今日はもう話す事はないようだ。

「それじゃ、僕、帰る途中だから」

 そう言うと、別に惜しむわけでもなさそうに、またな、と言って、柳沢君は手を振ってくれた。



 別れたあとも、しばらくは柳沢君のことを考えていた。変な人だと思って今までは敬遠していたけど、いざ話してみると、案外普通の人だった。

「……またな、か」

 別れの言葉を思い出して、一人呟く。いや、普通に明日、教室で会うんだけど。

 ああ、そうだ。明日は僕から話しかけるのもいいかもしれない。昨日のはうまくいった? みたいな感じで。

まぁ、うまくいくわけないけど。

 そんな事を考えていると、さっきまでの憂鬱な気持ちも、少しは軽くなったような気がした。






















 夜な夜な町を異形のモノが徘徊しているという噂が流れ始めたのは、その翌日からだった。

野村美月『陸と千星 〜世界を配る少年と別荘の少女』@祈灯愁

あらすじ
両親の離婚話に立ちすくむ千星(ちせ)。明るく笑ってみせることで、壊れそうな家の空気を辛うじて保ってきた。けれど本当は、三人で一緒にいたいと、素直に泣ければよかったのだろうか……。新聞配達のアルバイトを続ける陸(りく)。母は家を空けたまま帰らず、生活の他に必要だった。ただ絵を描いていたい、そんな願いも叶わない。それを恨んでも憎んでもいないけれど、今までの自分は笑ったことなどあったのだろうか――。そんな二人が、出会う。切なく繊細なひと夏の物語。(裏表紙より)

感想(ネタバレ無しのつもりです)
この作品は、しっかりとした構成で起承転結を書かれていますが、特に大きな山があったり、大どんでん返しがあったりする話ではありません。しかし、繊細かつ丁寧な心理描写により、ほんのりとした温かみを体全身で感じることができる作品です。私にとって、特別な一冊になった気がします。
泣けない少女千星と、笑えない少年陸のふたりの視点を交互に描いていくことにより、お互いに考えていることや思っていることが直に伝わってきます。それだけに、ふたりに対して、もどかしくなったり、悲しくなったり、嬉しくなったり、様々な想いを抱くと思われます。最後の結末は、読む人にとって不服に思う人もあるかもしれません。しかし、この結末は実際に起こりそうなことであり、現実に千星と陸が住んでいるような、そんな想像をしてしまいました。
野村美月先生といえば、文学少女シリーズをはじめ、様々な作品を書いておりますが、この作品はそれらの作品を少し思い出させてくれるような作品となっています。あとがきにもあるように、長年温めた末の作品ゆえ、そういったものが表れたのだと思います。野村美月先生の作品を読んだことがない方にもおすすめの一冊ですし、一通り読んだという方にならよりおすすめの一冊です。
以上で小説の紹介を終わります。ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。もしよろしければ、小説を読んでみてください。最後に、更新が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。

森博嗣 「悪戯王子と猫の物語」@青桐李

内容紹介

一度しか読むことができない物語を旅する悪戯王子と猫。彼らが出逢う20の物語は、ときには優しくときには残酷、ロマンティックでしかもリアリスティック。無垢と頽廃を同時に内在する、ささきすばるのイラストと、詩的な森博嗣の文章とが呼応し、次々と展開するイメージ。観念の世界を揺蕩う大人のための絵本。(Amazon 商品ページより)

感想

この本はミステリではなくショートショート集あるいは散文詩集といった体裁です。ささきすばる氏の挿絵と森博嗣氏の文章が、幻想的な世界観を醸し出しています。

私がこの本の中で一番好きな作品は『海岸を歩く』という作品です。夕暮れの浜辺を二人で歩いているシーンを描いているのですが、短い文の連続で描く海の情景が幻想的かつとてもリアルでその情景が目に浮かぶようです。

『ここはラッキィな場所だ。何故だか、そう思う。
 どこかに、それを示す看板がないか、と探したけれど、
 君の瞳の中にも、見つからなかった。』

この作品はハッピーエンドではありません。ですが、この結末こそ、数ページしかないこの作品の美しさを形作っていると感じられます。

太宰治「パンドラの匣」@砂金

あらすじ

「健康道場」という風変わりな結核療養所で、迫り来る死におびえながらも、病気と闘い明るくせいいっぱい生きる少年と、彼を囲む善意の広人との交歓を、書簡形式を用いて描いた表題作。社会への門出に当って揺れ動く中学生の内面を、日記形式で巧みに表現した『正義と微笑』。いずれも、著者の年少の友の、実際の日記を素材とした作品で、太宰文学に珍しく明るく希望に満ちた青春小説。(裏表紙より)


感想

パンドラの匣』と『正義と微笑』はどちらも読み終わるとさわやか気分になります。
少年達が病気を抱えていたり、不安や葛藤の中で悩む中で、希望を見つけ青年へと成長を遂げるまぶしい姿に引き付けられました。

若者に限らずおすすめできる作品だと思います。

 お題『海の家』『夢』『ライター』@助野 神楽

 
 夢を見ていた気がする。
 目を開けて、広がる世界は白い。
 真上の景色は普段見ていないために、目を覚ますたび自分の現状に混乱する。
 眠る前の自分と今の自分は本当に同一なのか、そんな幻想的な疑問に駆られる。ほんの一瞬だがそう信じ込んでしまう。
 それでも次の瞬間には、ここがどこだか分かった。
 右も左も白い。目の前に広がるカーテンも白い。これは光の色だ。
 僕の着ているガウンのような服だけ薄い青色だった。
 ここは病院の上で、自分は入院患者だと、データを読み込むように言語化して思い出していく。
 自分が何故入院しているか、まだ思い出せない。箱の中に手を突っ込んで、触覚だけで何かあるのかぼんやりと分かる感覚に似ている。
 辺りを見渡すと、ベッドの脇のサイドテーブルに眼鏡が置いてあった。自分は眼鏡を使っていたのかと思い出して、それを掛ける。視界は鮮明になる。
 左手に違和感を感じた。見ても特に異常はなかった。
 喉か渇く感覚。
 散逸。
 視界が曇る。
 自分の瞼が落ちていくのが分かった。
 頭を振って眠気を覚ます。
 同時に、自分が煙草を吸いたいのだと意識した。左手はその感覚を頭より先に思い出していたようだった。
 他に思い出すのは、絵葉書のような景色。一瞬だけスチール写真のように頭をよぎった。
 辺りを探るが、煙草もライターも見当たらない。
「――さん」不意に声が聞こえた。名前を呼ばれたのだ。
 森の中の野鳥の鳴き声のように、風のように通り過ぎる。
「おはようございます。よく眠れましたか?」ベッドを仕切るカーテンが開かれ、看護師の女性が顔を出す。
「煙草、知りませんか? 僕のライターも」この人の名前はなんだったか、と思い出しながら僕は訊いた。
「駄目ですよ、患者さんが喫煙しちゃあ」僕に体温計を渡して言った。
「ああ、そうですよね」
「お昼の診察が終わってからにして下さいね」
「ああ、いいんですか?」
 意外だった。



 昼過ぎには外出許可が下りた。
 診察で医師に何と言われたか、もう覚えていない。
 涼しい場所に移動したくて、病院内を歩き回った。大ホールから中庭に出られた。
 硝子製の両開きの扉で、遠くに海が見えた。
 扉を開いた途端に潮風が僕を包み込む。乱反射する水面が眩しい。
 ウッドデッキにオープンカフェのようなパラソルと椅子が置いてあったため、そこに座って海を眺める。
「ここにいたんですね」気付かなかったが、看護師の女性がこちらに歩いてきていた。
「お昼休みですか?」
「いいえ、こちらをお返しに」彼女はポケットから煙草の箱とライター、そして携帯灰皿を僕に差し出した。
「ああ、忘れていました」
 僕は受け取って、煙草の箱から一本取り出した。そのとき気付いたが、三本しか入っていなかった。
「今日はそれだけにして下さいね」こちらの考えを見通したように、僕に言った。
 僕は苦笑しながら、ライターで火を点け、煙を吸った。
「私も、座っても?」彼女が言う。
 僕は手で空いている椅子を示した。
 彼女は会釈して腰掛けた。
 潮風に気を付けながら、煙を吸って吐き出す。このとき風向きから彼女に煙が当たらないことを確認した。
 灰皿に灰を落とすと、看護師の彼女がこちらを見ていることに気付いた。
「宜しければ、一本吸われますか?」何となく訊いてみた。
「あら、ありがとうございます」
「え? 吸われるんですか?」
 意外だった。
 僕は彼女になけなしの煙草を一本手渡し、火をつけた。
 彼女は実に美味しそうに煙を吸う。
「どうですか? お加減は」僕に訊いてきた。
「だいぶ良くなったと思いますよ」
「そうですか」
 間が空いた。
 僕は煙草を灰皿に仕舞う。
 ニコチンを摂取して頭が冴えたのか、不意に思い出す。
「夢を見たんですよ」
「はい?」彼女はこちらを向く。
「湖だか池だか忘れましたが、ボートに乗っていたんです。そこでウトウトしている内に遭難してしまって」
「それって、海難事故ですよね」
「昼前から一人でボートなんか乗ってたものですから、目を覚ますと夕方なんです。上も下も真っ赤な景色で」
「夕暮れですか?」
「ええ、こんな状況でなくては感傷に浸っていられるような幻想的な景色です。でもそれどころじゃあないから、ボートについているオールでとにかく漕いで陸地を目指すんです」
「そこで目が覚めたんですか?」
「厳密には、違いますね。ずっとオールを漕いでいて、慣れない作業で疲れ果てたんですね。再び微睡んでしまったんです。そこで目が覚めました」
「怖い夢ですね」首を傾げて微笑んだ。
「全くです。目が覚めてほっとしました」
「本当ですか?」
「はい?」思わず訊き返す。
 彼女の表情から、一瞬だけ笑みが消えたような気がした。
「本当に今、安堵していますか?」
 気が付くと、彼女の手に煙草が無い。看護師がポイ捨てをする筈もない。
「本当は今、漠然と不安なご気分では?」
「どうして、今の僕が?」
 瞼が重くなるのが分かる。
「おやすみなさい」
 僕は、目を閉じる。



 目を開けて、広がる世界は碧い。
 風が吹いて、寒さで急速に覚醒する。
 周囲の景色も碧い。
 僕はボートの上で状態を起こす。
 そうか、思い出した。
 僕は海の家で貸しボートを借りて、海原を揺蕩っている間に眠ってしまったのだ。
 つまり、今まで夢を見ていたのだ。今までのが夢だったのだ。
 周りを見ると、自分の鞄があった。そこから手帳を取り出し、見ていた夢の内容を記憶が薄れる前に書き留める。いつもの習慣だ。
 次に煙草を取りだし、ライターで火をつける。
 一通り書き留めて、思ったことがある。今の状況の方がよっぽど夢みたいだし、さっきまで実に現実的な夢を見ていた。
 どうやら自分で作った簡単なトリックに引っかかってしまったのだと、苦笑した。
 空が白んできた、もうすぐ夜が明ける。どれほど眠っていたのだろうか。
 とりあえず、ひと眠りして体力も回復したので、再び陸地に向かって漕ぎ始めた。

「棒」「鷹」「飛ぶ」@掛流野カナ

僕の目の前、いや、目線よりもわずかに高い位置に、白い棒がかかっている。
これはただの棒ではない。
僕が超えなくてはならないひとつの壁である。



夏。
自分と同じ中学生で溢れた、陸上競技場。
棒(いわゆるバーのことだ)から数m離れた場所で、僕はそれを睨んでいた。
高さは1m55cm。僕のベスト記録の、5cm上の高さ。
でも大会の最初のバーの高さは1m55cmなのだ。
これを跳び越えられなければ、
僕は大会に出たにもかかわらず記録無しとなってしまう。
人生初の大会。
贅沢は言わないから、せめて記録は欲しいところ。



暑い日差しにじりじりと肌を焼かれ、汗がぽたぽたと滴り落ちた。
この汗の理由は、きっと暑さだけではない。



頭の中に、イメージを作り上げる。
バーを軽々と跳び越える自分。
小柄な体が、ふわりと浮き上がり、一瞬だけ羽が生えたように思えるあの感覚。
あれを思い出すのだ。
能ある鷹は爪を隠す、と言うじゃないか。
僕の力なら余裕だ、こんなもの。そうだ。跳べる。飛べる。



そう、飛ぶ。



僕は大いなる夢に向かい、第一歩を踏み込んだ。