一之瀬霧夢『星ハ笑フ』

僕がその男、東西南北(しほう)彼方(かなた)に出会ったのは、嵐の前のような静謐(せいひつ)さをはらんだ眩しいくらいの晴天の日のことであった。
その日、僕は数学の授業をサボって屋上で何をするでもなく、ただ寝転がっていた。
数日に一度、こんな風に途方もなくやる気がなくなってしまうことがある。
そんな時、僕はいつもこんな風に授業をサボって、このようにただ時間を浪費している。
別に義務教育でもないのだから、授業をサボってもかまわないと思うのだけど、教師たちに言わせるとそうではないらしい。
曰く、「きちんと授業に出席しないと落ちこぼれる」
曰く、「授業をさぼるような奴はロクな人間にならない」
曰く、「将来を考えるならば、授業にはきちんと出るべきだ」
エトセトラ、エトセトラ・・・・・。
だけど、僕に言わせればそんなものは下らないと思う。
別に1から10まで授業をサボっているわけではないし、予復習はきちんとやっているから、1度や2度演習をしなかったところで大差はないと思うからだ。
それに、あの人に比べれば僕なんてかなり真面目な部類だろう。
まあ、能力云々については比べるまでもないのだけれど・・・。
それに、やる気もないのに授業を受けるなんて無意味だとしか思えない。
僕は、そういう意味ではここでやる気を補充しているとも言えるから、一概にこの行動に意味がないとは言い切れないわけだ。
まあ普段の授業に対して、やる気なんてほとんど発揮していないんだけど・・・。
それでは、どこでやる気を発揮しているのかと聞かれても僕は返答に窮するだろう。
結局のところ、僕にはやりたいことがないわけだ。
だから、何をやっても心の奥底では満たされない何かが渦を巻いている。
心から熱中できるもの、それが無理ならせめてこの退屈を紛らわしてくれるような何かがほしい。
日常を打破、とまでは言わないがせめて退屈しのぎ、暇つぶしになるような適度に熱中できるものがほしい。
十全でなくてもいいから、この漫然とした日々をどうにかしたい。
・・・そう思ったのが良かったのか、はたまた悪かったのか。
僕の日常とか常識とか、その他もろもろ、右も左も関係なく根こそぎに否応なく巻き込まれていくことになる。
東西南北彼方という、極大の嵐に。

ガチャリ、と何の前触れもなく、屋上に続く扉が開けられた。
僕は突然すぎるその音に驚く。
何故なら屋上には誰も入ってくることはできないはずなのだから。
この学園の校舎の屋上は、たぶんに漏れず立ち入り禁止になっている。
それに屋上に続く扉にはいつも鍵がかけられているので、一般生徒は立ち入ることすらできない。
しかも、その屋上へ続く扉の鍵は数年前から紛失しており、教師ですら立ち入れない状況となっているのだ。
鍵を新しく作り直すか、鍵穴の方を取り換えれば済む問題だとは思うのだけれど、管理意識が低いためか放置されているのが現状というわけだ。
なら何故この僕が屋上に出入りできるのかというと、まあ単純な話で僕はその紛失したはずの屋上の鍵を持っているからだ。
しかし、勘違いしないでほしい。
僕は決して窃盗などの違法な行為に手を染めてこの鍵を手に入れたわけではないのだ。
あくまで僕はこの鍵を『貰(もら)った』だけなのだ。
紛失したはずの鍵はそうやって巡り巡って今僕の手元にあるわけだ。
まあしかし、最初にこの鍵を手に入れた人間が鍵を盗んでいない保証はないわけだが・・・。
だけど、そんなことは僕には関係ない。
ここは絶好のサボりポイントだからこの鍵を返す気にもなれない。
そもそも、この鍵を返そうと思ったらこの鍵を手に入れた経緯を話さなければいけないわけで、それはすなわち僕にこの鍵をくれた人のことも話さなければいけなくなる。
そうなるといろいろ面倒だし、何よりこの鍵をくれた人に申し訳が立たない。
それに、僕がこの鍵を持っていることで誰かが損をするわけでもないのだ。
だからこの鍵のことは今日まで誰にも話してはいないのだ。
ゆえに僕以外の誰かがこの屋上に正攻法で来られるはずはないのだ。
一瞬、僕が屋上に来た時に鍵を閉め忘れたかとも思ったが、僕がここに来るときはいつも細心の注意を払ってきて来るからそれはないと断言できるし、そもそもここの生徒なら屋上には立ち入れないということは知っているはずだから、わざわざ屋上の扉の前まで昇ってくることなどないはずなのだ。
ではいったい誰が・・・?
扉の開く音がして、反射的におこした体に冷や汗が流れる。
体勢を立て直した時に扉を背にしてしまったため、屋上への侵入者を確認できていない。
だけど、誰かがそこに、屋上の入口あたりにいるような気配めいたものを感じる。
じりじりと、背中が焼けるような緊張を感じる。
1秒が1時間にも感じられるような、長い長い沈黙が場を支配する。
振り返りたい、今すぐ振り返って誰が来たのかを確認したい。
しかし、その一方で振り返ってはいけないと心が絶叫する。
見えない圧力に押しつぶされ、心の絶叫を無視して振り返ろうとした瞬間―――
「あん?どういうわけだ?この俺以外がこの屋上にいるって言うのは」
まるでこの場に似つかわしくない、とぼけたような声が発せられた。
驚いて反射的に振り向く。
そこにいたのはそう、クラスメイトでありながらその姿を一度しか見たことがない御堂(みどう)館(かん)学園きっての天才児にして禁忌(タブー)たる存在。
東西南北彼方が不思議そうにこちらを見ていたのだった。

時はさかのぼり、僕がこの学園、私立御堂館学園に入学してきた時の話だ。
その時僕たちの代の間ではある噂が横行していた。
何でも、この御堂館学園の入試試験を全問正解を達成した生徒がいるとかいないとか。
私立御堂館学園は名門私立高校だ。
超名門ではないにしろ、『名門』の名に恥じない偏差値を誇る学園だ。
故にその入試試験と言えば難易度も生半可なものではない。
中学は、僕も秀才として通ってきた方だったが、そんな僕でも解けない問題が10個以上普通にあったのだ。
しかも、全教科ではなく1教科あたりでだ。
そんな感じの僕でも入学できたということは、それだけ質を上げるための努力をしているということだが、その半端なく難しい問題を1問たりとも間違うことなく、全教科満点を取る生徒がいるなんて冗談にしか聞こえない。
まあ、僕自身そんなことは話半分に聞いていたのだが、私立御堂館学園の入学式の日、その噂が真実であることを悟った。
おそらく、新入生全員、いや在校生、教師一同、あるいは新入生の保護者さえも含めてか。
私立御堂館学園の入学式では、その代で最も優秀な成績を以って入学した生徒が、新入生代表としてスピーチをすることになっているのだが、そのスピーチをする新入生として壇上に上がったのは噂の東西南北彼方、その人であった。
だけど、その事実が彼が入試試験全問正解という偉業を達したという証拠となったわけではない。
彼のその噂を真実だと証明したのは、彼のスピーチそのものだった。
それは、彼という人物を知るのに十分すぎるほどの内容であった。
あえてその内容については省かせてもらうが、彼がどれだけぶっ飛んでいたかは言葉を尽くしても語り足りないくらいだろう。
以来、彼は御堂館学園の禁忌として認定された。
しかし、はっきり言ってその時の教師陣の対応と言ったら目を見張るくらいに素早かった。
後々になって、教師の一人とそのことについて話す機会を得たのだが、その教師曰く嫌な予感はしていたらしい。
なんでも、この学園には東西南北彼方よりも先に入試試験全問正解という偉業を達した猛者がいて、彼もまた同じように新入生代表としてスピーチしたらしいのだが、彼もまたぶっ飛んでいたそうなのだ。
しかも、彼の方が東西南北彼方よりもひどかったらしく、気がついたらもう既に手に負える領域ではなかったらしい。
だからこそ、今回教師陣は先手を打ったのだ、と。
東西南北彼方に、授業に出なくてもいい代わりに3年間在籍したら卒業できるという、特別優遇措置を取ったのだ。
簡単にいえば、そんなの区別どころか差別もいいところだが、東西南北彼方はその条件をのんだらしい。
その代りに、何やらいろいろと条件を吹っ掛けられたらしいが、教師陣はその条件をすべて飲んだという話だ。
そうでもしなければ止められなかったと、その教師はため息とともに語っていた。
そう、この学園において東西南北彼方とはそれだけに特別な存在であり、それゆえに禁忌たる存在となっているのだ。
普通に学生生活を営んでいれば決して交わることのなかった僕と東西南北彼方。
しかし、数奇なる巡り合わせによって僕たちは出会うことになった。
それははたして偶然の積み重なりとしての結果か、はたまた必然としての必定か。
そんなことは誰にもわからないが、とにもかくにも回り始めた運命という名の歯車は、僕にも東西南北彼方にも、誰にも止められない速度で、加速を続けていくのだった。

屋上で対峙する二人の人間。
一方は余裕をその顔に張り付け、もう一方は正反対に緊張をその顔に滲ませていた。
「はん、驚いたな。まさかこの俺以外にもこの屋上に入れるやつがいたとはよぉ。まさか俺と同じ手を使ったのか?いや、でもあの手はこの俺しか使えないはず・・・」
目の前でぶつぶつと独り言をつぶやき始める東西南北彼方。
僕はその時直感でヤバイと感じ取っていた。
東西南北彼方に僕が屋上にいることを見つけられたことではない。
この男、東西南北彼方と遭遇してしまったことだ。
しかし、それはもう覆しようのない事実として僕の目の前に横たわっていた。
じわりと握った手が汗に湿る。
東西南北彼方と遭遇してしまったことについてはもう、どうすることはできない。
いま問題とすべきはこれから一体どうすべきかだ。
だが、それについては答えが一向に浮かんでこない。
思考だけが無駄に空回りしているようだ、回っているだけで一向に結果が出てこない。
そうして、緊張に体を固めている僕の目の前で、なおも独り言を続けている奴がいる。
「・・・いや、待てよ。この屋上に入るには何も正攻法だけとは、いやしかしあいつにそんなアクロバティックな真似ができるようには見えない、だとすると一体・・・」
この場にまるでそぐわない雰囲気を醸し出している男。
東西南北彼方からどうやって逃れきるか。
その絶対条件は、一見簡単なようで絶対に証明できない悪質な矛盾をはらんだ問題のような障壁として僕の前に立ちふさがっていた。
何か、何かあの東西南北彼方の気を引くものはないか。
意味もなくポケットへ手を入れてみる、そこにあるかもしれない僅かな可能性を信じて。
僕の指の先に何か硬質な物が触れた。
これだ、瞬時に判断した僕はそれを目の前の男に向けて突きつけた。
「あん?なんだそれは。・・・鍵?もしかしてこの屋上の鍵か」
一瞬だけ動揺というか、怪訝な顔をのぞかせる東西南北。
だがその顔を浮かべたのもほんの一瞬、次の瞬間にはその顔は何かに納得したかのように余裕に満ち溢れていた。
「成程、この屋上の扉の正式な鍵か。はん、鍵がなくなったのは俺が入学するより前だって話だからな、お前その鍵を誰かから受け取ったって口だな」
軽い後悔と、それと同等くらいの驚愕。
見破られた、というか看過された、この一瞬で。
やはりこの男尋常ではない。
ますます警戒を強める僕だったが、東西南北は疑問が氷解したことに満足したのか、むしろどうでもいいような感じで呟いた。
「なんだよ、正攻法かよ、つまらねぇ。もっとこうアクロバティックな裏技で攻めてみる気概はお前にはねぇのか」
そんなこと言われても、正面から入る手段を持っているのにそんな危険を冒す馬鹿がどこにいる。
「まったく、つまらねぇ。せっかく面白いことが起きたと思ったのによぉ」
そう言って、ニィと唇の端を釣り上げるようにして薄く笑う目の前の男。
「なんだかやけに本校舎の方がやかましくて、旧校舎の方まで響いてきやがる。全くこの俺の貴重な睡眠時間を何だと思っていやがる」
この男、まさか寝る為に学校に来ているのか?
まあ、考えられなくもない、東西南北彼方には授業に出る必要性も必然性もない、特別優待生なのだから。
まあ、しかしそれ故にこの学校の事情には少し疎いようでもある。
今この学園で起きていることを知らない生徒などいないはずなのだから。
しかし何事にも例外というのはつきもののようだ。
そしてその例外が今回僕を助ける手立てとなるとは・・・人生とは何が起きるか本当に読めないなぁ・・・。
東西南北彼方の興味をそらす、それにはもってこいの話題かもしれない。
「騒動の原因はカンニング・・・、今週末の中間試験の問題が盗み見されるっていう事件が起きたからさ」
「あん?カンニングだと?しかし、盗み見っていったって、盗んだわけでもないのになんでったってそれがバレてんだ?・・・はん、そういうことかよ」
「まあ概ね予想通りだと思うけど。バレた原因は簡単で、盗み見した犯人が捕まったからだよ、間抜けにもね」
「ああ、間抜けもいいところだなそりゃ。しかし、それにしちゃあ騒ぎが大きすぎねぇか?犯人が捕まってんなら、そこまで大騒ぎしねぇだろ。捕まった犯人が有名人かなんかだったのか?」
「違う。捕まった生徒の名前は星野(ほしの)深夜(しんや)。成績は中の中程度、はっきり言って特筆することもない生徒だ」
「なんだ、そんな普通の野郎がカンニングしようとしたのか?」
「さあ、そんなこと本人に聞いてみなくちゃ分からいさ」
「あん?そいつ、捕まったってことは教師連中から色々と尋問されたはずだろ?そんな尋問にも口を割らないような強情な奴だったのか?」
尋問て・・・、もっと他に言い方があるだろうに。
こういう所は本当にあの時のスピーチを彷彿させる。
東西南北彼方は言葉を飾るという考え方をしない、それは彼の言葉を見れば一目瞭然だ。
「口を割らなかったのは事実みたいだけど、それは自分の保身だけではどうやらないらしいんだ、つまりは・・・」
「はん、読めた。仲間がいたわけか」
鋭い、はっきり言って読みの精度が半端ではない。
「星野深夜は話さないんじゃなくて、話せないらしいんだ。きっと報復を恐れての行為だと思うんだけど、それで教師陣も業を煮やしているわけだ」
「成程な、この学園の教師どもの考えることなんか見え透いてる。その星野深夜は主犯格ではない、主犯格を処罰しない限り問題は解決しないとかなんとか・・・、はん、見せしめで退学にでもしてやればその連中だって何もしなくなるだろうに。あいつらは世間体って奴に執心だからな」
まあ、彼の言っていることは概ね間違いない、というかかなりの精度で的中している。
つまり教師一同はイタチごっこをしたくないわけだ。
東西南北はああいったが、確かにこの私立御堂館学園は世間体を結構気にするような性質がある。
だから間違ってもこの件は警察に引き渡さず自らの手で決着をつけたがるだろう。
だが、星野深夜一人に処罰を加えても、今回の件の主犯格を捕まえない限りまた同じことが起きるとでも考えているのだろう。
星野深夜が軟禁同然の状態で生徒指導室にいるのも同様の理由だ。
世間の風評が悪くなるから、この件が解決しない限り星野深夜を監視する腹積もりだろう。
まあ、軟禁同然とは言ったけど、星野深夜も放課後になったら家に帰っているようだし、朝も学校に登校しているようだ。
まあ放課後に帰るのはともかく、登校は強制されてのことなんだろうけど。
だけど、そんな風に情報を規制しても人の口に戸は立てられない。
いつの間にか漏れ出した情報は、まるで水にインクを落としたように瞬く間に全校生徒に知れ渡った。
今行われている全教師の職員会議も、元の事件そのものについてではなく、この広がってしまった情報をどうすべきかについて話し合うためのものだろう。
まあ、そんなこともあってか今は当然授業をするはずの教師が全員会議に駆り出されているのだから、当然授業は自習。
僕がここに来たのだって、別に一概にサボりじゃないし、まあ何より教室の喧騒に馴染めなかったというのもある。
しかし、こんなところで東西南北彼方と出会うようなら馴染めなくても教室にいるべきだったな・・・。
僕はそこまで考えて、短い溜息をついたがそんなことは東西南北は気にも留めていないようだ。
何やら、さっきからまた何やら考え事をするようにぶつぶつと独り言をつぶやいている。
だが、すぐに思考から現実に戻ってきたように僕の方に目線を向けると、僕に向かって無遠慮までに質問を浴びせ始める。
「大体のところは理解した。理解したが・・・、お前肝心のどうして騒ぎがここまで大きくなっている原因について話していねえじゃねぇか」
やはり気づいたか、まあしかしここまでの振りは上々だ。
あとは仕上げに移るだけだ。
「ああ、それなら簡単だ。その手段が不可解だっただけだよ」
「手段が不可解?」
「事件当時、学校は中から完全に施錠されていたし、テストのデータの入ったパソコンのある職員室も同様にだ。しかし犯人一味はその職員室に侵入し、まんまとそのデータを盗み見ることに成功した。まあ、その途中で校内を巡回していた警備員に運悪く見つかった星野深夜は人柱にされたようだけどね」
「あん?ってことはつまり・・・」
「そう、事件当時この学校と職員室は密室だったってことさ」

東西南北彼方の新入生代表のスピーチの冒頭、彼は最初にこう呟いた。
「退屈だ、俺はとても退屈している。だからこの俺の退屈を紛らわせる謎があるならこの俺のところに来い。俺が相手してやる」
彼もまた、日常に不満を持つものだという、ただそれだけの話。
だから、彼は喰いつくと踏んだ。
その予想は的中した。
否、それでは言葉は足りないか。
その予想は的中しすぎた、僕の予想のはるか斜め上をゆくように。
・・・どうやら巻き込まれた嵐からはそう簡単には抜け出られないらしい。
もう勘弁して・・・

気がついたら件(くだん)の生徒指導室にいた。
彼に星野深夜が生徒指導室に軟禁同然の待遇を受けていると言ったつもりはなかったので、そのあたりはまあ、今回もまた読みあてたといったところだろう。
東西南北彼方はあの後、僕に一言
「行くぞ」
とだけ言って、僕の手を掴んで引きずるように屋上を後にしたのだ。
僕としては、あれで彼の興味が僕からその事件に移ったものだとばかり思っていたから、突然のその行為に思わず自我喪失の事態に陥ってしまった。
で気づいたら、さっき言ったとおり生徒指導室にいたというわけだ。
生徒指導室、その存在はまあ知ってはいるがいまだに入ったことのなかったこの部屋にまさか入ることになろうとは夢にも思わなかった。
部屋はそんなに広くなく、中央に置かれた簡易机の両端に2人ずつ、計4人が座れるように椅子が並べられており、壁には何かのファイルが入れられたラックがあるだけの簡素な風景で占められていた。
この部屋にいるのは僕と東西南北彼方と、
事件の当事者たる星野深夜。
以上。
あれ?おかしい、ここに星野深夜がいるはずなら、当然のごとく先生が最低一人はいるはずだ。
職員会議で招集がかかっているとはいえ、おろそかにしていい問題ではない。
なら何故・・・?
しかし、疑問は僕の目の前にいる男を見た瞬間氷解した。
いや、より具体的にいえば思い出した、か。
東西南北彼方に連れられ、自我喪失の状態にあったとはいえ、気絶していたわけではない。
当然、ここに連れられた時に教師との間で交わされた会話も覚えているのだ。
ああ、だんだん思い出してきた、ここに連れられてきた時の事を・・・。

生徒指導室まで足取りは全く迷うことなく、ここまで僕を連れてきた東西南北彼方は扉の取っ手に手をかけると無遠慮に引き開けたのだ。
しかも、結構勢いよく引いたので扉が騒音のごとき音を響かせて開いた。
まあ、当然のことながらそんな事が起こるとは夢にも思わなかったであろう、生徒指導室にいた教師と星野深夜はその突然の音に驚き飛び上っていた。
特に星野にいたっては、椅子に座った状態で数十センチは飛び上ったんじゃないかと思うぐらいに驚いていた。
しかも、その扉を開けたのが御堂館学園の悪い意味での有名人、東西南北彼方だと分かった瞬間、教師と星野深夜、両方が再び驚いた顔をする。
東西南北彼方は、そんな両名を意に介さないように無遠慮なまでにずかずかと生徒指導室に入っていく。
当然、彼にその手を掴まれたままの僕も引きずられるようにして部屋に連行されていく。
そして、東西南北は睥睨(へいげい)するように部屋を一度見回した後、
「特別措置その1の発動をここに宣言する」
とかなんとかわけのわからないことを言い出した。
しかし、この部屋の中にいる人間のうち教師だけがその言葉の意味がわかったらしく、苦々しい表情とともに舌打ちをすると、星野深夜の方を見て行くぞとばかりに目線を外へと向けた。
星野深夜も幽鬼(ゆうき)のように呆然としながらも頷くと、腰をあげ―――
「おっと、その備品はおいていけ」
東西南北彼方のその言葉に凍りついた。
さすがに今度ばかりは教師の方も不満があるらしく、「おいっ!」と彼の方に詰め寄ったが、東西南北は揺るがない。
それどころかどこまでもその不遜(ふそん)な態度を崩さずに教師を見下ろすと、「ハッ」っと鼻で笑った。
「そいつには用がある、何2、3聞きたいことがあるだけだ。終わったら出て行くさ」
その言葉に教師は東西南北の方を睨みつけたままで、しかしどこかあきらめの混じる声で、「勝手にしろ!」
それだけ言って、生徒指導室から出て行った。
その時、扉を閉じて行ってきたところからみると、その教師は几帳面な方だと推測できた。
いや、単純にそれ以上東西南北の言葉を聞きたくなかっただけか。
そのどちらなのか、はたまたまったく別の意図があったのか、そんなことは彼にしかわからない―――、とそこで僕の自我はようやく喪失の淵から這い上がり、僕はやっと自己が置かれている状況を自覚できるようになったのだった。

星野に座るように促しながら、さっきまで教師が座っていた椅子に自分自身も座った。
僕は、彼のとなりに座ろうかと一瞬迷ったが、結局手持無沙汰に扉の近くに立っている方を選んだ。
東西南北は、星野深夜と対峙するようにその目線を向ける。
その圧力(プレッシャー)に思わずといったように、星野が目線をそらす。
「さっきも言ったが、お前に聞きたいことがある」
唐突なまでに自分勝手に話を始める東西南北。
そして、その目つきを鋭く冷たいものへと変えた。
それは例えるなら、法廷において被疑者の嘘を見破らんとする検事の目のごとき鋭い眼光を湛(たた)えていた。
「お前は本当に他の―――カンニング犯の一味について何も知らないのか?」
その言葉とともにますますプレッシャーは強まる。
だがしかし、星野深夜もキッと顔をあげて、東西南北の顔を見据えると、意を決して言い放った。
「知らない、僕は何も知らないんだ!ただ、ある日靴箱に手紙が入っていてそれで誘われただけで、最初から最後まで、他の人間のことについては知りもしなかったんだ・・・。」
それだけ言うと、なよなよと萎れるようにうつむく星野。
しばらくの間、東西南北は星野にプレッシャーをかけ続けていたが、やがてふっとその重苦しい空気はとかれた。
それともに、少しけだるげな表情を浮かべる東西南北。
「事件があった時・・・、正確にはお前が警備員に発見される前から、発見された後までのことを説明しろ」
今度は先ほどとうって変わって、プレッシャー皆無の面倒そうに彼はそう問う。
しばらくの間黙っていた星野だったが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「あの日の夜・・・、僕は見張りを任せられて職員室の柱の陰に身を隠していました。そこならば、警備員の目線からも死角になるだろうって書かれていましたし、実際に自分でも確認した上のことでしたから安心しきっていたんです。でも・・・」
「でも?」
「突然鳴り出したんです」
「鳴り出したって、何が?」
「無線機がです」
「無線機?」
「はい、連絡用の代物であの夜にどこまで計画が進行しているかを伝えるためのもので、それも手紙と一緒に入っていて、あ、その時の手紙は最初の手紙じゃなくて、僕が計画に参加するってことを伝えた後に入れられたものなんですけど・・・。あ、でもなんか妙に声がくぐもっていて、声を聞いただけでは誰かと判断するのは・・・」
「そうか、それでその無線機はどうして鳴り出したんだ。」
「わからない・・・、普通に使っている時には何の問題もなかったんだけど、その無線機から急に音が鳴って、近くにいた警備員の人に見つかって・・・」
この有り様というわけか。
「成程、よくわかった。それじゃあその後、音が鳴ってお前が捕まるまでの間に何が起きたのかを教えろ」
相変わらずの命令口調。
しかし、そこには有無を言わせないような妙な力が作用しているかのように、星野の口を開かせる。
「無線機の音が鳴り出した時、僕は凄い驚いて思わず飛び上がってしまったんです。その物音を聞きつけた警備員の人が、『そこに誰かいるのか!』って僕が隠れているところにきて、その時ガラスが割れたんです」
「ガラスが、か?」
「あ、いえ正確にはガラスの割れた音がしたんです。それも立て続けに3回、その後何かが落ちるような物音がして・・・、突然の音に僕も警備員の人も呆然としていたんですけど、先に警備員の人が我にかえって職員室のドアを開けようとしたんですけど、開かなかったんです。」
「ドアが、開かなかった」
「はい、そうしているうちに僕も我に返って、逃げようとしたんですけど足がもつれて倒れて・・・」
色々と情報が出てきてめまぐるしくなっているが、とりあえず要約してみると星野深夜は何者かに誘われてカンニングに加担。
見張り担当を言い渡せられ、職員室の前に隠れていたが、急に無線機から音が鳴り始めた。
そこに運悪く居合わせた警備員がその物音に反応、星野深夜のいるところに駆けつけようとしたところ、ガラスが割れる音が3回響き、その後何かが落ちるような物音がした。
しばらくの間、呆然としていた2人だが、先に我に返った警備員が職員室に入ろうとしたがドアにはかぎがかかっていた。
一歩遅れて我に返った星野が逃走を図るも、運悪く転びあえなく捕まった、というわけだ。
・・・ん?何かが不自然だ。
いや、何がと聞かれると困るのだが、こう喉に魚の小骨が引っ掛かっているようなそんな違和感を感じたのだ。
僕がその違和感の正体を探っていると、東西南北彼方は短く溜息をついた。
「ハッ、せっかく面白そうなことが起きたと思ったらまたこれかよ、全くつまらねぇ・・・。大体の考えからくだらねぇ上に、こんなことでいちいち騒いでいる連中の気がしれねぇな。まったく、こんな簡単なことでいちいち悩んでるんじゃねぇよ」
それだけ言うと、東西南北はがたりと椅子から立ち上がると、「邪魔したな」とだけ言って生徒指導室からツカツカと出て行ってしまった。
あっけにとられたまま残される僕と星野。
結局2人はしばらくして教師が戻ってくるまで、そうしていたのだった。

翌日、いまだ学園がカンニングの話題が持ちきりの中、またしても言い渡された自習の時間の最中、僕は教室ではなく、旧校舎にいた。
教室があるのは教室棟、通称本校舎であるのに対し、化学室や物理室等の特別教室があるのが特別校舎。
ちなみにその特別校舎には今回の事件現場である職員室が2階にあり、本校舎と同様に4階建となっている。
それらの2つの校舎に対して、今はほとんど使われることのないいわば物置同然の扱いを受けているのが旧校舎である。
僕がわざわざ旧校舎に足を運んだのには理由がある。
昨日の東西南北の言葉に「旧校舎の方まで騒ぎが響いている」とあった。
つまりは、東西南北は普段から旧校舎にいる可能性が高いと踏んだのだ。
それに旧校舎には上記のとおり人がほとんど寄り付かない。
東西南北彼方の目撃例が極端に少ないのもこのためだと思ったからだ。
僕の目的にあるのはただ1つ。
喉に刺さった小骨のようなこの違和感をどうにかしたい、それだけだ。
まあ、今回の事件に対して興味がないといえばそれは嘘になるが、それよりもこの違和感をどうにかしなければいけない。
昨日の時点ではまだ何ともなかったが、その違和感を意識し始めてからどんどんとそれは膨れ続け、もう無視できない段階にまで至っている。
はっきり言ってもう限界だ。
簡単にいえば気になって気になってしょうがないのだ。
それこそご飯も喉を通らないぐらいに。
だから僕はこの違和感を解消してくれそうな人物、東西南北彼方を探して旧校舎を行ったり来たりしていた。
旧校舎はそのほとんどの教室が施錠されているので、片っ端からドアに手をかけていけばとりあえずは人がいるかどうかは判断できる。
まあ、中の人間が鍵をしめている場合も無きにしも非(あら)ずだが、そんなときはドアについた小窓から中をのぞきこめばいいだけの話だ。
そんな作業を何回も続けているうちに僕はその部屋の前にたどりついた。
2階の一番奥の教室、頭上のプレートには資料室とだけ書かれている。
資料室、とはいうが簡単にいえば第2図書室だ。
本物の図書室は別館に大きな施設として存在するのだが、その図書室の書庫にすら入りきらない分を一時的に保管しておくのがこの資料室だ。
とはいっても、ここに入れられた本たちは日の目を見ることなく、いつか捨てられるその日までここにこうして安置される運命なのだが。
そんな本たちのある意味墓場とも言える資料室の扉に僕は手をかけた。
その時、僕はもう半分くらい諦めかけていた。
半分以上やっているのに一向にその影すらつかめないその行為にいい加減辟易(へきえき)し始めていたのだ。
だから資料室の扉があいたときは、少しの達成感と多くの驚愕が僕の中に満ちたのだった。
そこに、はたして東西南北彼方はいた。
本に囲まれるように、部屋の中央に入れたロッキングチェアに腰かけ、目の前の机の上に置かれた盤上を眺めていた。
その盤の上に置かれたいる6つの女王(クイーン)の駒。
どうやら東西南北はエイトクイーンをやっているようだった。
いや、正確にいえば違うか。
エイトクイーンは本来、というか使い方的にはチェス盤の上でやるのが妥当というか、適している。
だが、東西南北はあろうことか将棋盤の上でエイトクイーンをやっていたのだ。
チェス盤が8×8の64マスに対し、将棋盤は9×9の81マス存在する。
それ故にエイトクイーンの最終終了形態もずれてくるはずなのだから。
いや、もしかしたら東西南北はナイン、ひょっとしたらテンクイーンをやっているのかもしれない、何とも不毛なことこの上ないが。
突然の来訪者に、しかし驚くこともなく僕を一瞥した後再び盤上に視線を戻す東西南北。彼の手が7人目の女王をその戦場に配置したところで、ようやく彼は言葉を発した。
「なんのようだ」
しかし、目線は盤上に固定したまま動かさない。
彼の手が盤の脇に置いてある8人目の女王をつかむのを尻目に僕は話し始める。
「聞きたいことがある、カンニング事件について」
カンニング・・・?ああ、あのあまりにも簡単すぎるあれか」
一瞬の逡巡の後、迷うことなく女王を盤上に配置しながら彼は返答する。
「簡単だということは、わかったんだな。あの事件の真相が」
「真相っていうほど大げさなもんじゃねぇけどな。でもそれがどうした、お前に何か関係のある話なのか?」
「聞きたい、そして僕が抱えている違和感を解消したい」
そこまで言って、ようやく顔をあげる東西南北。
「はん、あれについて知りたいことなんて俺には見当もつかねぇが・・・、まあいい、暇つぶしくらいにはなるだろ。んで、なにがしりたいんだ?」
「その前にまず聞いておく。君はどこまで今回の事件について把握しいるんだ?」
「あん?把握ねぇ・・・、先に言っておくが俺はカンニング犯が誰だとかそんなことは知ったことじゃねぇからな。大体俺は『フーダニット』には興味がねぇ、おんなじように『ワイダニット』にもな。俺が興味があるのは『ハウダニット』だけだ」
「ちょ、ちょっと待って。『はうだにっと』って何のことだ」
「はっ、これだから素人は・・・」
そういって、鼻で笑う東西南北。
ハウダニット・・・英語で表記すれば『How done it?』、意訳すればどうやってそれを成し得たのか・・・、つまりは方法論についての考察だ。同様にフーダニットは犯人について、ワイダニットは動機についての考察だが・・・俺にはそんなものはどうでもいい、俺はあくまで方法についてだけ知っているにすぎない」
そういって、東西南北は9人目の女王をくるくると手の中でもてあそぶ。
僕としては、まあ問題はないだろう。
「まずはお前が言っていた2つの密室・・・、学校と職員室の密室から説明してやろう」
暇つぶしとか言いながらも、率先して彼は探偵役に徹している。
案外はまったのかもしれない。
「とは言ったものの、はっきり言ってこんなもの密室でも何でもない。まず第1に校舎の方だが・・・、はっきり言って施錠したあとから校舎に侵入することも十分可能だが―――例えば、この旧校舎の窓の鍵を一つはずしておくとかなー――一番簡単で、露見しにくい方法は学校に居残ることだ」
くるくるとペン回しのように彼の指先が女王を回し始める。
「学校は四六時中施錠され、監視されている鉄壁の城塞じゃない。あくまで昼には普通に生徒なら誰でも入れる場所でしかない。ならば話は簡単だ、学校が完全に施錠されるまでにどこか見つからないような場所に隠れていればいい。教師や警備員もそこまで残っている生徒がいるとは考えないだろうからな」
成程、それは確かに盲点と言えるかもしれない。
「まあ、第1の密室に関してはお前の話を聞いた時点で既に推測はついていたし、この方法ならまず間違いはないだろうと思うが、まあそんなことはどうでもいい。俺が気になったのは第2の密室つまり職員室の密室についてだ。だからわざわざ星野とやらに話を聞きに行ったんだ」
東西南北が生徒指導室に来た時に、彼はどうやって校舎に入ったとかは一切抜きにして、見つかる前の状況から話させていた。
おそらく彼の言うとおり、彼の興味ははじめからその一点だけだったのだろう。
「まあ、実際は話を聞いて落胆したけどな。密室と言えば密室と言えなくもないような、何というか詐欺みたいな密室だな。まあ、どうでもいいが。とにかく、第2の密室の問題も星野の話を聞いていたらすぐにわかった。奴は少なくとも俺に対して嘘は語っていなかった、嘘かどうかなんて目を見ればわかる。まあ、それはともかく星野の供述に犯人一味の姿がまったく出てこなかったこと、職員室が施錠されていたことも加味すれば答えは一つだ」
そう言って、彼はロッキングチェアに身をゆだねながら、
「正攻法が無理ならアクロバティックに行けばいい」
あの時、屋上で出会ったときみたいな事を口にした。
「職員室は2階に存在する、その上には当然3階がある。犯人たちはその3階から、おそらく縄梯子のようなものを使って職員室の窓沿いまで降りてきて、ガラス切りか何かでガラスを切断、あるいは破壊して職員室に侵入した。そして、出て行く時にガラスを破って脱出したから結果的に侵入した時の形跡が残らなかった」
ギシッっと音を立てながらロッキングチェアを揺らす東西南北。
しかし、そこまで来て雰囲気を変えるかのごとく彼はその口端を笑うように歪めた。
「これが犯人が描いたシナリオだ」
はっと、そこまで来てようやく僕は自分が抱えている違和感の正体に気がついた。
運悪く、とか偶然にとかの言葉があまりにも多用されすぎているのだ。
まるで、誰かの手のひらの上で踊らされているようなそんな印象を、知らず知らずのうちに受けていたのだ。
それに星野深夜を誘った件から鑑みても、犯行は計画的なのにその終わり方があまりにも乱暴なのだ。
無線機の件と言い、その計画性と言いなにもかもに統一感というものが全く意味られない。
だがもしそれが、犯人の目的だったら?
予想外のイレギュラーが起こったせいで、そう対応するしかなかったと思わせるためだったとしたら?
すべての符号が合致する。
「はっきり言って今回の事件、あんまり気持ちのいいもんじゃねぇ。お前が例えたとおり星野深夜は人柱であり、人身御供だったんだからな。」
東西南北は、ロッキングチェアから立ち上がると大して広くない部屋を一望してから俺へと視線を戻す。
「今回の件、用意周到な準備の割にはあからさま過ぎるイレギュラーでその準備が台無しになっている。けれども、おざなりに見える最後だが実際には実にスムーズかつ冷静に事は運ばれている。当り前だよな、イレギュラーでさえ計画の一部だったんだから」
そう、イレギュラーもが計画の一部だと考えると、事件は全く別の側面を見せる。
例えばそう、大きな音を立ててまでもガラスを割った理由とか。
「無線機から突然鳴り出した、今回の事件におけるイレギュラーも計画の一部。だとすると犯人一味の規模も自然限定できることとなる。無線機から音が鳴り出した後、ガラスが割れる音が3回したことから考えて、職員室に侵入した人数は3人と考えるのが妥当だろう。そしてあと、見張りである星野深夜を監視し、警備員が来るタイミングを計る人間1人を合わせた、4人が今回の事件の犯人一味だ。・・・だが、さっきも言ったように俺は犯人が誰かには興味がない。だから、犯人一味が4人だということで、とっとと話を進めさせてもらう」
こういったところは本当に淡白な性格をしている。
彼の意識は興味のある方にしか向かない、まるで方位磁石のようだ。
「星野を監視する人間は、警備員が近付いてきたらタイミングを見計らって無線機から音が流れだすというイレギュラーを作り出す。それに警備員が反応したら、中にいる人間がガラスを割る。ガラスを割ったのは、侵入した形跡を誤魔化すためで、3つ割ったのはその侵入した形跡を誤魔化したことを隠すためだろう。実際に侵入する際には窓は1つで事足りるからな。そして、ガラスを割ったのにはもう2つ意味があったと思われる」
まるで、謎解きをする名探偵のように彼は本と本との間を行き来する。
「1つは焦っているということを警備員に印象付けるため。冷静に考えれば、窓を開けたほうが早いし、確実だからな。わざわざ割れたガラスの危険に自らをさらす必要なんてないんだからな。そして、もう一つの方が重要なんだが、なあ普通窓ガラスを破った人間はどこに逃げると思う?」
突然降られたその質問に、僕は若干戸惑いながらも返答する。
「外・・・か?」
「そうだ、それが正常な思考だ。しかし、犯人はそれを逆手に取った。その後に何かが落ちるような音がしたという点から見ても間違いない。犯人一味は一人一つ、縄梯子を用意して、片方を3階の窓枠にかけて、もう片方に重しとなるようなもの―――おそらく、砂か何かを詰めた袋か何かだと思うが―――をくくりつけた。そして、職員室から脱出するときにそれを地面に投げ落としたんだ。」
立て板に水とはまさにこのことだとも言いたげなように、彼の口はさらなる言葉を紡ぎだす。
「この重しは、さっきの外に逃げたと思わせるのをさらに強調させるのと同時に、縄梯子をピンと張らせることで素早く上ることができるようにするためだろう。そして3人全員が上り終わったら重しを回収するという手はずだ。だが、これも警備員が職員室に入ってきてしまえば、せっかくのシナリオが水の泡だ。だからこそ星野深夜が必要になってくるわけだ。警備員はひょっとしたらマスターキーを持っていて職員室の鍵を開けられる可能性がゼロじゃないが、目の前に獲物があるのにそれをみすみす逃がす奴はそういない。しかも、それはかなりの確率で関係者なわけだからなおさらだ」
そういう意味での人柱、つまり星野は格好の囮役でもあったわけだ。
「星野が捕まっても別に問題はない。一番良いのは星野を追って警備員が職員室から遠ざかっていくことだが、時間稼ぎさえできれば問題はない。そうやって悠々と職員室から脱出した3人は、そうやって学校がまた開くまで待てばいい。しかも、開いたら開いたで騒ぎが起きることはまず間違いないから、それに乗じることで自分たちが異常に早く学校についていたことについての印象も薄れさせることができる。これが事件当夜に起こった事実だ」
そうやって一気にまくしたてると、短くふうと息を吐いて再びゆっくりとロッキングチェアに腰かける。
僕は、自分の中で数々の疑問が氷解して行くのを感じていた。
そして、それとともにこの男、東西南北彼方に舌を巻く思いでいることを隠さずにはいられなかった。
この男はこれだけの推理を、星野深夜と会話したあの時間だけでし終えたのだ。
そしてあまつさえ簡単だと言い放って、生徒指導室を後にした。
測りきれない、とてもじゃないが東西南北は普通とはかけ離れている。
そうやって、半分感心しながらもう半分は驚きながら納得していたが、不意に思考が凍りついた。
ちょっと待て。
カンニングはばれないからこそ意味がある。
でも、さっきの説明だと犯人たちはカンニングをわざわざ知らしめるために犯行を行ったようにしか考えられない。
どういうことだ。
犯人の目的はカンニングじゃないのか?
わからないわからない、全く全然これっぽっちもわからない。
思考の空転が始まる、噛み合わない歯車が虚しく回るように。
その歯車を繋ぎなおしたほかでもない、東西南北彼方、その人だった。
「はん、気づいたようだな。この事件の最大の矛盾に」
ロッキングチェアを静かに揺らしながらそう呟く東西南北。
「失敗すら計画の一部だった今回の事件。露見することが計画に組み込まれていた今回の事件。どう考えても犯人一味の目的はカンニングじゃねぇ。いうまでもなくカンニングはばれないことが前提条件だからな。となると、犯人たちの目的は他にある。何日も前から同じようにして警備員の巡回ルートと時間を調査し、法則性を導き出したり、他にも縄梯子の準備だったり、無線機の調達等をしてまで準備した計画の目的は、カンニングじゃない、カンニングを露見させることこそが今回の事件の目的だ」
カンニングを、露見させることが目的?
「それは、一体どういうことなんだ?」
「簡単なことだ。もしもテストの内容が盗み見られたとしたら、テストを作り直さなければならない。しかも、今回の事件が起きたせいで自習続きになっていしまっている。これじゃあ中間試験を行うことすら難しいよなぁ?」
あ!とそこまで来てようやく理解が追い付く。
犯人たちの目的は、中間試験の延期または頓挫にこそあったのだと。
カンニングは星野深夜を釣る餌であり、同時に犯人たちの真意を隠すための隠れ蓑だったのだ。
そして、おそらく犯人たちの目論見通り中間試験は高い確率で中止されるだろう。
となれば、カンニング騒ぎを広めたのも犯人たちだと考えるのが妥当だ。
騒ぎが大きくなればなるほど犯人たちにとっては都合がいい。
何故ならそれが大きな騒ぎであればある程収集をつけるのに時間がかかるからだ。
僕はようやく合点がいった。
不自然なまでに騒ぎが大きい理由とか、噂の広まり具合が物凄いこととか、他にも今回の事件の真相を知った今だからこそわかる事が数多く湧き出てくる。
だが、それよりも気にかかることがある。
今回の事件の一番の被害者である星野深夜のことだ。
彼がどうしてカンニングに加担したのかはわからない。
しかし、その片棒を担ごうと思ったのだから、相当に切羽詰まっていたのだろうし、そこを犯人たちに巧みに突かれたと思うと自業自得な感じも否めない。
だがそれでも、今回の事件で一番害を被っているのは星野深夜に間違いはない。
僕は何も星野深夜を助けてやろうとは思わない。
だが知ってしまった以上、動かないでいられるほど冷めてはいないのもまた事実だ。
しかし、僕には犯人たちが誰かを突き止める手段はない。
もしかしたら東西南北彼方ならばそれが可能かもしれないが、彼は最初から誰が犯人かは興味がないと言いきっている。
彼に協力を仰ぐのは難しいだろうし、何より彼はもうこの事件に興味はないだろう。
現に、すべてを話し終わった彼は、僕の存在など全く無視をしてエイトクイーンに没頭している。
だから僕はそっと彼に気付かれないように資料室を後にした。
自分に出来る事を考えながら。
頭上で鳴り響くチャイムの音は、もはや僕の耳には届いていなかった。

数日後、その日は本来ならば中間試験が行われる日だったのだが、その中間試験は犯人の目論見通り中止へと追いやられてしまった。
その代りに今学期の成績は期末試験での評価に完全に依存する形になるので、一度は狂喜乱舞の雨嵐だった生徒たちも、その言葉を聞いた瞬間天国から地獄に落ちたような顔をしていた。
だがしかし、期末試験までは随分と時間がある。
各々はおそらくそれまでまた自由に過ごすことになるのだろう。
今はその事を正式に伝えることと、今回の事件の真相を話すための全校集会が講堂で行われているはずだ。
僕はと言えば、何だが参加する気にはなれずいつものように屋上で暇を潰していた。
今回僕が星野深夜のためにしたこと、それは第2、第3の星野が出ることを防ぐことである。
具体的には星野が今回の事件の被害者であること、そして今回犯人たちが使った手口を教師に事細やかに説明したのだ。
とはいっても今回の事件の真相すべてを語ったわけではない。
そんな事をすれば、意地でも中間試験をしようとするのは目に見えている。
僕だってなくなろうとしているものを無理に復活させようと思うほど試験好きじゃない。
むしろ無くなってくれるならそれに越した事は無い。
まあ、期末試験のみが今学期の成績を考査する基準となるというのは正直勘弁願いたいが。
しかし、まあそういうものはなるようにしかならないと、すでに諦めはついている。
大半の生徒もおそらくは僕と同じような考えに至っていることだろう。
僕は眼下の講堂を眺めながらそんなことをつらつらと考えていた。
その時。
「あん?またお前か。お前も気に入ってんのか、ここ?」
縁というのは、得てして切れにくいものらしい。
東西南北彼方はいつかの日と同じように屋上の扉を開けて僕を見ていた。
「まあ、嫌いじゃないよ。今回はかったるかったからここでサボっているだけだけど」
「はん、俺と似たようなもんか。もっとも参加しなくていい俺と、参加してないお前とじゃ天と地ほどの違いがあるがな」
そう言って皮肉気に口端を歪める。
僕はため息をひとつ。
「自分がしたこととはいっても本当に正しかったのかと思っちゃって。なんとなく参加する気にはなれなかったっていうのが本音だ」
「はん、正しいも正しくないもねぇよ。自分がしたいようにすりゃいいんだよ」
さすが経験者、言葉の重みが違う。
「あ、そういえば今回の件で一つだけ解決していないことがあったんだ」
「あん、なんだ?」
「特別措置その1って何なんだ?」
「あー、それか」
東西南北は面倒そうに頭をかいた。
「お前もここの生徒なら知ってんだろ、俺がどういう待遇を受けているかぐらいは」
「まあ、一応は」
「『授業に出なくても3年間在籍するだけで卒業する資格が与えられる』なんざ、裏を返せば授業に参加すんなってことだろ?だから俺の方からも条件をいくつか吹っ掛けてやったのさ。特別措置その1ってのは『自分の好きな時にこの学園内の施設を占有できる』っつー権利だ。他にも『学校名義の書類を発行できる』とかいろいろあるけどな。まあ、この俺にしか与えられていない特別な権利のことだ」
「ふうん、特別な権利・・・ねぇ」
彼は一体どんな思いでその権利をもぎ取ったのか、それは彼にしかわからない。
「結局今回の事件、犯人たちの思うとおりになっちゃったんだよな、なんか悔しいけど」
「はん、悔しいも何もあるか。俺もお前ももともと無関係だろうが、そんなことでいちいち悔しがってんじゃねぇよ」
「ま、それもそうなんだけどね。知っていながらも無視できるような人間じゃないからさ」
「はあん、お優しいことで」
東西南北彼方は皮肉気に返してくる。
まあでも僕のこれは優しさじゃない、どちらかといえば独善だ。
でも別にそれでかまわないと僕は思う。
世界とはえてしてそうやって回っているものなのだから。
「はん、今回の事件のホシは笑ってんのかねぇ?」
「さあ?上手くいったとばかりにほくそ笑んでいるのかもしれないけど」
そうして、今日も紡がれ始める。
運命の歯車は回り続けたままで。
一度巻き込まれた嵐からはそう簡単には抜け出せず。
むしろ中心に向かって引きずり込まれるように。
僕の日常はひっくり返って、巻き込まれて。
まだまだ物語は衰えを見せそうになかった

〈The The criminal called the star laugh,,laugh,,laugh・・・〉
〈and to be continued 〉