たぬき「悩めるミャーコ」

春枝モモ、一八歳。職業、女子高生兼、魔法少女
 ただいま、恋をしております。
 

「モモ、今度うちに遊びに来ない?」
「はぁ? めんどくさい」
「そっか、残念。それじゃ――」
「で、いつ行けばいいの?」
 幼馴染であり、モモが恋心を抱く相手である竹中虎徹――トラからの突然のご招待に、モモはドキドキうきうきしながら鏡の前で服を合わせて選び、入念にチェックする。
(いやー、まさかあいつから誘ってくるとはね。どうしよ、油断してたから最近ファッション誌チェックしてない。くそぅ、やっぱり、もう少し流行とか気にした方がいいのかな?)
 鏡の前で髪留めやリボンなどを合わせていろいろ試す姿はまさしく恋する女子高生だ。メガネの意匠と合う物を探すために普段付けない物も引っぱり出している。
にやにやと笑う己の姿を鏡に見て頬を染め、ごまかすようにそっぽを向く姿から嬉しさが溢れだしているのが丸わかりだ。机と本棚ぐらいしか家具のない簡素な部屋に、脱ぎ散らかされていた服が山を作っていなければさらに完璧だったが。
「よし。もうなんでもいいや」
 結局、自分に合うであろう服装を選んで荷物を用意する。ただ少しでもいつもと違うところを見せたくて、前にトラに買ってもらったネックレスだけは付けていく。妹さんの誕生日プレゼント選びに付き合った時のお礼の品で、桃の花の意匠が拵えられている。
 首に下げられたそれは、窓から差し込む陽光にきらりと輝いている。
「いってきまーす」
 モモは部屋にあるペット用ゲージに挨拶して家を出る。
そのゲージの中には、モモの相棒にして友にして魔法の師匠でもある魔法の国の妖精オルティアが、ガムテープで足の先から顔面までぐるぐる巻きにされて転がされていた。もはやどのような生き物かすら判別がつかず、返事をする余裕すらないようであった。
 というか、息ができていないのか、足の指がぴくぴくと痙攣を起こしている。
 絶対に浮かれている自分をちゃかされ、小馬鹿にされると分かっていたモモは、目覚めてすぐに彼を簀巻きにしたのだ。オルからすれば目覚めた瞬間、金縛り状態で息もできない暗闇の中という訳だ。普段の文句も悲鳴も完封されてしまっている。
 うるさい使い魔への心配がなくなったモモは、足取り軽くトラの家へ向かう。
(さて、何の用か知らないけど、この前おもしろいものも手に入ったし、土産に持っていこう。あいつ驚くかな〜)
 いつの間にやらスキップすらしだす始末。誰かに見られれば顔を真っ赤にして突っ伏すような行いだが、事前に魔法で人の気配がないことは確認済みだ。
(それにしてもトラの家久しぶりだな。どうしてだっけ?)
何も気にせず鼻歌も歌えてしまう。流れるメロディはSMAPの『世界に一つだけの花』だ。
 ただ、一つ気がかりがあった。
「……いや、まぁ気づいてるんですけどね」
 独り言が空しく宙に溶ける。
 はぁ、とモモはうんざりしたように溜息をついた。
 モモにはたった一つだけ、不安の種があったのだ。


「はい。これお土産。吸血鬼のレバーと血のジュース、あとこれは味微妙だった肉ジャム。パンにつけてどうぞ」
「…………うわぁ、リアクションに困るお土産をありがとう」
 数年ぶりに入ったトラの部屋は、子供の頃と雰囲気は変わらない。隅々まで掃除の行き届いた清潔感のある部屋だ。しかし居心地が悪いかと言われるとそんなことはなく、昔から自分の部屋同然に扱っていたモモには懐かしく落ち着ける空間だった。
 変化があるとしたら、子供のころよりも科学とオカルトの本が増えたことぐらいだろうか。これが誰からの影響かは、あまり考えないようにしようとモモは思った。
「ほんとは心臓とか牙も持ってきたかったんだけどな。残念ながらそっちは魔術に必要だから使っちまった」
「それは本当によかったよ」
 にこにことモモに渡された肉らしきものと生臭い臭いを放つ液体をタッパーに詰め、入念に封をした後、一回に降りて冷蔵庫に保存するトラ。その笑みは若干引きつっており、この血の臭いの塊をどう処置すればいいのか内心で頭を抱えていた。とりあえず、臭いが移ってしまう前にと用意していたケーキと飲み物を持って部屋へと戻る。
 そして部屋に戻ったトラは眉を下げて、さらに困った表情を浮かべた。モモがベッドの下に潜って何かを探しているのだ。
「……なにしてるの?」
「いやぁ、やっぱり男子の部屋に来たらとりあえずベッドの下でしょ?」
 上半身をずっぽりと潜り込ませて、中でがさごそと音を響かせている。
(ははは……どうしよう)
 そう思いながらトラはケーキの乗ったトレイをテーブルの上に置いた。
 残念ながら、モモが求めているような物をトラは持っていない。年頃の男子として興味がないとは言わないが、妹や母も普通に入ってくる部屋にエッチな本などとても置けたものではないのだ。
 もちろんモモもそんなことは分かっており、ただの暇つぶしをしていただけだ。長い付き合い。トラがそういった物を好まないのは知っている。だが、知らぬ間に、ということもあるので時々こうして鎌をかけるのだ。
 今回は不発に終わってなによりである。
「で? 今日はどうして呼んだんだ? またなにか相談でもあるの?」
 ずりずりとベッドから這い出てモモがトラに問いかける。その際スカートがめくれかけるが、どういう訳かある地点からぴたりと動かなくなる。領域結界で絶対にスカートがめくれないよう魔法をかけているのだ。
 ここに使い魔のオルがいたならば、そのもったいなく馬鹿げた使用法に対して説教を始めていたことだろう。 
もちろん簀巻きにされている今、二人を邪魔する者はいない。
「いや、特にないよ。この前、昔の姿のモモを見て懐かしくなったから、一緒に遊ぼうと思ったんだけど。駄目だった?」
「…………」
 困ったように頬をかくトラは、どうしていいかわからない子犬のような雰囲気を持っていた。先程からトラにこのような顔ばかりさせている元であるモモは、無言で用意されたジュースを飲む。
 甘酸っぱい味が広がる。リンゴジュースだ。
 冷たい感触が、熱くなった喉を取って気持ちがいい。
(やめてぇぇっ! それじゃただ会いたかったって言ってるようなものじゃない! 勘違いしちゃうからマジやめてぇっ! それとその子犬みたいな表情も、ドキドキするからやめてぇっ!)
 火照った頬を誤魔化すように、ジュースを一気飲みする。モモは嫌な予感がしていた。
 一か月前。オルが魔物に取りつかれ、それを退治した事件があった。その際、トラには小学生の頃のフリフリスカートの魔法少女姿を晒してしまったのだ。この年になってピンクの衣装はあまりに恥ずかしく、モモの心に新たなトラウマを刻んだのだ。以来、トラやオルに主導権を持っていかれている気がする。
(このままじゃ、まずい)
「トラ! おかわり!」
「は、はい!」
 空になったコップをトラに押しつけて、モモはかばんに手をかけた。トラが下に降りたのを確認すると、もう一つ用意していたお土産を手に取った。
「こうなったら、これ見せて驚かせて主導権を取り戻すしかないわね。ふふ、見てなさい」
 モモは気付かない。
 もともと主導権を握れたことなんてないことに。
 そして、そんなにやにや笑うモモのことをじっと見つめる者の存在に。


 二杯目を持ってきたトラに、モモは布製の巾着袋を手渡した。
「これは?」
「開けてみ」
 トラが袋を開けて中身を手に出すと、それはいくつかの小さな種だった。
 黒い光沢を放つゴマのような種。
 ピンポン玉ほどもある銀色に輝く種。
 流線型でエメラルドのような輝きを持つ種。
 ぱっと見ただけでは種には見えないそれらを、なぜかトラは見ただけで種だと認識できた。
「……これ、ほんとに何の種?」
 トラがもう一方の手でエメラルド色の種を摘む。すると、それは小さく、だがしっかりとした強さで、トクントクンと脈打っていた。
 冷や汗がトラの笑顔を伝う。明らかに、この世界に存在する植物ではないと感じた。そもそも植物かどうかも怪しい。
「知りたいか?」
 モモが嬉しそうに頬を綻ばせてトラの目を覗きこむ。
その様子は宝物を自慢する子供のように無邪気で、子供の頃よくこうして遊んでいた時の記憶が浮かんでくる。
トラはしばし、光に透かしたり、指で弾いたりとその種の正体を自分で確かめようとしたが、これが魔法に関わるものであるとすれば、オカルト本を数冊読んだ程度の自分に分かるはずもないと、両手を上げて降参した。
それを見たモモが嬉しそうにトラに詰め寄る。
「ふっふっふ。分からないか、そりゃそうだろう。なんていったってその種は――」
今にもぶつかりそうな距離。前のめりになったモモと身を引いたトラの顔が鼻が触れ合いそうなほどに近づいたその時、モモが感じていた不安の種が芽を出した。
嫌な予感が背筋をぞわぞわと伝い、モモは勢いよくドアの方を振り返る。
先程までのわくわく感が嘘のようにしぼんでいくのを感じながら、モモは心の中で盛大に溜息をついた。
(あぁ……もう。やっぱり来たか……)
バタンッ!
と勢いよく扉が開いた。
「おにいっちゃぁぁぁあああん!」
 スタングレネード並みに明るい笑顔。
テレビの音量マックスかと思うほどにキンキンと耳と頭を揺さぶる元気な声。
トラの妹。
中宮子が襲来した。


中宮子。小学六年生。セミロングの黒髪をゴムで一本に束ねた、尻尾みたいな髪型がお気に入りの明るく礼儀正しい一二歳。クラスに友達は多く、バスケ部では部長を務める優等生だ。
優しい家族と幸せな時を過ごす、ごくごく平凡な女の子。
そんな彼女には、小さい頃から、悩みの種があった。


「あら、モモさん来ていらしてたんですか? いらっしゃいませ、こんにちは」
「…………こんにちは」
 モモが笑顔を引きつらせながら挨拶を返す。明らかに不機嫌さを隠し切れていない。それはトラや宮子も気づいているし、モモ自身、気づかれていることは分かっている。
 なぜなら、
「おい、ミャーコ。ちょぉぉっと……くっつきすぎじゃないか?」
「ミャーコって言わないでください。あと私とお兄ちゃんは兄妹です。これぐらい普通です」
 宮子が胡坐をかくトラの上に座って、正面からギュッと抱きついているからだ。モモの気のせいであろうか、足を胡坐の隙間に滑り込ませているようにも見える。
(その距離は兄妹の距離じゃねぇわよっ!)
 手に持ったガラス製のコップを割らないように神経を集中しなければ、今すぐ粉々にしてしまいそうだ。
 対する宮子は、にこにこした笑顔こそ兄のトラにそっくりだが、その目が一切笑っていない。絶対に誰にも兄を渡すものかという決死の覚悟がうかがい知れる。
 もしも宮子が魔法を覚えて、呪術でもかけようものなら一瞬で相手を絶命させられるのではないか。そう思わせるほどの決意がある。
これこそが、モモの不安の種だった。
昔から、モモがトラの家に遊びに行くたびに小さい宮子がやってきては、せっかくの二人きりの時間を邪魔するのだ。そして今のような居心地の悪く、ざらついた空間を生み出す。
間に挟まれたトラは堪ったものではない。先程から笑顔を固まらせて一言もしゃべれずにいる。経験から下手に関わらない方がいいと学習しているのだ。
ただ、それでも訊いておかなければならないことはある。
「ミャーコ? 確か今日は友達と遊びに行くって言ってたんじゃ……」
「やだなー。お兄ちゃん。モモさんが来るなら来るって言ってよー。久しぶりにモモさんとお話ししたかったから、友達にはまた別の日に変えてもらったの」
にこにこと宮子がここにいる理由をトラに伝える。
(あなたさっき、モモさん来ていらしたの? って言ってたじゃないっ!)
 ぎりぃぃっ!
 と歯を鳴らせながら、モモは笑顔で優しく温かく宮子を睨む。
最早ここは戦場であった。
「ところでお兄ちゃん。その変な種はなに?」
 宮子がトラの手にある奇妙な種に興味を見せた。トラもその正体が気になっていたため、モモに尋ねる。
「モモのお土産だよ。モモ、さっきも聞いたけど、この種っていったい何なの?」
「あぁ……いや、実は私にも何の種かはわからないんだ」
「え? わからないの?」
「えぇーなにそれー」
 モモは驚いた顔のトラを見てふふんと思うと同時に、不満だらだらの宮子にいらっとくる。子供相手に大人げないとは思いつつも、会うたび会うたび、こう敵意むき出しではさすがに疲れるのだ。
「この種はな。御伽噺協会の仕事やった時にかっぱらってきたんだ。協会の奴らはすごく貴重な魔法の種だって言ってたから、お前と一緒に埋めて何の種か確かめようとしたんだけど……」
 宮子を見る。学校ではしっかりしている優等生であっても、やはりまだ小学生の女の子。
 魔法という言葉に期待を膨らませて、キラキラと目を輝かせている。まるで昔の自分を見ているようで、気恥ずかしさで胸がずきずきと痛む。
「残念ながらミャーコに知られちゃ植えられねぇな。お前さん、口軽そうだし」
「なっ! そんなことないですよ! わたしだって魔法が皆には秘密だって知ってますもん!」
「だ〜め〜」
 モモは細い指揮棒のような杖を取り出して一振りした。するとトラと宮子の目の前にあった種が溶けるように消えてなくなった。
「はい、おしまい」
 まるでただの手品をし終えたような気軽さで、話題を打ちきる。
「うー……」
「残念だねミャーコ。僕も見たかったよ。モモ、どこかで植えるんでしょ? 何の種か分かったら教えてね」
「おう、もちろんだ」
 不満そうな表情の宮子を見て、胸がすっとする。
「おにいちゃぁん」
しかし、その後トラにぎゅっとしがみついて悔しそうにしているのを見て、今度は胸がざわついた。
(やっぱり私、この子苦手だわ)


 その後、トラとモモと宮子はトランプやゲームをしたり、魔法少女による本式のタロット占いをしたりして遊び、夕方にはモモは家に帰って行った。
「送って行くよ」
「おう。さんきゅ」
 そう言ってモモを家まで送り届ける兄を、呼び止めるわけにもいかず。宮子は一人、自分の部屋のベッドにうつ伏せになった。
 両親は共働きなので、まだ帰ってこない。
「むぅぅ、あの女。おにいちゃんに色目つかっちゃって〜」
 宮子は覗き見していた二人の様子を思い出して、こみ上げた怒りをお気に入りの白猫のぬいぐるみにぶつけた。
ぽん、と軽く殴った後、ぎゅっと抱きしめる。肥満体型で腰にベルトを巻いているそのぬいぐるみは、兄からの誕生日プレゼントだ。
 プレゼントを渡してくれた兄の笑顔が、今日のモモへの笑顔と重なる。
嬉しそうに微笑み魔法の話を静かに聞く兄。
それを見て自慢げに種を見せるモモ。
どんどん近づいていく二人。
宮子の眼には、あの時、二人がキスしようとしているように見えたのだ。
(もちろん、そんなはずないのは分かってるけど……)
 二人のことをずっと見てきたのだ。モモの方が兄に好意を抱いているのは丸わかりだが、兄はそこまではっきりした感情は持っていない。
(それでも、わたし以外でお兄ちゃんに一番近いのはモモさんだから)
 他の女の人が兄に近づいても、宮子はそこまで気にはしないだろう。なぜなら宮子が一番兄の近くにいて、兄のことを一番よく知っているから。
しかし、モモだけは。
宮子が生まれる前から兄と出合い、一緒の時を過ごしてきた女の人。
彼女にだけは、宮子は勝てる気がしない。他の人なら追い払えても、モモだけは宮子の言葉など気にせず、その気になれば兄と宮子から奪っていくだろう。
モモが下げていた首飾りを思い出す。
桃の意匠が綺麗なペンダント。
兄からのプレゼント。
宮子が誕生日にもらった猫のぬいぐるみとは全然違う。妹へのそれではなく、女の人へのプレゼント。
「私に何が足りないのかな……」
 別に、兄に恋愛感情を抱いているわけではない。それでも、いつも一緒にいてくれた兄を取られるような気がして宮子はモモのことが好きになれなかった。
(年齢、はどうしようもないし。身長も……だめ。気持ちなら負けてるつもりはないし。……やっぱり兄妹だから? でもそれは関係ないような気もする)
 うーん、と宮子は一人ベッドの上で悶々と悩む。
 モモのことが嫌いなわけではないが、好きにもなれない。なぜか、壁を感じてしまうのだ。
「それは、彼女が魔法少女だからだよ」
 突然、誰もいないはずの部屋で、声をかけられた。
 びくっ、と背筋に悪寒が走り、宮子は叫ぶ。
「だ、誰!?」
 その叫びに応えたのは、宮子の机の上にいつの間にか現れていた。全身をガムテープでぐるぐる巻きにされた何かだった。
「なんだ。オル君か」
 それを見て宮子は落ち着きを取り戻し、むしろ呆れた様子でガムテープ巻きのそれを手に取った。
「あれ? どうしてこの姿でわかるのかな? もはや僕の姿見えてないわけだけど。もしかしてこの扱いで気づいたのかなだだだだだだ。いたいっ、毛が抜ける! やめて、禿げちゃうから!」
 宮子がオルティアに巻かれたガムテープを無理やりに剥がしにかかる。その下から現れたのは白い毛並みだ。テープに引っ付いているせいでぶちぶちと嫌な音が響くが宮子は気にせずひと思いにむしり取った。
「えい」
「ぎゃぁぁぁぁぁああぁあああっ!」
 子供の無邪気さのなんと恐ろしいことか。哀れオルティアは多くの毛を失うことになった。所々から血が出てきて非常に痛々しい。
 オルティアは小学生だったモモに魔法を与えた魔法の国の妖精だ。姿はシマリスのようなオコジョのような、とにかく可愛らしい小動物の姿をしている。
 今は痛々しいが。
 オルティアが流れ出た血で、机の上に幾何学模様の魔法陣を描いていく。すると緑色の光がオルの体を包んで徐々に傷が癒えていく。魔法少女の補助役ならば回復魔法などできて当然なのだ。
 毛は戻らないが。
「あれ? オル君、前まで毛の色、黄色じゃなかったっけ?」
「ふふふ……ストレスと壮絶な恐怖で、白くなっちゃった……」
 遠い目をして過去を思い返すオルティア。時にモモに紐なしバンジーを強制され、時に鍋に入れられ、時に氷点下の海に叩き落とされる。
 思い出すたび、沸々と怒りと悔しさ、そしてメルヘンの住人には似つかわしくない、どろどろとした憎しみが溢れてくる。
 もう、我慢の限界だった。
 モモに力を与えて十年近い年月が過ぎた。無邪気で可愛らしかったモモという名の少女は今や、すれて憎たらしい女王様になってしまった。
「もう…………三食カロリーメイトは嫌なんだ……」
 口の中、ぱっさぱさである。
「え?」
 宮子はオルの異様な様子に嫌な予感がした。怯えはしない。なんといっても相手はオルだ。
 子供の頃からよく遊んだりもしたが、モモにいつも酷い扱いを受けているところしか思い出せない。
 だから、今回もろくでもないことを考えてはいるのだろうが、どちらかというと宮子自身が巻き込まれる予感そのものに良い未来が見えなかった。
「宮子、いやさミャーコ」
「ミャーコって呼ぶのやめて」
 オルは無視して話を続ける。もう、ここに来た時点で覚悟は決めているのだから。
「君は、魔法少女になりたくはないかい?」
「え?」
 その言葉は、甘い毒のように宮子の中に浸み渡っていった。中毒性を持つその言葉は、宮子の悩みの種に養分として吸収される。
「わたしも……なれるの?」
 誰にも相談されることなく、胸の奥で宮子の苦悩と苛立ちを土壌に限界まで育っていた種は、殻を破って芽を出した。
 ちらつかされた希望にすがるように、宮子がオルに手を伸ばす。
 純真な心を持つ少女の悩みに付け込む気満々の下種な小動物は、いやらしく口元を引き延ばして内心でガッツポーズを取った。
「もちろんだよ! 僕は魔法の国からやってきた妖精。君のようなきれいな心を持つ女の子に、愛と勇気と夢と希望のパワーを与えるのが役目なんだ!」
 ぐらぐらと宮子の意思が揺れる。小さい頃から魔法少女の苦労とかっこよさ、魔法の素晴らしさと怖さを兄とモモの話で聞かされてきて、時にはその姿を見てきたのだ。
 憧れもある。しかし、それと同時に目の前で気色の悪い笑みを浮かべるシマリスからは、嫌な予感しか感じられなかった。ギラギラした目が獰猛な獣にしか見えないのだ。
正直今すぐにでも、部屋から出てモモに通報したくて堪らなかった。あのオルが……という気持ちが憧れよりも上回っている。
「大好きなお兄ちゃんから、邪魔なモモを取り返すチャンスだよ! さぁ、モモに裁きの鉄槌を!」
 宮子の逡巡を読み取ったオルが、本音交じりの説得を試みる。
「空も飛べるし、人の心の中も見える。転移魔法を使えば学校にも遅刻しないし、君に才能があれば時間だって止められるよ…………なにより」
 携帯電話を取り出してボタンを押していた宮子に焦りを覚えて、オルは最後の切り札を出した。
魔法少女の衣装……お兄ちゃんにかわいいって言ってもらえるよ?」
「師匠と呼ばせてください!」
 携帯を机の上に投げ出して、宮子は欲望に従った。
「よし、では弟子二号! ただいまより君は魔法少女だ! そしてモモをやっつけ、お兄ちゃんを虜にする作戦を伝える!」
「はいっ!」
 悩みの芽は、欲望を食らい成長し、いつしか小さな蕾を付けた。


「あれ?」
 その晩、モモは就寝しようと布団に入ってから気がついた。
「あのバカがいない……」
 ケージは空になっており、そういえば今夜は静かだと思ったのだ。単にガムテープで喋れないか瀕死になっているだけだと思っていたが。
「……ま、いいか」
 なんとなく、嫌な予感がしたが、睡魔の強烈なお誘いを断ることはできずにそのまま目を閉じ、眠りに就いた。
 もう一つあるべき物が、部屋から消えていることに気付かずに。


 翌日。
 モモは目が覚めてからいつもどおりに、身支度を済ませ、ジャムをたっぷり付けたパンをかじっていた。もちろん吸血鬼肉のペーストジャムではない。普通のマーマレードだ。
そして、さて今日はどうしようか、とテレビのニュースを付けてパンをぽろっ、とこぼれ落とした。
『――――時頃、突如巨大な植物が出現。観測所の報告によると高度一万メートルに及ぶとされ、また専門家の話によれば種類は――――』
 そこには桃達が住む街が移されていた。どこかの家とかそういうことではなく、街全体をヘリコプターが空撮しているのだ。街のどこかから、巨大な、天まで届いた豆の木が生えてきているのだ。
 明らかに、この世界で異常成長したなどとはとても思えない、でかすぎる木が。
 その時になってようやく、魔法で隠していた種が三つともなくなっていることに気が付いた。
『――――なお、幸いなことに周りの民家や人に被害はない模様。政府はこの異常事態に対し自衛隊の出動を要請し――――』
 モモは全力で家を飛び出した。
「シールス!」
 呪文を一声。
鍵をかけるのも煩わしく、魔法で家ごと封印して、竹箒にまたがり空を突き抜ける。
 ものすごい頭痛が起こり、全身から怒りが吹きあがる。
とりあえず、元凶であろう馬鹿リスの処刑は決定した。


「おーい、モモー」
 豆の木は街にある自然公園から生えていた。豆の木の周りは警察がすでに立ち入りを封鎖しており、多くの野次馬がこの正体不明の事件に興味を惹かれて集まっている。
 その中にトラがおり、空を飛ぶモモを見つけて叫ぶ。当然その声に野次馬も反応して空を見上げる。
 視線がモモに集まる中、モモは飛行速度を上げ、手を振るトラに向かって直進する。そしてその手を握ると空へと攫った。
「うわぁっ!」
「あんたはバカか、大声で呼ぶな。姿見られるだろ」
トラを後ろに乱暴に乗せると、モモはそのまま垂直飛行に移行して、豆の木に沿って上昇する。
 すさまじい速度で地面が遠ざかる。警察の封鎖など魔法少女の前には意味がない。
「でも、モモが空飛んできた時点で隠れる気ないでしょ?」
「当然。テレビに映ってる時点でこの件の隠ぺいは私には不可能。めんどいから、そういうのは専門家の協会に任せて、私は事件解決するよ。あとで街の人間の記憶消しとけば大丈夫でしょ。ローカル放送だったのが救いだね」
 垂直の箒に乗っても二人が落ちないのは、箒の周囲に展開する不可思議な文字による効果か。モモ達は早くも白い雲を目前にしていた。
「で、トラ。昨日の種かオルのこと何か知らない? たぶんこの木、『ジャックと豆の木』のやつだ。昨日持ってきたゴマみたいな種がたぶんこれ。やっぱすごいレアものだったな。売ったらいくらになってただろ……」
「モモは別にお金に執着しないでしょ。……残念だけど、種のこともオル君のことも知らないよ」
「ちっ、何か知ってると思ったけど、役に立たない。転移魔法で地上に降ろしてやるから降りろ。邪魔になるから」
「ただ、今朝からミャーコがどこにもいないんだ。もしかしたら昨夜から。そして部屋にはこんな書置きが」
 にこにことこれからピクニックにでも行くかのような緊張感のない顔で、トラはポケットから一枚の手紙を取り出した。それを引っ手繰って声に出して読むモモ。
「なになに…………きゃー、悪い妖精さんに捕まったよー。お兄ちゃんたすけてー」
 ビキビキと青筋を浮かび上がらせて、モモは読み終わった手紙をビリビリに破き。
「ソール」
 熱さを感じない魔法の炎で燃やし尽くした。
「……オーケー。大体分かった…………ほんと頭痛いわ」
 速度がさらに上がり、箒の後ろから白い水蒸気が流れていく。冷たい空気を怒りの熱で吹き飛ばすモモと、熱も冷気も笑顔で受け流すトラが、純白の雲を突っ込んだ。


 緑の幹の先には、大きな木のお城があった。小さな山ほどもあるその大きな城は、壁から床から扉まで全てがうねうねと伸びる植物で作り上げた、蔦の城。
その頂には銀色に輝く小さな殻が取れずに残っていて、モモが昨日持っていた種の一つが芽を出した姿だと想像できる。
それは白い雲海に浮かぶようにそびえ立ち、二人の来訪を待っていた。
「うわ、ふわふわしてて変な感じだね。というか僕達雲の上にどうやって立ってるんだろ?」
「考えるな、慣れろ。魔法に理屈が通じるはずないんだから」
 魔法少女としてその発言はどうなんだろうか。そう思うが、トラは突っ込んだりしない。今までにも散々物理法則からかけ離れた出来事を、モモを通して体験してきたからだ。今更驚いたりはしない。
 例え広大な雲の上を歩けても、目の前にあるお城が一晩で出来上がっただろうことも、笑顔で受け流せる。
 モモはこんな不思議で理屈の通じない世界で生きている。モモが悩み、怒る分、トラはそれを受け止められるように笑顔を絶やさない。そうすることで、二人の関係がより良く、より長く続くと信じているから。
 そんな二人の関係を、不満に思う少女の存在に気付きながら、トラは笑う。


 ゲームのラストダンジョンのようなお城の中には、当然のように罠や魔物が存在していた。古典的な落とし穴や蠢く蔓を持つ植物が、二人の侵入を邪魔しようと襲いかかる。
 しかし、
「フロー」
 浮遊魔法で城に仕掛けられたほとんどの罠を無視し、
「ソール」
 現れる植物魔物達をことごとく燃やし尽くして進む二人の進行は止められない。
 入城して二分。モモとトラはホテルの大ホール程もある大きな部屋に辿り着き、宿命の再会を果たす。
「よぉ、昨日ぶりだな」
 ホールの中心。そこには巨大な木製の鳥籠が吊り下げられており、中には俯き、力なく座り込む宮子の姿があった。
 囚われの姫は、身動き一つせず、目の敵のモモと大好きな兄の到着にも反応を返さない。
そして、
「ふはははは! よくぞここまで辿り着いたな。魔法少女プリティスイートモモ! 待っていたぞ!」
モモの予想通り、鳥籠の前には黒いハンカチをマントのように体に巻いて不敵に笑うオルがいた。彼は魔法少女のマスコットという立場を捨てて、もう後戻りのできないキャラになろうとしていた。
「ぎゃーっ! その名前で呼ぶな! 忘れてたのに!」
「あれって、モモが小学生の時に名乗ってたやつだよね? 懐かしいなー」
「ほんと、あの頃の素直なモモが懐かしいよ……」
「オーケー、素直な気持ちを言ってあげる。……今すぐ死ね!」
「断る!」
 もう失った過去は取り戻せないというのか。オルとモモは激しく睨みあい火花を散らせる。
 若かりし日の過ちを思い出さされて、モモの顔が耳まで赤くなる。今のモモの姿は、落ち着いた黒色のブラウスにクリーム色のロングスカートだが、小学生の時の魔法少女姿は、ピンクのフリフリひらひらのミニスカート衣装だったのだ。
 今でも力を使う際にはその服装になる、というかつい先日トラの前でその姿を晒してしまったモモは、その時のことも思い出して羞恥心ではち切れそうだった。
 対するトラは、
(今は落ち着いた服が似合うけど、あの頃は小さくてかわいかったなー。メガネずり落ちてたりして)
 と思っているのはモモには内緒である。
しかし、この場に彼の内心を推し量ることができる人物が一人だけいた。
 オルは馬鹿なので除外。
 モモは恋は盲目でトラの考えが分からない。
 生まれてからずっとその姿を見続けていた血を分けた妹、宮子である。
 鳥籠の中にいた宮子は、目の前で繰り広げられるコントについに耐えきれなくなり、憤然と立ち上がり、木の柵を掴みながら叫んだ。
「ちょっとっ! 人が捕まってるってのにどうして漫才してるのよ! お兄ちゃんはわたしを助けに来てくれたんだよね?」
 先程まで反応を返さず、憔悴していたように見えたのは、宮子の演技だったのだ。本来ならば、卑劣な妖精に囚われた宮子を、颯爽と現れたトラが助けてくれるというシナリオのはずだった。
 しかし、実際は違う。
 ここに来てから、トラは宮子のことよりも、モモのことばかり見ている。
それが宮子には我慢できない。
胸が、苦しい。
「うん。ミャーコ、迎えに来たよ。でも、助けには来てないかな?」
 兄がにこにこと妹に告げる。囚われの妹を慮らない冷たい言葉。他人にはそう聞こえてもおかしくない言葉。
 それでも、兄のことが大好きな妹は、その言葉に込められた気持ちを正確に掴み取る。
 兄は、トラは怒っているのだと。
 目の前で馬鹿な格好をして、モモに抵抗も許されず踏みつけられているオルに対してではなく、籠の中で怒り、兄を求める妹に対して。
「ミャーコ。どうしてこんなことしたの? 理由はあるんだろうし、ちゃんと悩みを聞いてあげなかった僕も悪いけれど……これは、やりすぎだ」
 それは激昂するような激しい怒りではなく、悪いことをした子供を叱る優しい怒りだった。
 結局のところ、トラにはこの事件がオルだけの仕業でなく、宮子の意思でもあるということが最初からばれているのだ。おそらく、今朝になっていないと知った時点で。それはモモも同じなのだろう。宮子のことを気遣うことすらしないのだから。
「…………はぁ、始まる前から失敗しちゃった」
 本当なら宮子が助けられた後、オルが今回のことはモモの命令でやったことだと言って、モモをトラの敵役にするつもりだった。
 けれど、オルに――――あの踏まれ続けて床と同化しているオルに、そんな影響力があるはずがない。それは宮子もよく分かっていた。
 それでも、妹の言葉なら信じてくれると、信じていたのだ。
 信じたかったのだ。
 その女、モモの言葉よりも、自分の言葉を信じてほしかったのだ。
 しかし、トラはそんな彼女の計画ともいえない計画にすぐに気付いて、それを止めに来た。
 オルの言葉を鵜吞みにした訳ではないけれど、それでも信じたわたしが悪かった、と宮子はオルと徹夜で考えた作戦の終わりを認め、
「でも、失敗は成功の母だよね!」
「「はい?」」 
 次なる作戦へと移行した。
 困惑するモモとトラの目の前で、木の鳥籠が爆発するように弾け飛び、中から宮子が飛び出してきた。
 その手には、猫の肉球が眩しく可愛らしいぬいぐるみの姿が。
「愛と勇気と夢と希望をこの胸に。マジカルハッピーみんなに届け!」
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 宮子の口から紡がれる、聞いているだけで恥かしくなるセリフは、モモに小学生時代の黒歴史という古傷を抉りだし、その精神に特大ダメージを与えた。
「変、身!」
 猫のぬいぐるみが身に着けていたベルトの留め金をカシャンと回転させる。
 すると、宮子の全身から光が溢れだした。
『form change』
猫のぬいぐるみがカッと目を見開いて、齢五十の退役軍人並みに渋い声を出す。
猫の体が風船のように膨らみ、覆い被さるように、輝く宮子を丸呑みにした。もごもごと猫の体が蠢き、星やハートが全身から飛び出す様は、宇宙創造を想起させる荘厳さを持っている――訳もなく、ひたすら不気味であった。
そしてぷしゅーっ、と空気が抜けるようにぬいぐるみが縮み、現れたのは。
魔法少女っ…………えーと、プリティ? キューティ? …………ニャンダフルミャーコ! 参! 上!」
 猫のぬいぐるみだったものは、宮子の全身をふわふわと包む衣装になり、ベルトだった金具はオレンジの光に包まれて一本のステッキに変化した。
その手にはプニプニの肉球を。
頭にはピコピコと動く猫耳を。
黒い毛並みのしっぽを振って、宮子は新しい自分を受け入れた。
ぽかんと大口をあける兄とモモの前に、ふわりと音もなく降り立ち、ここに新たな魔法少女が誕生した。
 兄を思う少女の心の小さな悩みの種が、決意の花を咲かせた瞬間だった。


 もう、これが最後のチャンスだろうと宮子は理解していて、それでも、最後だからこそ全力を出そうと勇気を振り絞る。
「モモさん! あなたに決闘を申し込みます!」
「…………は?」
 宮子の変身に、小学生の頃の自分を重ねて思い出し地面に突っ伏していたモモが、眉をひそめて明らかに気だるげに返事をした。
 オルの口車に乗った宮子に呆れているのか、急すぎる事態の変化に付いていけないのか。
 どちらにせよ、その態度が気に入らなかった。バカなことをしているなんて、やる前から気付いていた。
 気付いていて、真剣に考えて、こうなることを望んだから、真剣に答えて欲しかった。
「パルシル」
 宮子が呟くと同時に、円と三角を組み合わせた魔法陣が城のホール全体に展開された。
(モモさん、賭けをしましょう)
(ん? 精神感応魔法? あなたこんな魔法まで使えるのね) 
 宮子が使用した魔法は任意の相手に自分の意思を伝える魔法だ。一方的に思念を送りつけることができる、使い方を選べばとても強力な魔法だ。モモはそれを呪文無しに使用できる。
 ゆえにこれらの会話はトラには聞こえず、彼には、ようやく元の姿に戻り始めたオルを抱いて、事態を静観する以外に何もできなかった。
 それでいい、と宮子とモモは二人思う。
 彼には、できれば聞かれたくない。
(モモさん、わたしは、あなたのことが好きじゃないです)
(…………知ってるわよ)
(いつもお兄ちゃんと一緒にいて、お兄ちゃんに優しくしてもらって、わたしからお兄ちゃんを連れ去るあなたがいつも憎らしかった。そのプレゼントも、すごくうらましかったんです)
 モモの首元できらりと光るペンダントは、慌てて出かけた今朝でさえ、大切に持ちだされている。
(モモさん、お兄ちゃんは誰も、恋人には選びませんよ?)
(…………それも、知ってる。あなたよりもあいつとの付き合いは長いのよ?)
 その余裕を持った言葉が宮子の心に傷を付け、血が流れて痛みを発する。モモもそうなることを分かっていて、傷つけた。
(モモさん。わたしが勝ったら、もうお兄ちゃんに近づかないでください。少なくとも、わたしの前では…………わたしは、お兄ちゃんを取られたくないんです!)
(…………いいわ。あのバカ妖精のせいだと思ってたけど、あなたの覚悟は理解した。…………その上で聞くわよ)
 モモが、片手に大きな樫の木の杖と、黒い表紙の禍々しい本を出現させた。頭の上には、ケルトにおいて力を象徴する漆黒の三角帽を乗せ、闇色のローブが全身を覆った。
(私は、トラが好き。ここから先は、ただの女の戦い。あいつの妹だからって……手加減しないわよ?)
(…………望むところです。わたしも、全力であなたに勝ちます)
 お互いに相手を苦手に思い、同じ相手に好意を抱いて意識してきたからこそ、二人はお互いの気持ちを分かりすぎるぐらいに理解していた。
 オルのやったことは単なるきっかけに過ぎず、二人はいつかこうなることを、出会うたびに確信していた。
 それが今日だ。
 二人の魔法少女の、想いをかけた戦いの火蓋が切られた。


「フォークリア!」
 肉球から放たれた魔力の塊が分裂を繰り返し、空を覆い尽くす。箒の進行方向を全て塞がれたモモが杖を振るうと、魔力を伴う突風が発生して塊を吹き飛ばす。
 二人の少女は片や背中から翼を生やし、片や箒に腰掛けて空を縦横無尽に駆け抜ける。若さの力か、ミャーコは素早い飛翔と鋭い軌道を描くことでモモの攻撃を避け、死角からモモに魔法を放つ。対してモモは、経験と知識を生かし、ミャーコが呪文を一つ唱える間に複数の魔法陣を展開して、同時に呪文も唱える。
「ギガノフォークリア」
 モモが、空中に固定された魔法陣から、ミャーコのものより大きく、数倍の数の魔力弾を放った。
 速度の遅い魔力球は、その分巨大な体積と動き回るミャーコに向けて軌道修正する追尾機能をもってミャーコを追い詰めていく。
「ふ、フラット! えと、それと……ソル!」
 空中に足場を作る魔法と移動速度を上げる魔法。ミャーコを包む猫の毛が、白から澄み渡る空色に変化する。蝶のように舞っていた動きが、ジャングルを駆け回る豹の動きへと変わり、魔力弾の間をすり抜けモモに向かって、駆けてくる。
「ウォーリー!」
 毛並みが燃え上がるような紅蓮となり、烈火の勢いで杖をモモへと振り下ろす。
 涼しい顔で防御結界を片手で張って防ぐモモは、しかし、内心でミャーコの魔法への適応の早さにじりじりと精神的に追い詰められていた。
「いっつもいっつも、モモさんはずるい!」
「なにがずるいってんだ……よっ!」
 杖同士が甲高い音を奏で、何度も何度も激突する。そのたびに火花が散り、モモとミャーコの視線もバチバチと交差する。
「その男の人みたいな喋り方も! 本心隠すために誤魔化してるだけでしょう! お兄ちゃんに気持ちばれたくないからって、ぶっきらぼうなふりをして、いやらしい!」
「悪かったわね! 情けない卑しい女で! 年取ったら本心さらけ出すのが怖くなってくるのよ! 皆仮面かぶって、身動きできなくて苦しむのよ! 子供のあんたには分からないでしょうけどね!」
「子ども扱いしないでよ!」
「ええそうね! 子供はもっと純粋だもの! あんたみたいに猫かぶってお兄ちゃんに甘える計算するなんて子供にはできないもの! あんたこそ、可愛い妹の皮かぶってるだけじゃない!」
「あれもわたしなの! 素直になれずに誤魔化すモモさんとは違う! そっけない振りしてお兄ちゃんを連れまわすあなたとは……お兄ちゃんを返して! この泥棒猫!」
「猫はあんたでしょうが!」
 空が割れるような轟音が、衝撃波となり雲を引き裂いていく。光と音が乱舞して、まるで雲の上の花火大会だ。雲の上のトラはそんなことを思いながら、二人の戦いを見守っている。距離があるため、爆音にまぎれる二人の会話は届かない。
ただ、寒気がして、聞いてはいけないと本能が訴えてくる。
「おおっと! モモ選手、ミャーコ選手のしっぽを掴んで振り回したぁっ! それに対してミャーコ選手、爪を伸ばしてモモの服を引き裂いた! エキサイティング! 白熱した試合が続いておりますが、解説のトラさん、二人の戦いを見てどう思いますか?」
 完全復活を果たしたオルが、トラの足元でうるさく騒いでいる。さっきまでいた城は、二人が飛び出したときの衝撃で崩壊し、二人は今、真っ白い雲の上で太陽の光をいっぱいに浴びていた。
 かなりテンション高くふざけているオル君は、後でモモに怒られるんだろうなと、トラは確信する。
「いやー、僕としては妹と幼馴染が戦うのはあまり見たくないかな。でも、これって結局、いつもの延長線上なんだよね」
 大切なものを見つめる優しげな瞳が、太陽の眩しさに細められる。
「二人とも表面上はいつも、穏やかにしてるつもりだったんだろうけど。いつも内心は今みたいにぶつかりあってた。魔法少女の力を手に入れて、ちょっと激しい喧嘩をしてるだけなんだよ」
 結局何が言いたいんだ? と言いたげにオルが首を傾げる。上空では今なお激しい爆発や空間の歪みが発生しては消えている。
「とりあえず、帰ったらお説教かな」
 にこにこと笑う表情からは、呆れているのか怒っているのか、判断することはできず、オルはただただそのなんともいえない気配に気圧されて全身の毛をぞわぞわさせた。


 熱風や魔力の波が荒れ狂う空の中、荒い息を吐く少女が二人、目をぎらぎらさせている。初めは、二人の力は拮抗していたが、徐々に経験の差が現れてきて、ミャーコの魔法服はぼろぼろになり、魔力も底を尽きかけていた。
魔法の技術では勝ち目がない。ミャーコはそれを理解して、逆転のための切り札を切ることを選択した。
ポケットに忍ばせていたものをそっと手に取り、モモに見えるように掲げた。
そこにあるのはエメラルドの輝きを放つ一つの種。モモがこっそり拝借し、オルが野望のためにぱくり、宮子が願いを叶えるために手にした魔法の種だ。
「モモさん。…………前言を撤回します。わたしが勝っても、お兄ちゃんに会ってもいいです。……ただ、お兄ちゃんに素直な気持ちを告げてください」
 春枝モモが好きになれない理由。それは挙げていけば両手で数え切れないぐらいあるけれど、一番の理由が、この戦いの中で分かった。
 宮子はモモと本音でぶつかり合い、全力で戦っていくうちに、モモのことが好きになっていくのを感じていた。今まで、年上ということで壁があり、兄の幼馴染という遠慮があって、本気で話したことがなかったが、今この場にそれらの障害は一切ない。
 ここにいるのは二人の女。
 それでモモのことが好きになるというのなら、宮子が気に入らないのは、兄に対する煮え切らない態度こそ、許せないのだと気づいた。
「…………いやよ」
 モモがふいと顔を背けて、煮え切らない言葉を返す。その態度に、また怒りがふつふつと沸いてくる。
「どうしてですか! また誤魔化して、お兄ちゃんを振り回すって言うんですか? 理由を言ってください!」
「…………だって……」
 モモがトラからもらったペンダントを手で触ってひっくり返したり回したりと、無意識に遊ばせる。
 次の台詞は、桃のように真っ赤になった顔からだった。
「……は……恥ずかしいじゃない……」
 爆音や暴風が轟いていたのがまるで夢であったかのような沈黙が降りた。風の音がいやに大きく聞こえるほどに静かだ。
世界はその瞬間、確実に静止していた。
「……………………ぷ」
 怒りの熱が一気に冷めて、代わりに、
「あはははははは、あはははは、はは……はは、はぁ、はぁ、く、くるし…………あはははははは」
 笑いがこみ上げてきた。
 モモが桃からトマトになって、叫ぶ。
「わ、笑うな!」
「ははは、ご、ごめんなさい。……だって、恥ずかしいって、そんな理由…………どっちが子供か分からないじゃないですか」
 笑いすぎて目から涙をこぼしながら、顔を真っ赤にしているモモを見る。その姿は好きな人のことを話す恋する少女そのもので、見ていると温かいようなくすぐったいような、そんな気持ちが沸いてくる。
そこには、今までつっけんどんで、つれない態度だった年上の威厳は完全に霧散していて。よりいっそうモモのことを好きになれるような気がした。
「っ――だったら、こっちからも一つ提案っ! 賭けなんだから私にもメリットあっていいでしょ! 私が勝ったら私のことモモお姉ちゃんって呼びなさい!」
「えぇっ!?」
「あなたの生意気な態度は、まず呼称から変える必要があるわ。魔法少女の先輩に対して敬意を払いなさい」
 モモが杖を空中に浮かび上がらせて、黒い本を開き前に構えた。まだ頬が赤いが、ミャーコの最後の攻撃に備えて、精神を落ち着かせて魔力を練る。
「それと、先輩としてアドバイス。……さっきみたいな変身はやめておきなさい。何年後かにすっっっっっっっっごい恥ずかしくなるから。悶絶ものよ」
「うん、知ってます。自分でもあれはないわー、って思ってます。モモさん、てっきり羞恥心なんて持ってないのかと思ってたんですけど……正直、その歳で魔法少女やれてるモモさんはある意味尊敬します」
 にこにこと満面の笑みだった。その笑顔には、いやー、まじモモさん半端ないっすわー、という尊敬の念が込められていた。
 さっきからのモモの態度と表情で恥ずかしいなんてことは明らかだ。ミャーコは今回限りにしようと決めている。女の子としては魔法少女に憧れもあったので、実際なった今は楽しいし嬉しかったりするのだが、もう一二才。
 来年中学生になる身としては、こんな姿、身内以外にはとても見せられない。
「よーし。その喧嘩買ったぞー」
「どうぞ。お高くつきますよ」
 血管を浮かび上がらせた笑顔とにこにこと完璧な笑顔がぶつかる。
 オレンジ色の魔法円と桃色の魔法円が大きく展開され、二人の中間で接触する。
 モモの魔法円は、円と六芒星がモモを中心に自転と公転を繰り返す三次元的な陣を描く。
 ミャーコのオレンジの魔法円は小さな円が歯車のように組み合わさり、蒸気機関のように高速回転して魔力光を火花のように散りばめている。
「さすが若い子は力強いね。活気が違う。干物女のモモとは大違いだ」
 遥か下方でふざけたことをぬかした駄獣に、余剰分の魔力を撃ちこんだモモはその分、出遅れた。
「呪文とか恥ずかしいので省略して……おいでませナガル様!」
 ミャーコがエメラルドの種を天高く放り投げる。雲の上では偉大なる太陽光を遮るものはなく、種は思う存分にその熱を養分へと変え、力を解放した。
 種から芽が出て急激に成長し、それは一つの形を取る。
 巨大な体躯。枝と葉でできた広大な翼。大質量の幹が骨格となり全身を支え、それを取り巻くようにして蔓がそれの肉の役割を果たす。大きく開かれた顎からは茨でできた牙が覗き、天に響き渡る咆哮をあげた。
 すなわち、伝説や御伽噺に登場する、樹の龍である。
 全長一〇〇メートルを超える巨体が羽ばたくごとに、トラたちのいる雲の足場が吹き飛ばされていく。それでも落下せずにいられるのは、モモとミャーコが浮遊の魔法をトラにかけているからだ。
 にこにこと笑うのは余裕からか、それともごまかしからか、いつもと変わらぬ表情のトラがぷかぷかと風に揺れている。
「いやー、やっぱり魔法に関わると生きた心地がしないね」
「ぎゃぁああああーっ! モモっ! せめてこの拘束魔法外してください! 死んでしまいます!」
 がんじがらめで落下するオルのことは知らない。勝手に生き延びるだろう。
ナーガルジュナって…………なに神話級の魔物呼び出してくれてるのよ……。うっわー失敗した……。樹龍の卵とか、もう二度と手に入らないわよ」
 その強大な存在を目にしても、軽口を叩くモモの額からは、一筋の汗が流れおち、口元は笑みを作るのに失敗して苦笑いになってている。
 樹龍、またはナーガルジュナと呼ばれる樹の龍。
魔法世界において、西洋における四大元素思考の火、水、風、土の四大龍の一体と言われ、東洋における五行思想、木、火、土、金、水の五龍神の一柱とも言われるドラゴンだ。 
本来、この世界における樹龍とは、大乗仏教の祖の一人であるナーガルジュナの漢名で、人の名前だ。
しかし、この世界で信仰を得た仏や神、高名な僧侶や殉教者は、魔法的な意味を持ち、あちらの世界で一つの事象、力として具現化することがある。
神話や仏法だけでなく、創作である御伽噺を魔法に取り入れられるのも、人々の認識と想いが魔法として結実するからだ。
つまり、目の前に存在する龍は、ナーガルジュナの魔法的意味が、樹龍という名を体現した存在であることを意味する。
 そして、その力は、元となった人物の徳の大きさに比例する。
「これがわたしの最後の切り札です。モモさんの種を勝手に使った形になりましたが……わたしの気持ちと魔力を全部注いで、ナガル様に力を借りてます。……これでわたしが負けたら、モモさんの好きにしてくれてかまいません。でもモモさんが負けるようなら、お兄ちゃんへの気持ちはその程度だったってことです」
 兄に素直な気持ちを伝えてほしいと、賭けの結果を変更したが、ここで負けるようならば、モモは兄への気持ちを折られて、自ら素直に引き下がるように思えた。
 それでも手を抜く理由にはならない。そんな半端な気持ちの人を兄に近づけるわけにはいかないし、好きになることなんてできないからだ。
「…………いきますっ!」
 魔法円の回転が早まり、甲高い音を響かせる。宮子の全力の魔力を注がれたナーガルジュナは、応えるように大気を震わせ咆哮し、その身の全てを投げ打つ勢いでモモに向かって突撃した。口内には緑色の魔力光が集まっていっている。
 ドラゴンの主砲、ブレスを至近距離で放つためだ。
 視界の全てが緑とオレンジ色に染まる、圧倒される光景を前に、モモは小さく息を吸った。
「気持ちの勝負なら、負けるはずないわ」
 闇色をした革張りの本が、迫る龍の風圧によってぱらぱらと勢いよくページがめくられていく。
否、それは風によるものではない。
 モモの魔力に呼応して、本の中にいるモノ達が、ここから出せと求めているのだ。
 小学生の恥ずかしい魔法少女姿を嫌い、中学生になったモモは自ら魔法を生み出した。
 自分の常識が世界の常識と考える、誰しも大人になろうと模索する、まだ幼い中学生時代。
 モモは、いわゆる厨二病という病に冒されていた。
私の考えた最強の広範囲魔法、絶対に死なない無敵の魔法獣、究極絶対スーパー魔法、これらの願望と現実の区別もつかない妄想のような力を考える日々。
そして、幸か不幸か、モモはそれを実現する魔力と才能を持ってしまっていた。
結果として、自意識の強い思春期に生み出された魔法は、最も恥ずかしく、最も強い魔法となった。
「其は、業火に焼かれし意志。
其は、障する者を屠る力。
其は、折れることなき絶対の理。
激昂せよ。断罪せよ。全てを断ち切り誓いを果たせ。
さすれば我の全てを以って、汝の体となろう。
創造せよ! 創造せよ! 創造せよ!
汝は――」
闇色の魔道書から、赤く、紅く、朱い光が溢れ出す。
全てを焼き尽くす熱を放つ焔が空気を焼き、天へと昇って太陽を喰らう。
「想い喰らう烈火の剣、レーバテイン・レプリカ!」
 溢れ出た炎が集まり、長大な剣を形作る。刃から膨大な炎を噴き出す両刃の大剣は、ナーガルジュナの全長を裕に超えるほどに長く、天を二つに裂く。
それは、モモの気持ちそのものだ。
この剣は、モモの心を喰らって魔力に変換する。
恥ずかしいセリフで羞恥に火照る内心の熱を魔力に変える、モモの創造武具。
しかし、今回は羞恥心で燃えてはいない。ミャーコを相手に、そんな気持ちを燃やしても、勝てはしない。
燃えているのは、モモの恋心。
誰にも言わず、何年も胸の内に秘め続けて今も燃え続ける熱い気持ち。
ミャーコの気持ちに対する、モモの全力の答えだ。
「…………すごい」
 ミャーコが、空一面を紅蓮に染める炎の輝きに目を奪われる。その光は力強く、肌に感じる熱は焼けるように熱く、しかし、心の内をぽかぽかとさせる不思議な温かさを持っていた。
 天を突く炎剣が、迷いなく、一直線に振り下ろされる。静かに、ゆったりとした速度で。
 四大を司る樹龍が、その熱量に触れることすら許されずに、枝を燃やし、蔦から煙を出し、断末魔の咆哮をあげて蒸発していった。
 太陽を背に、静かに宙に浮かぶモモは、未だに炎を吹き続ける魔剣を一振りして、魔道書に収めた。
 勝った高揚も、自信も、余裕もなく、それが当然であるようにミャーコを静かに見つめ、指をビシッと差してにっこり笑いながら宣言した。
「私の方が、トラのことをずっと好きよ」
 その胸元には、太陽に照らされ輝く桃のペンダントがきらりと光っていた。


モモの町に現れた豆の木は、その後モモが炎剣を出して、木だけを綺麗に燃やし尽くした。当然街に被害が出ないように結界を張って行われた。突如出現し、消失した樹に、しばし人々は困惑したが、モモが記憶を一斉に消した後は、自然と混乱も収まりせいぜいネット上で都市伝説として語られる程度に収まった。放送記録の方は、協会がうまく隠蔽したのだろう。そういう組織だ。
そして、宮子とオルは、
「ご……ごめんなさい。モモさ……モモおねえちゃん……」
「いった、いたいいたい! なんでっ? なんで僕だけ激痛がっつぁあいっ!」
 モモに頭蓋骨を掴まれて反省させられた。俗に言うアイアンクロウなのだが、宮子は宙ぶらりんになっているにも関わらず痛みがないことに逆に恐怖を感じた。魔力は感じないので魔法は使われていない。
 絶妙な力加減のみの妙技だ。
 なお、トラは帰って準備があると言うので先に帰してある。いったい何を準備するのかと疑問に思うモモだが、先にやるべきことをすませる。
「ミャーコの理由は分かったけれど、ねぇ、オル? あなたはどうしてこんなことをしたのかしら?」
「だって! モモが魔法少女になってからもう一〇年近くだよ! ずっとサポートしてきたのに待遇は悪くなる一方! もういやだ!」
「つまり、私に不満があると?」
「僕は魔法少女に力を与える妖精だよっ! もうそろそろ少女なんて言えない歳になるモモとは手を切って、新しい女の子のところに行きたい! おばさ……は嫌だ! 若い子のほうがいい! っていうか見ていて痛々しい痛いたいた痛いいたいっ!」
「あんたがいるから私はいつまでたっても、協会に認められなくて魔女になれないんでしょう。妖精がいるなんて半人前だって。ところで遺言はすんだな?」
 視界の端、微妙に見えるか見えないかの位置で、言葉でとても言い表せない惨劇が行われているのを感じて、宮子は顔を青くして、がくがくと震えたのだった。
 その後、オルの姿を見た者はいないが、G並みの生命力を持つ彼のことだ。第二第三のオルがいつか現れることだろう。


 数日後、トラに招かれてモモは鼻歌を歌いながら上機嫌でトラの家を訪れた。
「やぁ、モモ。この前は大変だったね。ジュース持っていくから部屋で待ってて」
 またベッドの下でも漁ってやろうかと考えながら入った部屋には、ちょこんとベットに腰掛け、猫のぬいぐるみを抱いた宮子がモモを待っていた。
「なんだ。ミャーコもいたの」
「いたらだめなんですか? モモさ……モモおねえちゃん……………………モモ様」
「いや、様付けはやめて」
 あの事件の後、宮子はトラからも説教を受けたらしく、時折殊勝な態度を示すようになった。その時のことを聞くと、がたがた震えて沈黙するので、どんな怒られ方をしたのかは未だに謎だ。
 ただ、その時に魔法少女の衣装をかわいいと言われたらしく、また変身してみたいなと思っているとかいないとか。
(仏様みたいな表情のくせに、相変わらずアメと鞭の使い方がうまいわね、トラのやつ。準備ってこの為のものだったのかしら? トラが怒ったところなんてほとんど見たことないけれど……怒らせないように気をつけよう)
 モモは宮子の隣に腰を下ろし、
(うわぁ、トラのベッドに座っちゃったよ……これぐらい大丈夫だよね?)
 という内心を億尾にも出さずに笑いかけた。
「あなたにも用があったから、ちょうどよかったわ」
 そう言って、モモはポケットから、小さな種を取り出した。
 それを見て、宮子は目を見開く。
「また、魔法の種ですか」
「ううん。普通の種よ」
 今回の種はいろいろな種類があり、数も形もばらばらだ。その一つを手にとって宮子は目で見て、魔力がないことを確認した。
 モモの考えが分からない。あの日、本気でぶつかって仲直りができたと思えたけれど、それでも兄に対することと魔法関連以外では、モモの気持ちを察することは難しかった。
あの日以来、モモは宮子に対しても、男言葉を使うことをやめた。それはモモが本音を言える相手だと認めたということで、対等な相手になれたということだ。
 未だにトラがいると男言葉が出てきてもやもやするが、負けた宮子にとやかく言う権利はない。
「その種ね。私も何の種かわからないの。さっき花屋で店員さんに適当に選んでもらったから」
「はぁ……そうなんですか」
 やはり考えが掴めず、首をかしげると、モモは恥ずかしげに視線を逸らした。
「それでね。その、前の一件でそれなりに仲良くなれたとは思うのよ。でも、お互い、壁を張ってた期間が長いでしょ? だから…………一緒に植えてみませんか?」
「え? わたしと、ですか?」
「もちろんトラも。前に宣言した通り、私はトラが好きですので」
 宮子相手に敬語になってしまうのは、それほど恥ずかしいと思っているからだろうか。耳まで真っ赤だ。
「でも、私はあなたとも、もっと仲良くなりたいの。あ、これは外堀を埋めるとかそんな意味じゃないわよ。……少しは、それもあるけど」
 言う必要のないことも、自然とこぼれしまうほどに、緊張しているのだ。
「だから、その種を一緒に育てて、なんの種か一緒に見ない? この前のリベンジに」
 本当に、年上なのか疑いたくなる態度に、宮子は頬を綻ばせる。
(かわいいなぁ……)
 ずっと、兄を付け狙ういじわるな人だと思っていた。
けれど、向かい合ってお腹の中を見せ合うと、なんと子供っぽくて、純粋な人なのだろうと思う。ひねているように見えたのは、素直になれないことの裏返しで、
(この人は、兄に対して純粋すぎるだけなんだ……)
 それは、自分ととても似ていた。
 モモへの苦手意識は、ただの同族嫌悪だったのではないかと思えるほどに。
(わたしと一緒)
 今は、彼女の気持ちがとてもよく分かる。もう、他人には思えなかった。
本当の姉を持ったよう。
(これじゃ、外堀は完全に埋まっちゃったかな?)
 それでもいいと、今は思えてしまう。種を握って、将来姉になる可能性が一番高い人に笑顔を向ける。
「いいですよ。どんな花が咲くのか楽しみです」
 その答えに照れくさそうに頬をかいて、
「そう。よかった。……私も楽しみよ」
 最後にそっと呟いた。
 そのタイミングで、
「おーい、扉開けてくれない? 両手がふさがっちゃってて」
 トラがジュースとお菓子を持ってやってきた。
 三人でお菓子を囲むと、トラがにこにこ微笑み、コップに飲み物を注いでいく。
「二人でなに話してたの?」
 その問いに、モモと宮子は二人で目を合わせ、
「「秘密―」」
 いたずらっぽくにこっと笑った。


「えー、気になるなー」
「秘密ったら秘密だよ。それよりこの種を見ろ」
「モモおねえちゃんが一緒に植えようって。お兄ちゃんも一緒に育てよう」
「へぇ、なんの種?」
「それを一緒に確かめるんだよ」
「三人で、一緒に!」
 魔法少女だった少女と魔法少女になった女の子。
 きっかけは魔法だったかもしれない。
けれど、二人が向き合い、本音をぶつかり合った結果は、けっして魔法によるものではない。
気持ちをぶつけて、二人の少女は絆を繋いだ。
それは人が持つ、魔法以上の奇跡を起こせる心の力。
 

 悩みの種は芽吹き蕾となり、決意の花を咲かせ、親愛と言う名の、実をつけた。