刹那「千年前の京より」

 それでいいと、思っていた。
 本来ならば憎むべきであるらしい相手が誰なのかも、何故自分がこんな仕打ちを受けるのかもわからない。それどころか、それを知りたいというモチベーションさえなかった。その事実に関しては、どこかの誰かにそんな行動をさせてしまう程度には自分がクズなのだろう、とどこか自分から乖離したような、客観的な感想しか持たなかったぐらいだ。強がりとかではなく、ただ自然に。
 したいなら、勝手にしていればいい。
 そう思っていたから、行動を起こさなかった。目の前の問題を解決しようとも思わず、流れに身を任せて事態を静観しながら、ただただ日々を無為に過ごしていた。
 そうして目を背けて、耳を塞いできたものが、あまりにも辛いことだったとも知らずに、のうのうと。
 だから、この光景に出会ってしまった時の反応に、自分のことながら、驚いた。
「気付いたらどんな顔するんですかね?」
「どうだろうね。まあとにかく、あの子には秘密だよ」
 くすくす笑い合いながら、私が入ったのとは別の出入り口から出て行った彼女らを見送ると、咄嗟に身を隠した物陰でへたり込んだ。
 何も言えなかった。
 頬に一筋の涙が流れる。
 親友だと思っていた人物からずっと裏切られていたことに気付いたというのに、声一つ上げられずに成り行きを見守るだけしかできないなんて。
 咎めたかった。追求したかった。怒りたかった、のに。
 一瞬の内に渦巻いたそれらの感情全てを飲み込んで、なかったことにしようとしている私が、あまりにも情けなくて、悔しくて、仕方がない。
 私を除け者にして楽しそうな二人。
 私をいとも簡単に裏切った、二人。
 耳の奥までしみ込んだ、楽しそうな笑い声。
 本当に、このままで、いいのか?
 先程、二人が触っていたものをよく見ようと近付いた。そっとディスプレイを窺う。自分の情けない泣き顔が映っていて、惨めだ、と思った。
 明日だ。明日、全てが終わったら、彼女らを追い詰めよう。何が起こるのかは分からないけれど、それを乗り越えることができたら、私は何でもできる。それくらい大きなことが明日起きる、気がする。
 よし、と決意を固めて、顔をあげた。

 
「ねえみやこさん。この世に生きているまっとうな人間なら、誰しも秘密の一つや二つ、持っているものだと思いません?」
 終始一貫して悪びれる様子の無いさつきの態度に、私の堪忍袋の緒が切れた。
「だからって、さあ」
 荒れ狂う怒りに身を任せてずいと詰め寄る。
「秘密にしていいことと悪いことってあるよねえ? つーか浮気とか秘密云々以前の問題だろうが、畜生が」
「え? ちょっと、それはどういう」
 さつきが困惑したように何か言いかけたが、無視。
「言い訳なんてどうでもいい。とりあえず死ね。社会のために。いや、やっぱ私のために」
「すずろに滅多なることなのたまひそ」
「ん?」
 突然毅然とした声で話しかけられた。頭に血が昇ってしまっているが故になんと言ったのかは聞きとれなかったが、冷静な第三者の声はオーバーヒートした気持ちを僅かながら落ちつかせた。
 このような道端で恥も外聞もなく喚き散らしているのだ、おせっかいな名も無き通行人が止めに入ることもあるだろう。しかし、これは私たちの問題だ、関係ない人間は引っこんでろ。そう思って文句の一つも言ってやろうと振り返る。無論八つ当たりであることは百も承知である。
「あのね、今取り込み中な」
「戯れなりとも、そうならませば心苦しからまし。言霊が力は侮るまじ」
「……んですけど」
 振り向くとそこには、名も無き通行人として片付けるにはインパクトがありすぎる少女が立っていた。つやつやした艶やかな黒髪に、重そうに何枚も重ねた着物。なんというか、そう、教科書の再現写真から飛び出したかのような紋切り型の服装。今にも「どーも、コテコテの平安人ですー」とでも言いだしそうなぐらいベタな格好だ。インパクト所の騒ぎではない。異質だ。「お嬢さん、随分と時代錯誤な格好と言葉遣いですね。何かの撮影ですか? それともどっきり?」などとのんきに声をかけることさえためらわれる。というか、関わりたくない。
 とりあえずさつきを見る。さつきはさつきで、いつもの余裕はどこへやら、目をまん丸にして呆けている。あ、こっち見た。目で何かを訴えかけてくる。え? なんとかしろ? ちょっと待て、私がなんとかできるとでも思っているのか。ん? あなたのせい? いやいや確かに私が往来で馬鹿騒ぎしたのが原因かもしれないけれど、さらにその原因を作ったのは……は? なんか話せ? 無理っす。お前が話せ。
 とはいえ確かにコミュニケーションは図らねば。さつきとのアイコンタクトのおかげか、結構落ちついてきたみたいだし、ちょっくら話してみようではないか!
 意気込みながら口を開いた第一声。
「あ、あいどんとすぴーくいんぐりっしゅ!」
 どうやら思っている以上に私は混乱しているようだった。
「何をふざけているんですか」
「ふざけてないよ! だって、外国語喋ってるじゃん! 外国人には英語だったら大体伝わるはず!」
「いや、どう見ても外国人ではないでしょう」
 少女が何か言ったようだったが、さつきに言い訳するのに必死でよく聞こえなかった。話を聞かない私に業を煮やしたのか、少女は少し語気を強くして言った。
「聞き給へ。みやこ殿」
「いやいや、聞いているんですけど、何言ってるか……」
 泣きそうな声で返事をすると、さつきの顔がみるみる変化して、怪訝そうな顔つきになる。
「今、みやこさんの名前を?」
 確かに。その冷静な一言で混乱を収めた私は、じっと少女を見つめてみる。十二単と言うんだったか、奇抜なファッションセンスにばかり目が行きがちだったが、よく見ると、その顔には見覚えが――。
「なんでみやこさんの名前を知ってるんですか」
「呼び給ひければこそ」
 少女はさつきを指さし、それから私を指さした。
 そういえばさつきが私の名前を口に出していた気がする。それを聞いていたってことか。なんだ、案外会話が成り立つじゃないか。それではこの場からさっさとご退散願おう。……えーと、なんて言えばいいかな。
「なるほどー、みやこさんのお知り合いですかあ。びっくりしちゃいましたよー」
 白々しい声に思考の中断を余儀なくされた私は光の速さでさつきの方を振り返る。こいつ、まさか。
「人が悪いですね、みやこさん。こんな手の込んだどっきりを仕掛けるなんて。ぼろが出てしまったとはいえ、十分成功ですよ、良かったですね。それではこの辺で」
 胡散臭い笑顔で挨拶して去ろうとするさつき。
「ちょっと、押しつけて帰ろうとするな! 第一、話が終わってないし!」
 今の少女のボディーランゲージを含んだ説明をどう解釈したらそういう結論になるんだ。そもそも仮にも親友と呼んでも差し支えはないような関係のさつきが、私の反応を見てそうと思うはずがない。となるとこいつ、そういうことにして面倒事から逃げる気だ。そうは問屋が卸さん。
「ああ、そのことでしたら」
 すでに身を翻していたさつきは、くるりと顔だけこちらに向けて、
「明日になれば、一件落着しますよ。それではごきげんよう。頑張って下さいね」
 などとのたまって、「あでゅー」と手をひらひらさせて夜の闇に消えていった。
 しばらく呆然とさつきが消えていった方向を見つめていたが、はっと我に返った。傍らでは少女が心配そうにこちらの様子を窺っている。
「あの、そういえばあなたは?」
「みやびにはべり」
「へえ、みやびさんって言うんだ……よね? 解釈合ってる?」
 みやびさんはこくりと頷いた。
 二人の間に沈黙が流れる。
「えへ。それでは私もこれで……」
 そう言って踵を返しかけたところ、みやびさんにぐっと腕を掴まれた。
「我を如何にせよとて捨てて行き給ふぞ。具して率ておはせぬ!」
 みやびさんは懸命な様子でそう叫んだ。ものすごく切実な訴えのようで、心にまっすぐ突き刺さってくる。
 よくよく観察してみると、変な格好はしているが顔立ちは幼く、中学生くらいに見える。関わりたくないと言うのは偽らざる本音だが、今さら感も拭えず、放っとくのは人道に反する行いな気がした。
「……帰るところ無いの?」
 そう尋ねると、みやびさんは大きく頷いた。心細いのか、先程から掴まれっぱなしの腕に、彼女の体の震えが伝わってくる。ワケアリってやつだろうか。
 問いただそうにも、もう夜が随分と更けてしまっているし、こんな道端では余計な注目を浴びてしまう。これ以上悪目立ちするのはさすがに御免こうむりたい。しかし放置するのも気が引ける。ならば。
「わかった、じゃあとりあえず家においで」
 そう言うと、みやびさんは花のような笑顔を浮かべた。
 一つため息をついて見上げた空は、誰かさんの腹の中のように、星一つ見えない真っ黒な空だった。
 ああ、神様。
 彼氏に浮気され、しかもその相手が親友(だった女)であるという事実が発覚。
 それを問い詰めていたら、時代感がめちゃくちゃな謎の少女に出会い、その処遇を親友(だった女)からあっさりと押し付けられる。
 これは、なんの試練でしょうか?
 それとも、天罰なのでしょうか?
 どちらにせよ、愚かな私に一つだけ言わせてください。
「あの薄汚いクソ女がああああ! 覚えてろおおお!」
 まさに敗者の遠吠え。また一つ生き恥をさらしたな、と思うと空しくなった。


 『現在は西暦二〇一二年十一月十八日……』
 ぐうぐうと眠っていたら、機械的な質感の声に起こされた。
「……んあ?」
 何、今の声? 誰?
 目をごしごしとこすりながらむっくりと起き上がると、十二単の袂を押さえたみやびさんが目に入った。
「あ、みやびさん、おはよう」
 そっか、みやびさんの声か。なんか違った気もするけど、まあいっか。緊張感のない大きなあくびを一つして、もう一度布団の中に潜り込む。
 いやいやいや、寝ている場合ではない。かぶり直した布団を勢いよくはねのけて身を起こす。昨夜は怒り疲れて家に帰ってくるなりぐっすり眠り込んでしまったが、みやびさんには聞きたいことが山程あるんだった。
 僅か一分程度の間に、起きて、寝て、また起きた私をみやびさんが「何やってんだこいつ」みたいな目で見ている。まあそれは致し方ないことだとして、とりあえず思いついたことを質問してみる。
「ねえ、みやびさんって、何でそんな話し方なの? 十二単着てるのは? 行くとこないのは何で? それからそれから」
 うん。私、落ちつけ。
「過ぎにしかたのことは、絶えて忘れはべりしを」
 何言ってんだこいつ。質問しといてあれだが、私はそんな顔をしていたに違いない。日本語で話せ。
 しかし、あんなに一気に質問したのに考えるまでもなく即答ってのはなんかおかしい。まるで答えを用意していたみたいだ。それに、この笑顔は知っている。都合が悪いことを隠そうとしている顔だ。何かごまかそうとしているのは間違いない。ちなみに何故そう思うかというと、何のことはない、さつきがよくやる笑顔だからだ。後は何も言わなくても伝わるだろう。
 よくわからんがごまかされまいぞ。そのような意思表示をするべく、じっとみやびさんを見据える。するとみやびさんは、自分の後方を指さし、朗らかな声で言った。
「いざ、飯奉れ」
 指さされたローテーブルの上を見ると、なんともおいしそうな料理がほこほこと湯気を立てていた。
「うわっおいしそう。え、何、作ってくれたの?」
 空腹かつ現金な私は、目の前の手料理にあっさり引きつけられた。
「奉れ」
 満面の笑顔でみやびさんは言う。
「えーっと、たてまつれ、って言った?」
 こくこくと頷くみやびさん。思わず笑顔が引きつった。
 たてまつれ、とはどういうことだろうか。仏壇的なものに供えればいいのか? しかし悲しいかな、独り暮らしの大学生の家に、料理を供えられるような立派な仏壇なんて存在しない。
 ええい、ままよ。仏壇の有無など関係ない。大事なのは神様仏様への信仰心のはずだ。そう思って私は苦し紛れに行動してみた。
「……如何かし給ひける」
 お皿を天高く頂いた私に、みやびさんから呆れたような声がかけられる。
「え! ち、違った?」
 首を回してみやびさんを見ると、彼女は心底奇怪なものでも見たように眉をひそめていた。みやびさん、そんな冷たい視線を浴びせかけないでください、本当に泣きそうになりますから。
 お皿を持ち上げたまま硬直する私に、痺れを切らしたようにみやびさんが近付いてくる。そして、手を伸ばしてお皿を奪った。
「えええ、お預けですか」
 声を出したと同時にお腹が鳴った。我ながら浅ましい。
 みやびさんは私を一瞥してからローテーブルにお皿を戻し、おもむろに箸を掴んだ。そして山菜の和え物を美しい箸さばきですくい取り、真顔で私の口の中に押し込んだ。
「むぐ」
「奉れ」
「……食べろってことですか?」
 ごくんと飲み込んで尋ねると、みやびさんは首肯した。
「わーい、いただきまーす!」
 遠慮する必要がないとわかった私は、箸を受け取り、勢いよく朝食を食べ始めた。
「おいしい!」
 そう言ってみやびさんを見やると、彼女は嬉しそうに笑っていた。かわいい。
 若干冷めてしまっている朝食をもぐもぐと食べながら、今までの出来事を思い返してみる。
 とりあえず、わかったことは二つだ。
 一つは、「奉れ」と言う単語は、どうやら「召しあがれ」を意味するらしいこと。そしてもう一つ。
「あのさ、みやびさん。もしかして、私が何を言っているか、わかるの?」
 そう尋ねると、みやびさんは一瞬きょとんとしたが、すぐに口を開いた。
「はい。わかれども、などかさることを聞き給ふる」
「……じゃあ、なんで私はわかんないのさ」
 高校時代、もう少し古典頑張っとけばよかった。
 深いため息をつきながら、そんな言っても仕方のないことを考えた。
 そうは言っても、言葉が通じることさえ分かれば、コミュニケーションがぐっとやりやすくなる。
「そういえば、このテーブルの上に乗ってたやつはどこに行ったの?」
 光熱費の請求書や大学が定期的に送り付けてくるはがき、名前の欄しか埋めていない書きかけの履歴書。玉石混交な紙類が無造作に置いてあったはずだ。
 みやびさんはああ、という顔をして窓際の机を指さした。見ると、確かに大小様々な紙の束が置かれている。
「まとめといてくれたんだ、ありがとう。ところでさっきの質」
「して、昨夜はなどか喧嘩をし給ひける」
 えっ、喧嘩? 喧嘩、けんか、ケンカ……。あ。
「思い出した! あのさ、聞いてよみやびさん、あの女、さつきって言うんだけどさ、私を裏切ったの!」
 みやびさんは私の言葉に少し険しい顔をして、続きを促した。
「さつき、浮気してたの! あろうことか、親友である私の彼氏と!」
 私は夢中になって事のあらましを語った。何か忘れている気はするけれども、まあきっとたいしたことではないだろう。


 一昨日、私はウインドウショッピングを楽しんでいた。
 すると、私のお気に入りのブランドショップから見慣れた二人が出てきた。そう。さつきと、私の彼氏である。
 思わず物陰に隠れた私は、何事か楽しそうに囁き合っている二人を見て愕然。その場に立ち尽くして涙した。
 要約すると、このような塩梅なのである。
「どう思う? みやびさん」
 状況を説明し終えた私は、すっかり意気消沈していた。忙しい奴め、と嘲笑われても文句は言えない。
「わりなうおぼしみだれぬべし。いとほし……」
 そう言ってみやびさんは私の頭をなでた。どうやら慰められているらしい。不思議と、気分が落ち着いてきた。
「さすがに、ひがおぼえをもし、忘れたる所もあらば、いみじかるべし。して……」
 何かを言い聞かせるかのような口調で言う。いいこと言ってる気がするが、当然のごとくわからない。残念だ。
 クールダウンすると頭が回る。私はふと先程忘れていたことを思い出した。
「そうだ、みやびさん、さっきの」
 ぷるるるる……。
「電話?」
 こんな時に。確認すると、母親からの電話だった。
 ちょっとごめんね、と一応断ってから、電話に出る。
「もしもし」
『あー、みやこ? 久しぶりねー、元気?』
「元気元気」
『何で電話したのかわかる?』
「わかりません」
『あらあら、自分の事なのに。まあいいわ。今日宅配便届くと思うから、なるべく家にいてちょうだい』
「なんか送ってくれたの?」
『まあね。絶対今日受け取るのよ。いい?』
「わかった。あのさ、悪いんだけどお客さんがいるから、また後で」
『さつきちゃん?』
「あんな女よりとっても素敵な女の子です」
『そう、じゃあまた後で電話するわね』
「はーい、じゃあね」
 通話を終える。宅配便? なんだろ、ご飯かな。ご飯ならいいな。ん、あれ?
 みやびさんが呆然自失といった風体でこちらを見ている。なんだろう、もしかして携帯電話がわかんないとか?
「あのね、これは遠くの人とお話しできる機械で、電話って言うんだ」
 みやびさんは何故か顔面蒼白で、聞いているのかいないのかはっきりしない感じだった。
「あさましきことなり」
 唐突にそう言ってみやびさんは体を震わせた。
「だ、大丈夫?」
 慌てて駆け寄ると、みやびさんの手に円盤状の物体が握られていた。
「あれみやびさん、何それ」
 ひょいと手元を覗くと、みやびさんは一瞬その物体を落としかけたが、脱兎の動きで袂に戻した。怪しい……。
「今のは」
 ぴー。ぴー。ぴー。
 私の追求を拒むかのごとく、いきなり断続的な機械音が鳴りだした。何、この音?
 みやびさんははっとした様な表情の後、緩慢な動作で袂から先程の円盤状の物体を取り出してぱかっと開いた。どうやらコンパクトらしい。
 ……って、音の鳴るコンパクトってなんだよ。
 再び好奇心をくすぐられた私は、それに向かって手を伸ばす。
「ねえ、それ見せ」
 ぴんぽーん。
 つくづく今日はタイミングが悪い。
「何? 宅配便?」
 とにかく応対はしなくてはならない。ゆっくりと立ち上がると、みやびさんが口を開いた。
「さつき殿が本意、ゆかしかりしかど」
「え?」
「ほどなり」
「どうしたの、みやびさん」
 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん……。
「うっさい! 誰だよ!」
 みやびさんの様子は気になったが、うるさくて仕方がないので玄関に向かう。どたどたと音を立てて廊下を歩く間も絶えずインターホンが鳴り続けている。近所迷惑甚だしい。誰とも知れぬ来訪者に対して苛立ちが募る。
「はい?」
 外に誰がいるかも碌に確かめずに扉を開けると、いきなりパンパンと破裂音が鳴った。視界が紙吹雪に覆われる。どうやらクラッカーが発射されたらしい。
「……さつき? それに……」
「やあ、みやこ」
 その顔を見た瞬間、忘れていた怒りが急速に蘇った。
「てっめえええ、今さらどの面下げて来やがったこの野郎!」
 今にも殴りかからんとする私をさつきが押し戻す。
「ちょっと、みやこさん落ちついて」
「みやこ、何怒ってるの?」
「それがですね、私たちが浮気したとか言うんですよ、この単細胞娘」
 まだ言っているのかこの阿呆は、とでも言いたげにさつきは鼻で笑った。
「だって私、店から買い物袋下げて楽しそうに出てきた所、見た!」
 鬼の首でも取ったかのごとき勢いでまくし立てる。それを聞いたさつきは、手に持っていた紙袋を胸の前まで持ち上げる。
「買い物袋ってこれでしょう?」
「そう、それ!」
「嫌ですね。これはあなたの誕生日プレゼントじゃないですか」
 めずらしく、にこにこと邪気のない笑顔を浮かべてあっさりと言った。
 え、誕生日プレゼント?
「誕生日おめでとう、みやこ」
 虚をつかれた私にさつきはぐいぐいと袋を押し付けてくる。地味に痛いのは気のせいだろうか。
「みやこがここのブランド好きって言ってたから、ここで買おうとしたんだ。でも、ちょっと男一人で入るのは恥ずかしかったから」
「そこで、ちょっと財力に余裕がなくて誰かと連名で済ませたかった私と利害が一致したので、二人で買いに行ったんです」
 さつきの言い分には突っ込みたい所があるが、つまるところ、これは。
「私の、勘違い……ですか?」
「ええ、最初から」
 嫌味ったらしくニヤニヤしているさつきに衝動的に殺意が芽生える。
「ニヤニヤすんな! つーか玄関でクラッカー鳴らすってどういう了見だよ! 誰が掃除すると思ってんだ!」
「ふふふ、みやこさんったら照れ怒りですか?」
「うるさい!」
 ああ、私、一生こいつに勝てない気がする。
「ところでさ、さっきピーピー機械音が鳴ってたけど、あれなんだったの?」
 え、と記憶をたどる。しかし、思い当たらない。
「そんなの鳴ってた? いつ?」
「インターホン押す前。家の中から聞こえてきたけど」
「家? 家の中には何も……」
 振り返って家の中を見回す。しかしこれと言って原因とおぼしきものはない。
「みやこさん? どうしたんですか?」
「……ううん、なんでもない。それより、疑ってごめん」
 深々と頭を下げると、さつきはいつもの笑顔で「いいですよ、面白かったので」とあっさり言った。ほっと胸をなでおろす。
 そうだ。ねえ、さつきは裏切ってなんかなかったよ。
 と、心の中で呟いたものの、はて、今私は一体誰に向けて言ったのだろうか。
 しばし熟考したが、考えた所でそれがわかることは一生ない。なんとなく、そんな気がした。


  『社会見学に行って』
                                 一年四組一番 相沢 みやび

『さすがに、ひがおぼえをもし、忘れたる所もあらば、いみじかるべし』
 私は、社会見学に行った先で、こんな言葉を発しました。これは、親友に裏切られたと落ち込んでいた女の人にかけた言葉です。何故印象に残っているのかと言うと、自分に言ったことのように思えたからです。
 先生もご存じのとおり、私は皆といっしょに平安時代に飛んで社会見学する予定だった所を、何故か私の使ったタイムマシンだけが設定を変えられていたために、一人だけ平成の世に飛ばされてしまいました。
 ですから、その女の子とは、平安時代を見据えて設定された言語プログラムではまともな会話をすることができず、きっと言ったことの半分も理解できなかったに違いありません。しかし、こちらのヒアリングだけは上手くいっていたため、装置の電源を切ることはできませんでした。
 後から聞いた話ですが、実際相手がどのような言葉を発していたにせよ、結果として私たちの使う言語に変えるという点で違いがないため上手くいったのだそうです。設定された結果に依存する、ということでしょうか。
 私の使ったタイムマシンだけ設定がおかしかったのは、何故だったのか。先生の知らないその理由を、私は知っています。
 私に対するいじめの一環だったのです。
 先生はきっと私がいじめられていたことなど気付いてもいなかったと思います。それは当然ですので気に病まれることはありません。何故なら 私には被害者意識というものが欠如していたからです。
 話が逸れてしまいました。
 いじめなどという言葉を使うと、先生はその犯人が気になる所でしょう。
 これまで、私が受けてきたいじめは、とても陰湿なものでした。気付かぬ内にお気に入りの物が無くなっていたり、私物に落書きがされていたり。犯人は一度として私の前に姿を現すことなく、私に嫌がらせを続けていました。文句を言われたことも、直接危害を加えられたこともありません。だから私は、姿の見えない犯人に対して、卑劣なやり方に辟易こそすれ、特に感情を抱くことはありませんでした。
 そんな中、私は見てしまったのです。
 社会見学の前日。私が使うはずのタイムマシンの前で、何かこそこそとしている二人組を。
 それは、まさしく私の親友たちの姿でした。
 私は愕然としました。今まで私を陰でいじめてきたのは、この二人だったのか。無くなったものを一緒に探してくれたり、落書きを消すのを手伝ってくれたりしながら、彼女たちは心の中で私を嘲笑っていたのか。様々な気持ちが入り混じって、卒倒しそうになりました。
 タイムマシンに何か細工をされたことはわかったものの、私には設定を元に戻すことはおろか、どのような事態になるのかの把握すらできませんでした。タイムマシンの説明をした授業の内容が記されたデータを、ちょうどその日に無くしたばかりで、操作方法がよくわからなかったからです。それも、罠に気付いた私に修復されるのを恐れた犯人の周到な作戦だったのでしょうか。タイムマシンのディスプレイを見ても、時間を表示させるのが関の山でした。
 それでも私は、予定通り社会見学に旅立ちました。罠が仕掛けられていることを知りながら、何の対処もせずにです。信頼していた二人に裏切られた私は、復讐心でいっぱいでした。わざと事故を起こした上で、あいつらが犯人だ、と糾弾してやろうと思ったのです。
 そこで私の目の前に現れたのは、思いっきり親友と喧嘩している女の人でした。
 彼女はとても親切で素直な女の人でした。行くところがないから一緒に連れて行って欲しいと頼む私の願いを聞き入れて、自分の家に泊めてくれました。突然現れた変な格好をしている見知らぬ人間を、です。
 私はそこで彼女の話を聞きました。自分を裏切ったと言う親友の話です。なんてタイムリーな話だろう、と思いながら聞いていました。
 ですが、私にはどうしてもその親友が彼女を裏切ったとは思えませんでした。実際に目にしたその親友は、彼女のことが大好きで仕方がないように見えたからです。
 だから、上手く伝わればいいな、と思いながら、諭すように彼女に言いました。
『そうはいっても、記憶違いをしていたり、忘れた所でもあったなら、大変なことであろう』
 これが最初の文の意味です。
 彼女は、きっと何か思い違いをしている。そう思って言ったのです。
 ですが、まさにその「大変なこと」をしてしまっていたのは、私の方でした。
 私の親友たちが、私の使うタイムマシンを触っていた理由。それは、いじめの一環としてその時既に変えられていた設定を元に戻すためだったのです。
 私がそれを知ったのは、彼女がデンワという旧時代の遺物を使って誰かと話をしている時でした。
 実はアンティークマニアだったりする私は、初めて見る旧時代の遺物に興奮して、思わずタイムマシンで写真を撮ろうとしたのです。その時、操作の勝手がよくわからず、私は設定履歴を開いてしまいました。
 その表示を見た途端、タイムマシンを落としそうになるくらいの衝撃を受けました。
 設定履歴には、しっかりと、二回設定を変えた跡が残っていました。一つは、私が目撃した時間。つまり親友たちが触っていた時です。もう一つは、それよりも早い時間で、ジュラ紀へ飛ぶように設定されていました。
 私の親友たちは、私を守ろうとしてくれたのです。しかし、私はタイムマシンをこっそりいじっている姿を見て浅はかにも早合点し、彼女たちこそがいじめの犯人であると決めつけてしまっていました。彼女たちは、私に気付かせるのは忍びないと思ったからこそ、隠れて元に戻そうとしただけだというのに。
 余談ですが、彼女たちが平安時代に設定し直したはずなのに、私が平成時代に飛んだのは、拍子抜けするような理由でした。
 西暦の設定をする際、一人は「一〇〇〇年前の二〇〇〇年代だ」と、もう一人は「二〇〇〇年前の一〇〇〇年代だ」と主張し合い、熱い議論の末に結局前者の説を採用したと言っていました。どちらがどちらの主張をしたのかと半ば呆れ気味に尋ねると、彼女たちは揃って口をつぐみました。きっと、最初から二人とも前者の説を信じて疑わなかったのでしょう。歴史が苦手な彼女たちらしいミスに、思わず吹き出してしまいました。それに怒りつつも、彼女たちは間違えてごめんね、と謝ってくれました。私も疑ってごめんね、と謝りました。
 私は、この社会見学を通して、悪意のある秘密と、善意の秘密の存在を知りました。前者は自分を守るための秘密、そして後者は他人を守るための秘密です。
 タイムトラベル先で出会った彼女がどうなったのか、私にはわかりません。元々設定されていた十二時間と言う制限時間の中では、最後まで見届けることができませんでした。
 ですが、私にたくさんの素敵な思い出と、親友を信じるきっかけをくれた彼女のことですから、きっといい結末で終わったのだと思います。なんとなく、彼女が「その通りだよ」と私に伝えてくれた気がするからです。
 彼女の中の私の記憶は消してしまっていますが、私はこれからもずっと覚えているでしょう。
 いつか大人になったら、もう一度あの時代に行って、もう一度彼女――京殿に、会いたいです。

                                三〇一二年十一月二十日 提出