黎明『キョウカイはどこにある?』

1.
 実力的には何の問題もなかったと思う。
 センター試験はボーダーをクリアしていたし、二次試験も会心の出来とはいわないまでも、悪くなかった。苦手の数学も半分はあるだろうし。ただ、今年はセンター試験が難化したらしく、いわいる旧帝大クラスの志望者の中にはランクを落とした人たちが多いらしい。その余波は僕の受けた大学にもおよび、おかげで自分の受験結果を確信できないまま合格発表を迎えた。まあ、正直に言えば、七三くらいで受かったと思っていたけど。
 合格者の受験番号はA―5棟前の掲示板に掲載されている。僕は自転車で大学の入口まで来ると、近くにあった案内地図で場所を探した。基本的に校舎には番号が振られており、AかBが先頭でその後に数字が並んでいる。A―5棟は入口からおおよそ北西の位置にあった。
 自転車を漕いで目的地へ向かう。入口からまっすぐ北に行くとT字路にぶつかり、東西に延びる大きな通りに出る。左折すると、道端で上回生とおぼしき人たちがしきりに声を張り上げビラを配っていた。このテンションの高さはきっと体育会系だろう。さらにその曲がり角には大きな絵が描いてある看板があった。隅の方に美術部製作と書いてある。なんとなく厳かな気持になりながら傍を通り過ぎた。
 さすがに掲示板の前は混雑していた。自分の番号を探す受験生とその親、さらには上回生とおぼしき人々でごった返している。僕は遠めに掲示板を眺め、ほどなく自分の受験番号を見つけた。ふう、と小さく息を吐く。受かっていてよかった。
 これで自分のことは片付いた。だけどすっかり安心というわけにはいかない。僕の他にもう一人、同じ高校からこの大学を受けた友人がいる。もし落ちていたら気まずいから、と一緒に見に来なかったが、たぶん彼ももう合否の確認は済んでいるだろう。とりあえずメールでも打とうか、と思っていたらケータイが震えた。ふたつ折りのそれを開くと画面には『着信 迎俊介』の文字。
「もしもし」
「俺は受かった。そっちはどうだ?」
 開口一番、興奮したような声で訊ねてくる。
「僕もだよ」
「それは良かった。今どこにいる?」
掲示板の近く」
「すぐに行く」
 通話終了。僕はケータイをしまって人ごみから少し離れた。きっとあの中には落ちてしまった人もいるんだろう。その彼ら彼女にはこれから後期試験の勉強が待っている。僕は大変だなあと同情半分、そしてそれから解放された嬉しさ半分といった心境で眺めた。あの場所はまさに運命の分かれ道、天国と地獄の境界線だ。
そんなことを考えていたら不意に後ろから声をかけられた。
「よう」
 見ると、立派な体躯に髪は角刈、日焼けした肌と体育会系オーラ全開の男が立っていた。何を隠そう迎俊介である。
「やあ、おめでとう」
 僕は陽気に挨拶した。
「ああ、お前もな」
 そう答える俊介の手には沢山のビラがあった。一番上のものを見ると、アメフト部新入生募集中とポップな字体で書かれている。きっと他のビラも同様の勧誘だろう。どうやら彼が放つ体育会系オーラに引き寄せられたらしい。
そんな僕の視線に気がついたのか、
「ん? ああ、このビラか? 合否を見た後、構内を適当に歩いていたらもらったんだ。俺はもう入る部が決まってるから、欲しいならやろうか?」
 と訊いてきた。
 俊介は中学、高校とテニス部だった。おそらく大学でも同じ部を選ぶんだろう。
「いや、いいよ。どうせ体育会系ばかりだろう? 僕はどうせ入るんだったらもっと穏やかなのがいい」
 今のところ特に入りたい部やサークルはないけど、少なくとも運動系は避けるつもりだった。
「そうか。実はこれからテニス部の見学にいくつもりだったんだが、お前は……」
「遠慮しとくよ」
 訊く前から答えは解っていたのだろう。さして残念そうな素振りも見せずに、俊介は傍に止めてあった自転車に跨る。
「そうそう」
 それじゃあまた今度、と僕が言う前に、俊介が口を開いた。
「これはさっき、ビラをもらった時に聞いた話だが、どうやらこの大学には変な方法で新入生を勧誘してくる部があるらしい」
「変な方法?」
「ああ。まあ、詳しい話はわからんが、一応伝えとく。気をつけろよ」
 それだけ言うと俊介は去って行った。方向からして、テニスコートへ行くのだろう。
 気をつけろ、といわれても具体的な情報がない限りどうしようもない。まあ、大方新興宗教みたいなものを指しているんだろう。
 このまま大学構内を散策するという手もあったけど、僕は帰ることにした。いくら三月とはいえ、まだまだ吹く風は冷たい。これから大学へは嫌というほど通うのだから、今日のところは家でコーヒーでも飲んで温まった方が賢明だ。

2.
 大学に入学して二週間が経った。
 初めはよそよそしかった同じ学科の人ともある程度話せるようになり、また授業にもそろそろ慣れ初め、大学という環境の新鮮さも薄れてきたころだった。
 その日、三コマ目で全ての授業が終わり、いそいそと帰り支度をしているところに電話がかかってきた。相手は迎俊介。
「今暇か? ちょっと話したいことがある。暇なら食堂まで来てくれ」
 俊介と話すのは久し振りだった。彼とは学部は同じだが学科は別なので普段は合うことはない。たまに同じ授業を取っていたとしても、それぞれの友人と座っているので、目で挨拶程度しかしていなかった。
 その俊介から用事とは。
僕は了承の意を伝え、食堂へ向かった。
 
 昼食時はものすごく混む食堂も、今はかなりすいている。
 そのため、俊介の姿もすぐに見つかった。隅の方のテーブル席に一人で座っている。その場所に近づくと、彼もこちらに気付いたらしく、声をかけてきた。
「よう。いきなりですまんな」
「気にするな。久しぶりだし、こっちもいろいろ話をしたかった」
 僕はそう返事をして、俊介の向かい側に腰をおろした。
 しばらく二人で雑談をする。同じ学科の友人のこと、講義のこと、大学のこと。しばらく会っていなかっただけあって話題は豊富だった。
 それがひと段落した頃、俊介がおもむろに切り出した。
「なあ、合格発表の時に俺がいった言葉覚えてるか?」
 思い出してみる。わざわざ訊くからには何か印象的な言葉だったんだろう。そういえば何か言ってたな。
確か、
新興宗教に気をつけろ、だっけ?」
「違う。変な方法で勧誘してくる部があるって話だ」
 俊介が訂正する。僕には似たように聞こえたのだけど、彼の中では違うらしい。
「ああ、正確にはそうだったっけ」
 僕が頷いていると、俊介はとなりに置いてあったバッグを開け、中から一枚の紙を取り出す。それを机の上に置き、
「これが、その変な部の勧誘法だ」
 と言い放った。
 僕はあっけにとられながらも、とりあえず俊介が取り出した紙を見る。
 大きさはA4。中央に大きく黒い字で文章が書かれており、右隅の方に赤いハンコが押してある。他に装飾は一切ない。
 文章は簡潔だった。
『三つのキョウカイを探し出せ!』
 他には何も書かれていない。
 思わず裏返してみたが、もちろん何もなかった。
「……なんだこれ」
 僕が呟くと、俊介は首をかしげた。
「俺も考えたがわからん。だからお前を呼んだ」
 そう言って俊介は説明を始めた。曰く、校内の掲示板を何気なく見ていたら偶然それを発見した。このあまりの意味不明っぷりが怪しくて仕方ない。もしかしたらこれが例の部活の勧誘と関係しているのかもしれない。だが、自分で考えていてもさっぱりわからないので、こういうのに詳しいお前を呼んだ。
 そこまで話した時に、僕は耐えきれず口をはさんだ。
「ちょっと待って。僕が何に詳しいって?」
 話の腰を折る僕に、しかし俊介は意外そうな表情で、
「え? だってお前、こういうの得意なんだろ? いつも読んでるって言ったじゃないか」
 と逆に言い返してきた。
 確かに僕はこういう不可解な謎は好きだ。
 読む本はいわゆるミステリーと呼ばれるものばかりで、それについていろいろ俊介について語ったり、おすすめを紹介したりしたこともある。そういう意味では彼の認識は間違っていない。ただ、あくまで僕は読むのが好きなのであって、解くのは専門ではない。実際ミステリーを読んでいて、探偵役より先にトリックが解けた、なんて例は一度もない。
 だからその文章の意味を読み解くなんて無理だ、と俊介に訴えを起こしたが、
「それでも、俺よりは詳しいんだろう」
 という一言で敗訴となった。
「そもそもさ、これって本当に意味のある文章なのか?」
 僕はビラを指す。
「それにその怪しい部活と関連しているとも決まったわけじゃないだろ?」
 さらに付け加えた。
「さあ、わからん。だけど、わざわざ印刷して配ってるんだ、なんらかの意図はあるだろう。あと部活に関しては証拠らしきものがある」
 そりゃあ何にだってなんらかの意図はあるよ。
 問題はそれを僕らが汲み取れるかどうかだ。
「どうせお前は今暇なんだろ? せっかくだから付き合えよ」
 俊介が決め付けたように言う。だが事実だった。
 入学して二週間。どこの部にもサークルにも所属していない僕は、基本的に放課後は暇だった。一応入ろうかな、と考えていた部はあるのだけど、なんとなく見学に行かないまま今に至っている。俊介はきっと今日も部活があるんだろうが、今は三時を少し回ったところ。開始時刻まではまだ時間があるんだろう。
「わかった。じゃあ一緒に考えよう」
 俊介の熱意に負け、頷いた。
 僕にも灰色の脳細胞とやらがあるのか試してみるか。

3.
さて、何から考えよう。
とりあえず、目の前のビラを観察する。
表には『三つのキョウカイを探し出せ!』という文章と赤いハンコ。部やサークルの名前とか代表者の連絡先とか、他のビラに必ずあるようなものは何もない。
いくらなんでも情報が少なすぎる。
とりあえず、この文章の解読は後回しにして、他から攻めることにした。
「俊介。このビラはどこに貼ってあったんだ?」
「A―5棟の掲示板」
 俊介は即答した。
「ただ、気になって他のところも確かめてみたんだが、部やサークルのビラが貼れるところには必ず一枚、それが貼ってあった」
 なるほど。つまり犯人―便宜上こう呼ぶことにする―は普通のビラと同様の感覚で張っているわけだ。
 目的も単純に考えて他のビラと同様、多くの人の目に触れるようにってことだろう。もっとも目にしたところでなんだこれ、と言われるのがオチだろうが。
 腕を組んで考え込んでいると、唐突に俊介が言った。
「そういえば、俺に例の部活の事を教えてくれたのは、同じテニス部の先輩なんだが、その話をするときなんだか様子が変だったな」
 俊介がその話を聞いたのは合格発表の時だ。きっとあの大量に持っていたビラの中に今入っているテニス部のものもあったんだろう。見学に行くと聞いたとき、ずいぶん行動が早いな、と思ったけど、そうか、あのときすでに勧誘されてたのか。
 変なところで納得する僕に、俊介は続けた。
「その、例えば、まあ有り得ないと思うが、その話がお前の言うように新興宗教だとしたら、それなりに深刻そうに話すはずだが、その先輩は全然そうじゃなかった。逆だった」
「逆?」
「そうだ。むしろにやにやと笑いをこらえるような感じだった」
 ふむ。俊介の観察眼が正確だとするとその先輩は何か知っているらしい。それに加えてこの件は全然深刻な話題ではないのかもしれない。
「そうか、じゃあ少なくとも新興宗教じゃないんだな」
 僕は安堵した。仮に、その部活とこのビラとが関係していて、もしビラの文章の意味がわかっても、行きつく先が新興宗教じゃあまりにも報われない。それにそういうところはもっと情報をオープンにして、我々は怪しくありませんよ、と主張するのが普通だ。こんな怪しさ全開のビラを用意したりしないだろう。
「よし、じゃあそろそろ、この文章の意味について考えようか」
僕が提案すると、俊介も了承した。
「まず、この文章を読むに三つのキョウカイを探せばいいわけだ」
「それ以外の意味にとれるか?」
俊介が笑いながら突っ込む。
僕はそれを無視して、カバンから電子辞書を取り出す。高校時代から愛用しているものだ。
電源を入れ、広辞苑でキョウカイを調べる。
それを横目で見ていた俊介が、
「ああ、それなら俺も真っ先に調べたぞ。わざわざカタカナにしてるくらいだからな。
この文章に当てはまるキョウカイは、境界、協会、教会の三つだ。探せっていうくらいだから場所だと考えるのが自然だろう。他にも教戒とかあったが、それこそ新興宗教だしな」
と、ビラに漢字を書きながら説明してくれた。
確かに、僕の辞書で調べても該当するのはその三つだった。
ビラにも三つって書いてあるくらいだから、犯人も辞書で調べるのを前提としているのだろう。
境界。協会。教会。
そのとき頭の奥で何かが引っかかった。
なんだっけ、と意識を集中していると、
「で、だ。問題はその三つのキョウカイがどこにあるかだ」
 俊介の言葉で発散してしまった。
 まあいい、後で考えよう。
「一番分かりやすいのは教会かな。これは地図で探せばすぐにわかる」
「確かにそうだが、この近くにはないぞ」
俊介が反論してくる。
「わざわざこの大学でビラを貼るくらいなんだから、三つのキョウカイもこの近くにあると思う。そして俺の知る限り、この近くに教会はない」
 俊介は断言した。
「良く知ってるね」
 茶化すでもなく真面目に言うと、
「人に相談する前に、多少は調べるさ」
 俊介も真顔で答え、
「と言ってもそれだけだが」
と、同じく真顔で付け加えた。
「そっか……。じゃあ、俊介の意見を訊かせてよ」
「そうだな。俺はその三つのキョウカイはこの大学の中にあると思う。んでもって、さっきも言ったが、例の部活とも関係している」
「ああ、さっき証拠らしきものがあるって言ってたっけ」
 彼の言葉を思い出す。
「ああ。とりあえずそれは置いといてだ。まず、第一にビラをこの大学に貼る以上、キョウカイが大学近くにあるってのは間違いない。」
「それは同意見」
 僕は口を挟む。
「さらにそれが大学構内にあり、かつ例の部活とも関係していると考えるのは……これがあるからだ」
 そう言って、俊介はビラの隅に押してあるハンコを指差した。
これが証拠、という意味なのだろう。
 しかし、
「さっきから気になってたんだけど、このハンコって何?」
 僕が訊くと、俊介は唖然とした表情で、
「知らないのか?」
「い、いや当然何か意味があるとは思ったよ。日本社会におけるハンコの必要性を考えれば自明だ。ただこの大学という閉鎖的な環境でそれがどういった意味を持つのか、それは僕の常識を当てはめても良いのか、それともなにか伝統という名の鎖で縛られた古臭い慣習に」
 なおも弁明しようとする僕を遮り、俊介は言った。
「いや、知らなくても別に不思議じゃないか。まだ一回生なわけだし。部活やサークルと縁がなければなおさらだ」
 一人納得すると、
「つまり、例えばあるサークルが新入生勧誘のビラを出したいと思う。そういう場合、まず学生課に行ってその旨を文書で提出する。そうするとハンコを押す許可がもられるわけだ。つまり、このハンコがあると、それは学生課が許可を出した正式なものだというサインになるんだ」
 なるほどなるほど。確かにそういう制度を作らなければ、掲示板は怪しげなサークルや新興宗教のビラで一杯になるだろう。
 ん? ということは、
「じゃあ、この意味不明なビラもどっかの正式な部、あるいはサークルが出したって事?」
「そうなる。きちんと書類さえ提出できれば、内容は自由だからな。だからこそ各部、サークルともにオリジナリティの溢れるビラを用意するわけだ」
 それにしたってこれはオリジナリティに溢れすぎだがな、と俊介は苦笑した。
「そして、話題の例の部活ってのも、部活である以上は簡単にビラを出せるはずだ」
「つまり、このビラこそが、その例の部活の勧誘方法だって言いたいわけか」
 最初に言い放った彼のセリフを思い出し、僕は納得した。
 どうりで俊介は最初から新興宗教を否定し、ビラと例の部活を結びつけて考えていたわけだ。
 そしてこのビラが新入生を勧誘するものだとしたら、この三つのキョウカイも新入生が知る範囲にないといけない。当然入学したばかりの人間がこの辺の地理に詳しいわけもなく、キョウカイの位置はおのずと大学構内に限定される。
「もしかして、僕よりも俊介の方が探偵役に向いてるんじゃ?」
 冗談めかして言うと、
「いや、俺にわかるのはここまでだ。肝心の三つのキョウカイについてはさっぱりわからん」
 そう断言した。
 断言されても、困る。

4.
ここまでの情報を整理しよう。
 まず、このビラはこの大学に存在する部、またはサークルが発行したものだ。そしてそれは、俊介の言う怪しい方法で勧誘する部の可能性が高い。一見してこのビラからは怪しさ以外は読み取れないのだからしかたがない。ついでにその勧誘対象は、時期的に見て新入生だと思われる。
 次に、書かれている文章だ。
 曰く、『三つのキョウカイを探し出せ!』
 辞書によれば、その三つはずばり、境界、協会、教会である。そしてこのビラの目的を考えるに、その三つはこの大学構内にある可能性が高い。
「問題はそれがどこにあるか、か」
 僕は呟く。
 うんうん、と向かいで頷いた俊介はどうぞ、と掌を差し出す。
 僕に任せるという意味だろう。
 しかたがない。やりやすいのから考えていこう。
 まず教会。僕の記憶が確かならば、この大学の中に教会はないはずだ。というか、そんなのがあったら注目の的だろう。例の部活もわざわざこのビラのために教会なんて建てないだろうし。そう考えながらも、頭の奥で何かチラつくものがあったが、その意味をとらえることはできなかった。
 気になりつつも、次。協会。
 辞書によれば、ある目的のために会員の協力で設立、運営される会のことらしい。大学内にそんなものがあっただろうか?
広義で捉えれば例えば部やサークルなんかもそれに該当しそうだが、どうも協会と言われてすぐ浮かぶイメージではない。他に該当しそうなのは……。
 ぼんやりとあたりを見渡す。長い間座っていたので腰が痛かった。ダメだ、集中力が切れかかってる。ちょうど食堂に居るわけだし何か頼もうか。そう思った時、僕は協会に該当する組織を思いついた。
「そうだ、生協は?」
 俊介は突然話しかけられてびくっとしたものの、すぐにいつもの調子で返事した。
「それは俺も考えたが、生協は生活協同組合の略だ。生活協同協会じゃない」
「それはどうだけど、協会の辞書的な意味には合致している」
「それもそうか……。うん、生協ってのは良い線かもな」
 俊介は立ち上がりバッグをつかんだ。
「よし、見に行こう。何かあるかもしれない」
 僕もカバンを持って立ち上がる。
 根拠はそれほど強くはないが、調べてみる価値はあると思った。

 生協は食堂を出て左に少し行ったところにあった。
 とりあえず、入口まで来た僕たちは、そこで立ち止まる。
「調べるって言ってもな。どうするよ」
 横で俊介が呟く。
 確かに、建物自体はそんなに広くない。先ほどいた食堂の半分以下だろう。だから中を二人で調べることも不可能ではなかった。ただ、今はどう見ても営業中で、店内はそれなりに賑わっていた。事実、入口近くに立つ男二人組を出入りする学生が不審そうな眼差しで見ている。
「中は調べなくていいと思う」
 僕は答えた。
 仮にビラを貼った犯人が店内に何か重要なメッセージを残していたとしても、そんな不審なものが見つかれば、まず間違いなく店員が処分するだろう。僕が犯人だとして、何か残すとしたら店の外。建物の周りだ。
 僕の説明に俊介も納得し、早速二人で店の外を調べることにした。
 建物を時計回りに一周する。半分ほど回った時、外壁の一部に落書きがあるのに気がついた。小さく、周囲に生えている雑草に隠れるようにして書いてある。これは探そうと思わない限り見つからないだろう。
 そこには一言、おそらく黒マジックで『協会 ONE』とあった。
「なんだこれ?」
 俊介がため息とともに言う。
「とりあえず、生協が僕らの探していた協会で間違いないみたいだね」
 僕が慰めるように言うと、
「ああ、それはいいんだが、このメッセージはなんだ。ONE? これは一番目だって意味か?」
 探すべきキョウカイは三つ。そのうちの一つ目という意味でONE。
 確かに意味は通るが、
「だから、何だ?」
 俊介が怒ったように言う。僕も同意見だ。

 生協から離れた僕らは、近くにあったベンチに腰をおろした。
 僕も、おそらく俊介も言いようのない脱力感に襲われている。
「どうする?」
 俊介が問う。
 僕らが議論し、やっと見つけた協会。しかしそこに書かれていたのはONEという文字のみ。もし同様に境界や教会を探し出したとしても、TWOとかTHREEとか書いてあったらどうだろうか。
 たぶん僕は、無駄にした時間を鬼のように後悔するに違いない。
 しかし、それはまだ可能性の一つに過ぎない。
 僕は力を込めて答えた。
「もう少し続けよう」
「そうだな、一つ見つけたくらいじゃ意味が分からないメッセージなのかもしれないし」
 俊介も同意してくれた。
 ついでに、
「何か飲み物でも買ってこよう。何がいい?」
「炭酸系がいいな」 
 僕が答えると、俊介は生協の横にある自動販売機へ向かって行った。
 さて、この時間を利用して、僕も残り二つのキョウカイについて考えることにしよう。
 えっと、食堂でまだ考えていないのは境界だ。
 境界。辞書によればそれは土地のさかいや物事のさかいのことを言う。
 土地のさかい。物事のさかい。それらを考えていると不意に合格発表の時を思い出した。確か俊介を待っている時、僕は何を考えていた? 合格発表に一喜一憂している人々をみて、運命の分かれ道だと思った。そしてこれは天国と地獄の境界線だとも……。
 境界線。
「そうか、これだ!」
 思わず叫ぶ。
「何か思いついたのか?」
 ジュースを持って近まで来ていた俊介が訊く。
「ああ、物事のさかいって意味の境界はA―5棟、合格発表掲示板だ」
 僕はそう叫ぶと、走りだした。
「え? でもあれは……」
 呟く俊介のわきを駆け抜け、掲示板へ向かった。

5.
「ふう、ようやく追いついた」
 茫然とする僕に俊介が声を掛ける。
「いきなり走り出すんだから……ったく」
 ジュースを差し出す。
 しかし、僕にはそれを受け取る余裕がなかった。
掲示板が……ない?」
 目の前の広場を眺める。確かに合格発表の時、ここにはそれを知らせる掲示板が立っていた。しかし、今は無い。
「あたりまえだろ。あれから何週間たってると思ってるんだ」
 僕の説明を聞いた俊介があきれ顔で答える。
「それに、その掲示板が境界だってのはお前の個人的な感想だろ」
 俊介に冷静に指摘されて、だんだん恥ずかしさがこみあげてきた。
 そうだ、何を僕は舞い上がってたんだろう。冷静に考えればわかることじゃないか。
「さっきの生協の例を考えるに、そんなに難しい事じゃないと思う」
 気まずい空気を打ち消すためか、俊介はしゃべり続ける。
「そうだ。もっと単純に考えればいい。大学の構内。新入生でもわかる境界。そうか、もしかして」
 何か考え付いたらしい。
「今度は俊介が思いついた?」 
 ダメージから回復した僕が訊く。
「ああ。舞台は大学だ。そして大学における境界。大学と他を分ける境界とは?」
 その言い方でようやく僕も理解した。
「そうか……門だ」
 大学の入り口にある門。昼間は開いて学生を呼び込み、夜は閉じてその侵入を防ぐ。大学構内と他を分ける立派な境界線じゃないか。

 うちの大学の構内はそれなりに広いが、その入口は一か所しかない。もちろん細かい抜け道はいくらでもあるが、正式な門と呼ぶべき場所はその一か所だ。
 一旦食堂まで戻った僕たちは、その場でジュースを一気飲みし(炭酸なんか頼むんじゃなかった)、止めてあった自転車に乗って門までやって来た。
 はやる気持ちを抑え、じっくりと調べる。
 そうすると、やはり生協のときと同じく、門の最下部、雑草に隠れてメッセージがあった。
 それを見て、僕と俊介は愕然とした。
 そこには、やはり同じように黒マジックで『境界 TWO』と書いてあった。
 
 どうやら、僕たちの悲観的な予測は当たったらしい。
 結局このビラを作った犯人はただの愉快犯だったのだ。これを見て真剣に探す僕たちをどこかで嘲笑っているに違いない。どうせ、どこかにある教会とやらにも黒マジックでTHREEと書いてあるんだろう。
 僕たちは無言でお互いを見やった。
 交わすべき言葉も湧いてこない。
 ふと気になって、ケータイで時間を見る。時刻は午後五時近かった。俊介に呼ばれて食堂に行ったのが三時過ぎだったから、かれこれ二時間もキョウカイ探しをしていたことになる。
 僕が深く嘆息すると、
「すまんな、変なことに巻き込んで」
 と俊介が申し訳なさそうに言った。
「別に俊介のせいじゃないよ。このビラを作ったやつが悪いんだ。それに、わりと楽しかったし」
 最後の言葉は偽らざる本音だった。
 確かに結末は最悪だったが、キョウカイについて考えるのは未知の暗号を解いてるみたいで楽しかった。柄にもなく舞い上がってしまったくらいだ。
 だからこそ余計くやしいわけだが、それ以上、僕は何も言わず、俊介も無言だった。
 二人で自転車を押して、来た道を戻る。
 おそらく俊介はこれから部活だろうし、僕も食堂で何か食べて帰るつもりだった。こうなったらやけ食いだ。
 T字路を左に折れたとき、不意に俊介が呟いた。
「結局、教会はどこにあったんだろうな」
「さあ、今までのパターンから言って、わかりやすいものだと思うけど」
 答えながら、妙な違和感があった。
 そうだ。生協にしても、門にしても少し考えればわかるものだ。新入生だってその存在を知っている。となると、教会だってそれに準ずるものでないといけないはずだ。
 また、頭の奥で何かがうずいた。
 僕は、教会の場所を知っている?
 教会。キリスト教。ステンドグラス。荘厳な雰囲気。
 そこまで考えたとき、僕は過去に似た感情を味わった気がした。
 いつ? どこで?
 気がつくと、僕は立ち止まっていた。
 俊介が怪訝そうな表情でこちらを向く。
 しかし、僕に彼の様子を伺う余裕は無かった。
 切れかけている記憶の糸を必死で手繰る。
 そうだ。あの気持ちを味わったのはたしか少し前……。
 僕は自転車に乗っていた。
 そこで僕は見た。
 そしてこう思った。ああ、厳かだなって。
「思い出した!」
 僕は叫んだ。
 そして踵を返すと、もと来た道を辿る。
 ガシャン、という音がした。自転車が倒れたのだろう。
「あ、おい」
 背後で俊介の声がした。
 僕は、一瞬振り返って、
「教会の場所が分かった」
 とだけ答えた。

6.
 その場所にたどり着くと、僕は再確認した。
 ああ、これはどこからどう見ても教会だ。
 本当に今まで気がつかなかったのが不思議なくらいだ。
 遅れてやってきた俊介も、僕が見ているものを見て息をのんだ。
 そして呟く。
「ああ、そういうことか。これは盲点だった」
 抜けるような青空をバックに、白い教会が建っていた。
 奥には湖が見え、手前にはシスターたちが並んでいる。
 それは、大きな看板に描かれた教会の絵だった。
 僕は、その絵の右下を見た。
 美術部製作、ときれいな字で書いてある。
 合格発表時に見たものと同じだ。
 きっとあの日から、新入生勧誘も兼ねて置いてあるのだろう。
 そばには青いビニールシートもあった。雨天用だろう。
 僕は、裏に回った。
 看板の隅、これまた地面ぎりぎりの所にメッセージはあった。
『教会 FIVE』
 後ろから同じようにのぞき込んでいた俊介が言う。
「今回はFIVEか。THREEじゃなくて良かったな」
 僕は頷く。
「それにしても、絵というのは予想外だった」
 僕も再び頷く。
「おかしいな、ほぼ毎日通ってたんだ。ここに絵があったってのは知ってた。なのに何が描かれていたか覚えていないなんて」
「うん。でも注意して見てないと何が描いてあるかまでは覚えてないよ」
 おそらく、ビラを作った犯人はこんなにも苦労するとは思っていなかっただろう。彼(もしくは彼女)の目的は新入生勧誘なのだから、わかりやすい題材を使ってこの暗号を作ったはずだ。しかも今回のメッセージはFIVE。決して愉快犯などではなく、なんらかの意味が込められている証拠だ。勝手に怒っていた自分が恥ずかしい。
「で、残ったメッセージはどう読み解く?」
 同じような気持になったのか、俊介はおずおずと問いかけてきた。
 今まで見つけたメッセージは三つ。
 『三つのキョウカイを探し出せ!』という問題文からも明かなように、これで全部だろう。後は、俊介の言うとおり読み解くだけだ。
 一つ目に見つけたのは『協会 ONE』
 二つ目に見つけたのは『境界 TWO』
 そして三つ目が、『教会 FIVE』
 これらが意味するものは……何だろう?
 いつまでも絵の前で考え込んでいるわけにもいかないので、とりあえず僕らは移動することにした。
 倒れていた自転車を起こし、跨る。相談の結果、食堂に戻ることにした。何かを考えるにはイスと机があった方が良いという判断からだ。
 自転車を軽快に飛ばし、食堂に着く。
 やはり人は少なく、僕たちは前と同じ場所に陣取った。
 俊介は座るとすぐに、電子辞書を取り出して何やら調べ始めた。何か思うところがあるらしい。
 僕は腕を組んで、考えた。
 これまでの流れからいって、そう難しい暗号ではないはずだ。
 一応、ビラのメッセージはこの謎の部活の新入生勧誘をになっているはずなのだから、難しすぎて解けないようでは意味がない。
 書かれた文字。ONE、TWO、FIVE。
 何故英語?
 僕がその答えに気がついたとき、同時に俊介も声を上げた。
「そう言うことか!」
 二人の声が重なり、互いに顔を見合わせる。
「えっと、じゃあ俊介からどうぞ」
 なんとなく先を譲る僕。
「え、ああ、まあ、これは決定的ではないんだけど、絞り込むには丁度いいと思う」
 そう前置きして、
「つまり、俺はこの三つの数字、1、2、5を教室の番号じゃないかと思った。このビラの配り手が仮に新入生を勧誘しているのだとしたら、最後にはやっぱり、自分の居場所に来させないと意味がない。そうでないと、何の部活か説明もできないしな。しかし1、2、5だけじゃ一通りに決まらない。俺たちが見つけた順番がそのまま、なんてことはないだろうしな」
 確かに、僕たちは、ただ単に思いついた順に回って行っただけだ。この順番で正しいなんて保証はどこにもない。
「そこで、考えた。何か決め手になるようなものはないか? この配り手は生協を協会というくらいだから、そんなに厳密なものでなくていいと思うんだ。ただ人が訊いて、ああなるほどね、程度で良い。そこで気がついた。何故これらの数字は英語で書いてあったのか」
 英語、という単語で僕はぎくりとした。
 僕が気がついた点もそれを元にしたものだったからだ。
「英語。そこで俺は出てきた三つのキョウカイを英語に直してみた。協会―Association、境界―Border、そして教会―Church」
 それぞれの単語を電子辞書で示しながら俊介は続ける。
「それぞれの頭文字をとると、A、B、C。ほら、順番になっているだろう」
 A、B、Cと並んでいる順番が正しい、という意見はあまりにも単純だ。だが、単純だからこそ説得力もあった。
「まあ、結局、俺たちが見つけた順番で良かったんだけどな」
 俊介はそう締めくくった。
 そして次は僕の番、というふうに顎で示す。
 僕は一息ついてからしゃべり始める。
 別に自分の考えがあっているかどうか不安だったわけではない。
 英語がキーワードで、あの数字が教室番号なら間違いないだろう。
 ただ――あまりにもくだらなかったのだ。
「長々と続いてきた、キョウカイ探しをこんなオチで終わらせるのには抵抗があるんだけど」
 そう前置きして、僕は続けた。
「今の俊介の、数字が教室番号を表している、という説が正しいなら、僕の説も正しいと思う」
「ほう、じゃあわかったのか? これがどの棟の教室を指しているのか」
 僕は頷く。
 俊介の推理では教室番号は解ってもどの棟のものかはわからない。最悪、一つ一つ虱潰しに探せば見つかるだろうけど、それはかなりの労力を要する。犯人は新入生にそんな手間をかけさせないだろう。
「俊介は英語がキーワードだって言ったよね? 僕もそれと同じ考えだ。ただ、僕の場合、英語はキーワードではなく、答えそのものだ」
 二人の間に沈黙が降りる。
 俊介は僕の言葉の意味を考えているんだろうし、僕はこれを仕掛けた犯人のことを考えていた。
 暗号めいたビラで新入生を勧誘してくる部。
 僕にはおぼろげながら心当たりがあった。
 確信は持てないが、もしそうであっても不思議ではないとも思う。
 こんな回りくどい手段を用いるのもあり得る話だ。
 そういう人種なのだ、彼らは。
 やがて俊介が「あッ」と叫んだかと思うと、机に突っ伏した。
 理解したのだろう。そうしたい気持ちもよくわかる。
 しかし、曲がりなりにも探偵役に指名された僕は、最後に解答を提示する義務がある。
「この大学の研究棟は名前をアルファベット一文字と数字一文字で表す」
 もちろん図書館など例外はある。
「理系の建物は大抵Aではじまり、末尾につく数字も1から順にある」
 となると、その五番目は、
「A―5と英語。……単なるダジャレだ」
僕はため息をひとつついて、締めくくった。
「このビラの配り手はA―5棟の125教室にいる」

7.
 僕たちは無言でA―5棟へ向かった。
 歓喜と脱力を混ぜ合わせたような、なんとも言えない空気が僕らの間に渦巻いていた。僕らはビラの謎を解き、ついにその作り手と対面することになるのだ。
 それなのに、なんだろうこの倦怠感は。
 正直言って、最後の瞬間まで、もしかしたらこのビラは謎を解いてやってきた新入生を手籠めにするような集団の策かもしれない、と考えていた。
 しかし、最後のダジャレに気がついた時、すべて吹っ飛んだ。
 間違いない。この暗号を作った奴はアホだ。
 125室までたどり着く。
 僕らは無言で顔を合わせ、扉を開けた。
 中には人の姿は無い。
 否、一人だけ教壇の近くに男が立っていた。
 彼は、扉を開けて入ってきた僕らを見るやいなや凄い勢いで駆け寄ってくる。
 そして真顔でこう告げた。
「もしかして君たち、ビラの暗号を解いたのかな?」
 勢いに押されて、僕らは同時に頷いた。
「やっぱり! 我々は君たちのような人材を待ってたんだ!」
 我々って? と問い返す暇もなく、男は破顔して快哉を叫ぶと、矢継ぎ早に質問してきた。
「思ったよりも簡単だったでしょ? それとも苦労した? いや、そんなことないよねぇ、どれもこれも目立つものばかりだったし。  あ、いや、生協はちょっと厳しかったかな? やっぱりあれはヒントをあげた方が良かった?」
 僕は男の視線を避けて横を向く。
 すると俊介と向かい合う形になった。
 つまり、彼も視線を避けているということだ。
 俊介が目で訊いてくる。
 こいつ、どうする?
 そんな僕たちを尻目に、男はしゃべり続ける。
 もはや独りごとだ。
「うんうん、あのビラを貼って、各部やサークルに噂を流してもらって早一か月。いやもっとかな? ようやく最初の正解者が現れたよ。そもそもあの暗号自体は簡単なんだ。問題はあれが暗号になっていると気がつくかどうか、問題を問題と認識できるかどうかが問題なんだ」
 そうか、と彼の独りごとを聞いて僕は納得した。
 俊介が変な部の噂を聞いたと言った時、先輩を笑いをこらえているようだと評した。つまり、あの噂はこいつ―たぶん先輩だろうから この人―が意図的に流したものだったんだ。変な勧誘をしている部があるという噂と、どうみても変なビラ。この二つを結びつけて考える人間が現れるように、と。たとえば僕たちみたいな。
 なおも独り言を続ける先輩を刺激するのに一抹の不安を感じたが、どうしても気になったことがあったので話しかけた。
「あの、先輩。どうして先輩は噂を流そうと思ったんですか? 暗号はあのビラだけで十分ですよね?」
 そうだ。別に変な勧誘をしてくる部がある、なんて噂がなくとも、あのビラだけでも暗号は成立する。というか、部の噂は直接的には何の関係もない。関連づけて考えれば、多少怪しくなる程度のことだ。
 僕の質問に先輩はやはり笑顔で答えた。
「だって、そっちの方が盛り上がるじゃないか」
 なおも先輩は続ける。
「大学に流れる変な噂。それと呼応するように現れた謎のビラ! ほらほら、なんだかわくわくしてくるだろう?」
 俊介が何言ってんだこいつ、という表情をする。
 だけど、僕には反論できなかった。
 そう、確かにこの暗号を解いている間は楽しかった。
 最後のダジャレで緊張感は吹っ飛んでしまったが、道中は柄にもなく先走ったりし、また暗号が悪戯だと勘違いした時は本気で失望した。
 なんだかんだいって、少なくとも僕は楽しんだのだ。
 俊介には解くのは専門ではない、といった。
 しかし、こうやって現実に不可解な謎が現れたとき、喜んで解いているじゃないか。
 ビラと変な部が関係しているかもしれないと俊介に聞かされた時、何にも感じなかったのか?
 先輩の言うように高揚しなかったのか?
 そうか、結局僕も先輩と同じなんだな、と自覚する。
 と同時に、先輩の正体、正確に言うなら先輩の所属している組織の正体を確信した。
 おそらく食堂で予想した通りだろう。
 僕が、この大学で唯一入ろうと考えていた部活。
 噂を流し、暗号を用意する。こんな迂遠な手段で新入生を勧誘するマニアは彼らの他にはないだろう。
 場の妙な雰囲気に耐えきれなくなったのか、俊介が先輩に訊いた。
「それで、いったいあなたは何なんです?」
 先輩は一瞬キョトンとした表情をみせたが、すぐに笑顔になった。
 そういえばまだ言ってなかったな、なんて呟きながら、僕らに向かって明るく言い放つ。
「はじめまして、ミステリー研究会です」