たぬき「鍵かけられて」


 とかく、夜の校舎とは青春真っ盛りな高校生にとってワクワクドキドキする不思議空間だったりする。
 夏なら肝試しにもってこいだし、屋上で空を見上げると星が輝いていて天体観測もできるお楽しみイベント会場なのだ。
 よくあるイベントとして忘れ物を取りに行くというものがある。
 明日宿題あるのにプリント忘れたーっ、というやつだ。そして私もそのイベントの真っ最中だったりして、部室に向かっている道中だ。
 これが結構恐かったりする。
 真っ暗な廊下を歩いていると影がゆらゆら揺れて何かがいるんじゃないかと怖くなったり、自分の足音が廊下に響き渡ってビクッと体をすくめてしまったりしちゃうのだ。
 というわけで、私は夜の学校が嫌いだ。本当なら絶対に来たくはない。たとえ宿題忘れて先生に怒られても嫌だ。
 だったら、なぜ来てるのかって? 
 しかたないじゃない。この子の頼みなんだから。
「ごめんね、愛ちゃん。無理言って付きあわせちゃって……」
 夜中に背後から泣きそうな声というのはかなりびびる気もするが、その声の主が他ならぬ桜ちゃんの声ならばびびるどころかテンション超上がるというものだ。
「いいのよ、桜ちゃん♪ 夜の校舎って恐いもんね? 私でいいならいくらでも頼って。何が出てきても私が守ってあげるから」
「あ、ありがとう。愛ちゃんがいてくれてほんとによかったよ」
 そう言って温かな笑顔を向けてくれるのは同じ部活に所属するクラスメイトの河野桜ちゃん。身長一四〇センチと小柄で、黒のショートヘアが良く似合う高校一年(笑)だ。正直小学生と言われても私は信じるぞ。
 何を隠そうこの子、超かわいいのだ。そりゃもう、同性の私から見ても抱きしめたくなるほどだから相当なかわいさである。素直で純粋。明るく優しい。その上なんといってもちっこい。ミニマムサイズだ。
 中学の頃から友達やってるが昔から桜ちゃんはもてまくるぞ。むろん、女子にも。私もファンの一人だ。
 今日彼女は部室に宿題を忘れてしまい、取りに来ようとしたが恐くて一人では行けなかった。そこで同じ部活でクラスメイトで親友な私を頼ってくれたという訳だ。
 恐い? ハッ! この子のかわいさの前では恐怖なぞ吹っ飛ぶわ! かわいい美少女の騎士役ができるなら誰だって見栄張るってもんでしょうよ!
 と、失礼。桜ちゃんのかわいすぎる笑顔に興奮しすぎてしまった。
 とにかく、私達は暗い廊下を進んだ。怯える桜ちゃんにほんわかしているといつの間にか部室棟に辿り着いていた。楽しい時間というものはすぐに過ぎてしまうようだ。……もう少し、桜ちゃんに裾をぎゅっと握っていてほしかった。
 ともかく着いてしまってはしょうがない。私達は部室の鍵を取り出して中に入ることにした。ガチャリと扉を開けて部屋の中へ。
 そこは暗黒のみが広がる異空間だった。音も光も一切ない闇。さすがに、背中に嫌な汗をかいてしまいそうになる。桜ちゃんに至っては顔が真っ青になり、ガタガタと全身を震わせていた。
 とにかく、部屋の明かりをつけないと。
 ごくり。
 スイッチを探す。ただそれだけの行為に全神経を集中させなければいけなかった。
 そろり、そろりと壁に指を這わせる。暗闇が私の心に染みこんでくるような錯覚を覚える。
 もし今誰かが中に潜んでいたら私は失神してしまうかもしれない。桜ちゃん、私に力をください。
 そして指先が何かに触れた。
 それは、なぜか、生暖かく、やわらかかった。
「ウドゥロロログルニヒラババクェェエエッ!」
『ひああぁぁあぁ――――――――――っ!?』
 心臓がのど元を通り過ぎるほど驚いた私は情けなく悲鳴を上げてこけて、その勢いで部屋の中の物が崩れ出した。さらに大きな音が響き渡り、私と桜ちゃんは完全にパニックに陥った。
 なにっ? 何? 何が起こったの? 恐い恐い恐いマジ恐いからっ!
 半狂乱で慌て泣きわめく私達。
 ごめん桜ちゃん。私に騎士役は無理だったみたい。
 マジ泣き三秒前というところまできたその時、パチッという音とともに突然部屋が明るくなり、目が痛くなった。
 声の主がスイッチを押したのだ。
 じーんと痺れるような痛みが目を攻め、
「にゃはははははは、ははっはは! ひあぁぁあ―――っだってさ! えほっ、に、にゃははは、腹痛い! 死ぬ! うぇっ」
 むせるほどに笑う耳障りな声が耳を突いてきた。
「いやー、きみたちはほんとにいい反応するネ。待ってたかいがあっタヨ」
 涙をためた目でとらえたのは私達のよく知る人物だった。むかつくぐらいによく知る奴。恐怖を超える怒りが湧き出た私は感情の赴くままにそいつを殴った。
「にぎゃっ! 鼻がっ、鼻が折れ……」
「もう……もうっ! ほんとに恐かったんだから! なにすんのよっ、なにしてんのよあんたは! ばかなのっ! あほなのっ!」
「愛ちゃんストップ! それ以上はダメっ。死んじゃうよ! あわわ、血が出てるよっ」
 桜ちゃんを愛でて喜んでいた五分前の自分もぶん殴ってやりたかった。
 二人きりの花園だと思い込んでときめいていた私はあほだ。あほの子だ。
 いや、まさか、あんなことが起こることになるなんて……誰も思わないっしょ?


「はぁっ! 出られない? なんで?」
「知らないにゃ。だって鍵閉まっちゃったんだからしかたにゃいじゃん?」
「たかにゃー先輩がやったんじゃないんですか?」
「残念ながらあっしじゃありやせんヨ。ほれこの通り部室の鍵持ってるし」
 その手には銀に光る鍵がちゃんと握られている。こいつが外から施錠することは不可能なようだ。
 さて、私達が今どのような状況にあるかを説明する前にこいつの事を説明しておきましょうか。
 私の目の前にいて、私達をいきなり脅かしたこのばかは高根先輩。通称たかにゃー。真名はばかにゃー。私達、オカルト研究会の部長だ。
 顔はいいが前髪で隠す、成績はいいがおちゃらけていて常にいたずらを考えているというかなり残念な子である。
 というか、変人だ。
 私が嫌がるという理由だけで常にうざったらしくにゃーにゃー言ってる。
 私はこいつが苦手で、大嫌いだ。
 そしてなにより、こいつは桜ちゃんに隙あらばいたずらしようとするのだ。
 もはや嫌いを通り越して憎い。
 殺すぞ♪
 と、いつも軽く注意しているのだがいっこうに態度を改めないのだ。そろそろ具体的な行動に出た方がいいのだろうか?
恐がりな桜ちゃんを無理やりオカ研に連れ込んだのもこいつで、私は桜ちゃんをこいつの魔の手から救うためにオカ研に入ったのだ。
 オカ研と言っても名ばかりだったりする。部屋には不気味なドクロも魔法円も一切存在しない。漫画が何冊か入っている本棚が一つと冷蔵庫が一つあるだけだ。
 基本的な活動は、ばかにゃーが桜ちゃんにいたずらしようとするのを私がさっそうと助けるというもの。
 はい、イミワカリマセンネ。
 いつか絶対にこんなわけ分からん部活抜け出してやる。
 話がそれた。なんでも、ばかにゃーは放課後部室から帰る前に、桜ちゃんの宿題プリントが忘れられていることに気付き、待ち伏せして脅かそうと考えたそうだ。
 私が、
「こんな夜遅くまで?」
 と言うと、
「なかなか来なくて寂しかったにゃー」
 と言う。
 桜ちゃんが、
「来なかったらどうするつもりだったんですか?」
 と言うと、
「そんときは夜中の学校で独り心霊探検ですヨ」
 と言う。
 木霊ですか、いいえ単なるばかです。
 そんなばかにゃーを正座させて説教をすること十数分後。部室を出ようと扉に手をかけた時、それは起きた。
「……はぁ。もういいわ、疲れた。桜ちゃん帰りましょ」
「やっと解放されたにゃー。いやー、足痺れて大変でしタヨ」
「お疲れ様です。たかにゃー先輩」
 ガチャリ。
『……………………』
 その音は扉から響き、そして静寂が訪れた。
 あれ? 私まだノブ回してないわよ? 
 確認のためにノブを回してみる。
 ガチャガチャ。
 ガチャガチャガチャ。
 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャッ!
 あっれ〜? 
「開かない……」
「にゃんですとっ!」
「え、え? ええええぇぇええっ!」
 という事があり、今に至るのだ。
 なぜか鍵がかかって出られなくなっってしまったのだ。
 中から鍵を開ければいいじゃん、と思うでしょう。あのね、それができれば私達もとっくにやってるわよ。
 この学校、かなり昔からあるらしくて校舎も部室棟も木造でボロボロなのだ。窓なんて大層な物はなく、四角に切り取られた壁に鉄の柵が生えているだけ。なぜか隣の部屋とは通気窓で繋がっている。こちらはただの丸い穴だ。ゆえに隣の部屋の話し声も大きければ筒抜けだ。
 ……ただし、小さい声は何があっても聞こえない。聞こえるとすれば例えば叫び声……とか? ちなみに、物音は聞こえるという不思議部屋だ。
 その上、どういう訳か部室は全て外から施錠することができても中から開けることができない仕組みになっている。
 まるで、人を閉じ込めて、逃げられないようにするかのように。
「こりゃ誰かが助けに来てくれるの待つほかないにゃ〜。明日になったら他の部の奴が来るだろうし、職員室に合鍵あるから問題ないにゃ〜」
「あるわよ! なんでそんな平然としてんのよ。こんな不気味なとこに一晩なんて絶対にいやっ!」
「おやおや〜。もしかして愛ちん……恐いのかにゃ〜。ほ〜れ、おいで〜、だきしめてあげよう」
「うぜー、ちょーうぜー。そのむかつく語尾を二度と口にできなくしてやろうか……」
「でも一晩、桜ちゃんと一緒だよ?」
「ひゃっほぅ! テンション上がってきたあぁっ!」
「そして私はそんな二人をムフフフフ。さあおいで、二人とも。お姉さんがだきしめてあげよう」
「お前は外で寝ろ。私と桜ちゃんの邪魔すんな」
「鍵閉まってるにゃー。恥ずかしがらなくてもよいヨ。可愛がってあげるにゃー」
「よーし、桜ちゃんに手出したら殺すぞ♪」
 拳に力を込めたところで桜ちゃんが天啓をお与えくださった。
「あ、あの、電話で助けを呼んだりできないんですか? 残念ながら私は家においてきてしまいましたが……」
『それだ!』
 私とばかの声が重なった。気持ち悪い。
そして同時に手を差し出しあう。
『んじゃ、携帯出して』
 息ぴったり。泣きたくなるわ。
 ていうか、なぜ貴様は持っていない。
「あっしは携帯は持たない主義ですヨ」
「ばか、超ばか、神ばか」
「なんですと! 先輩に向かってなんちゅうことを! 神様なんて照れるではないか!」
 ほめてねぇよ。
「そんじゃ、愛ちんはなんで持ってないのさ」
 バカめ、私はお前のように残念な子ではない。もちろん携帯は持ってるわよ。……電源切れのね。
『………………』
 あぁ……ばかと桜ちゃんが憐憫を込めた瞳で私を見てる……。
愛ちん、残念な子」
「ばかにゃーに言われたくないわよ! 死ね!」
「愛ちゃん……残念です」
「ぐはぁ! さ、桜ちゃんに残念って……失望したって言われた……。そ、そんなの、そんなのっ……もう生きてる意味ないじゃない! うわああああああぁぁぁぁああああああん! 死んでやるうぅぅぅぅううううぅううぅ!」
 私は廊下に出ようと走り出し、
「や、だから閉まってるにゃー」
「ぶっ!」
 おもいっきり扉とキスをした。
 初めてのキスは、鉄の味でした。


 たびたび点滅し、怪しげな光を灯す電灯は窓から入る風に揺れ、ぎぃぃと不快な音を奏でる。風は冷たく、ひんやりとした空気が足元に溜まっていく。
 時々、隣の部屋から囁き声のようなものや物音が聞こえる。猫か何かが入ったのだろうか。静寂の中の物音は、 それだけでも背筋が凍るようだった。
「これは先生方から聞いた話なんですけど。なんでもこの部室棟、昔は校則を破った生徒を罰するための懲罰室だったらしいんですよ。ですから部屋の鍵も内から開けられなくなってるとか……。
 ある日の夜、一人の生徒がいたずらを考えて実行しようとしたそうです。友達を肝試しだと騙して部屋に入るように仕向けて、鍵をかけて放置するというものでした。その生徒は友達と前日に喧嘩をしていて、ほんの腹いせのつもりでやっただけだったそうです。
 もちろん、閉じ込められた友達は出る事もできませんし、私達と違って一人ぼっちでした。懲罰室に明かりはなく、鉄格子の外には光を遮断するために布がかけてありました。
 初めは困惑が、そして徐々に恐怖が彼の心に広がっていったとしても、誰も笑うことなどできません。
 恐い恐い恐いなんでどうして暗いくらい暗いいやだ寒いどうして信じてたのに恐い恐い暗いつらい嫌だいやだいやだ痛い恐いなん冷た無理痛恐嫌どうし痛恐暗助けいでも恐だから痛無嫌んな血痛恐冷――。
 翌朝、いたずらをした生徒がどうなったか様子を見に行くと、なぜか部屋に入る事ができません。鍵は開いているのに扉がびくともしないのです。彼は中にいるだろう友達に呼びかけました。
 おーい、おーい。
 しかし、返事は返ってきません。鍵も開いているし、どうにかして外に出たんだろうか、と生徒は思いました。そして部室棟をあとにしました。
 元々喧嘩をしていたという事もあるのでしょう。彼は数日間友達を見かけなくても気にしませんでした。いえ、気にはなっても会うのを避けているのだろうと考えてあまり深くは考えなかったのです。
 一週間が経ち、変な噂が立ち始めました。それは夜の部室棟からカリカカリカリという何かをひっかく音が聞こえてくるというものでした。
 それを聞いた彼はもしやと思い、一週間ぶりに部室棟へと足を運びました。
 今度は簡単に扉が開きました。そして日の光で中の様子もはっきりと分かりました。
 部屋に入って彼が目にしたのは、壁一面から突き出した刃物と針、動きを封じるための鎖と床を貫くおびただしい数の釘。
 そして、部屋中を真っ赤に染める乾いた何かと、部屋の真ん中でぐちゃぐちゃのどろどろになった肉団子でした。
 その何かが血だと気付いたのは吐き気がする程の臭いのおかげでした。
 その肉団子が彼の友人だと気付いたのは壁を見たせいでした。
 ――、お前を、許さない。
 血で描かれたそれは歪み、かすれ、執念を感じさせるものでした。
 友人が残した自分への最期の言葉。
 それを見た生徒の思考は完全に一度真っ白になり…………」
 静寂が、ぬめっと体を包み、息さえ忘れた。
「あああああああぁぁぁぁああああああっ!」
『ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!』
 絶叫が部室内に響き渡った。あまりの恐怖と驚愕に、私ともう一人はきつく抱きしめあって臆面もなく泣き出す寸前だ。
 もう一人は誰かって? 驚くなかれ。 
 なんとばかにゃーです。愛する桜ちゃんではないのです。正直こいつと抱き合ってるとか最悪なんですけど、もう怖くて恐くてそんなことどうでもいいです。
 ほんとは桜ちゃんのやわらかい体を堪能したいところだけどそれは無理。……だって、語り部が桜ちゃんなんだもん。
「っていう話なんですけど。どうでした?」
 桜ちゃんが爽やかすぎ可愛すぎな笑顔で、ぐろすぎ怖すぎな話の感想を尋ねてくる。
 そ、そのギャップも最高だ……。
「はぁ、はぁ、いや、どうでしたって。……正直恐かったですにゃー。まさか桜ちんがこんな恐い怪談話すなんて予想外。しかも最後の叫び声めっさ恐い。今日あっし寝れないヨ?」
「ばばばばばば、ばかね。かか怪談なんだから、きょわくてあたりまえでしょう」 
 ばかにゃーは息を乱して胸を押さえている。情けない奴め。かくいう私も足ガクガクだけどなっ!
 今の私たちの状況を軽く説明しよう。部室でお泊りをすることになった私達であるが、さすがに寝るには早いし、妙にワクワクして目がさえてしまうので何かお話しようという事になったのだ。いわゆる修学旅行マジックである。
 そして定番の恋バナをしようとしたが、正直このメンバーでやっても実がないし、桜ちゃんの好きな男は私が殺しかねないので却下となった。
 そしてばかにゃーの提案で夏と言えば怪談ということで怪談大会が開かれたのだ。もちろん私も桜ちゃんも反対した。
 いや、私は平気だけど桜ちゃんが恐がると思ったから。ほんと、私は恐くなんてないんだよ? 足震えてるのも持病だから。恐かったとかないから。雰囲気に合わせて空気読んだだけだから!
 まぁ、自信満々だったばかにゃーのも私のもたいしたことなかったんだけどね。そこにきて一番期待してない、もしくは安全だと思っていた桜ちゃんの話がこれだよ。
 正直不意打ちはやばい。早く口もやばい。途中のセリフ、もはや人間に発生できるものではなかったよ。
「ちなみに、その友人さんは一人暮らしで学校もサボり気味だったから事件発覚が遅れたそうですよ」
「えっ? なに、その話マジ話なのかにゃ?」
 おいおい、いくらなんでもそれは……。
「はい、そうですよ。先生から聞いたって言ったじゃないですか」
 桜ちゃんが笑顔で断言する。……うそでしょ?
「桜ちゃん待って。最後に出てきた刃物とか針は?」
「懲罰室に入ってしばらくすると出てくる仕組みだったそうですよ。友人さんは暗闇の中、少しずつ体体を貫かれ刻まれていったという訳です。痛みで声なんて出す余裕がないほどに。……たしか、隣の部屋らしいですね。血の跡が残っているのは」
 桜ちゃんが指差す先、隣の部屋へと続く壁が、がたりと揺れたような気がした。
 想像した。どれほどの昔かは分からない。しかし、ここで一人の人間が体を刻まれて死んでいる様子を。
 ……吐き気がした。頭が痛い。
 どれほど怖かっただろう。どれほどさみしかっただろう。たった一人で、友人と三人でいる私でさえ胸が苦しくなるのに。いったい……どれだけ……。
 ばかにゃーを見ると、彼女も壁を見つめ、いつもとは違う真剣な表情をしていた。桜ちゃんはどこか申し訳なさそうな表情で、泣きそうな顔をしていた。
「っていう、私の作り話……なんですけども……。……信じちゃいましたか?」
『うそかよっ!』
 私とばかが大声で突っ込む。それが原因かは分からないが。
 ガタガタガタンッ! 
 隣の部屋から大音量で物が崩れる音が響いた。びくりと私たちは、その身を固くした。さっきの話を聞いたばかりだったので感覚が鋭くなっているのだ。
「ね、ねこ……かしら?」
「あっしのことかにゃー?」
「な、何の音でしょう?」
 私たち三人は顔を見合わせた。そう、先程から気にはなっていたのだ。妙に隣の部屋から物音がすることに。今のは猫と言うには少しでかい気もするが。
「……もしかして、桜ちんの話が実はほんとのことで幽霊が暴れてたりしてにゃー」
「やっ、やめてよ! ただでさえ、こわ……もとい、桜ちゃんが恐がってる……はずよね?」
 よく考えたらあの話は桜ちゃんの創作だ。本人が恐がる訳が、
「そそそおそそおそそんなことありえませんよっ。だ、だってああああれは私が考えたお話でえぇ」
 ないこともないらしい。あぁん、これでこそ私の愛しの桜ちゃん。怯える姿が可愛らしすぎる。
「大丈夫よ。桜ちゃん、たぶん風で物が落ちただけだわ。ほら、今日は風が強いでしょう? それに、たとえ幽霊とか出てきても私が何とかしてあげるから!」
「あ、愛ちゃん……」
 桜ちゃんが涙を目に溜めて抱きついてきた。
 や、やわらかい! あぁ……幸せだ。
「あっしもまぜてにゃー」
「もう桜ちゃんかーわーいーいー!」
「ぐえっ!」
 桜ちゃんに頬ずりしながら飛びついてきたばかを蹴飛ばす。
 ぎぎぎぎぎ……。
 ばかがぶつかった瞬間、また隣の部屋から物音がした気がした。さっきからどんどん音が大きくなってきている気がする。
 いったい、何だというのか……。
 

「それはラップ音だろうにゃー」
 ばかにゃーが冷蔵庫の中をあさりながらくぐもった声を上げる。
 その声を私と桜ちゃんはかろうじて聞き取った。それはばかが冷蔵庫の中にいて声が聞こえづらいだけが理由ではない。
 他の音がうるさいのだ。
 壁から響く音。
 床から伝わる音。
 コツコツ。ギシギシ。
 ズルズル。カサカサ。
 叩く音。こする音。囁き声のような音。
 ラップ音。
 またはポルターガイストともいう。騒がしい霊という意味の現象で、誰もいない部屋で物音がしたり、勝手に物が動いたりするのをいうそうだ。この前ネットで調べた。なんだかんだでまじめにオカ研活動している私って健気だと思わない?
 学者の中にはラップ音をポルターガイストに含めないとする者もいて、サランラップのキュッキュという音に似ていることが由来であるとする学者もいたり、いなかったり、いまそかり。ゆえにキュッキュ音でもいいと思う。かわいい。(ばかにゃー談)
 サランラップといえば電子レンジに強いやつとそうでないやつがあるのは受け攻めでいったら強い方がツンデレ攻めだと思うんだけど愛ちんはどう思う? (ばかにゃー談)
 知るかボケ。
 頭の悪い、もとい頭の腐った話をしてしまった。ばかの戯言を信じてはいけない。話半分どころか話一寸に聞いても時間がもったいないのだ。
 とにかく、今部室(正確には隣の部屋)ではずっとなにかしらの音が響いているのだ。
 いやもう何が嫌って、恐いのはもちろんだけど、時折聞こえる黒板をひっかく音が嫌。内臓を縦に引っ張られてしぼられた時の不快感があるよな。
 内臓引っ張られた事ないけど……。
 もしも桜ちゃんがコアラのようにしがみついてくれていなかったら私は今頃泣いていたかもしれない。少なくとも耳をふさいで不様に震えていたころだろう。
 実際には桜ちゃんの頭をなでなでして、だらしなくにやついているのだけど。
「あ、愛たんは、ここここ恐くないの?」
 噛んだ。愛たんって……私を悶死させるおつもりですか?
「ぜんっぜん、恐くないよ。今日は風が強いからそのせいだよ。言ったでしょ、私にまかせてって。ほら、耳を押さえて目を閉じれば大丈夫だよ。私が手握っててあげる」
「あ、ありがとう。私、恐くて泣きそうだけど……愛ちゃんがいてくれてよかったよ」
「ははは」
 ちょおぉぉかわええぇぇぇーーーーっ!
 よしよし、泣かなくても大丈夫だからね。ほんと可愛いなこの子。桜ちゃんマジ天使。恐怖とか全部吸い取ってくれてるんじゃないかな? 私今全然恐くないし。むしろ幽霊がいるなら感謝したいくらいだし。
 だがそんな二人(主に私だけだが)の幸せな時間も終わりを告げることとなる。
「しゅ〜くり〜む〜」
 ばかが冷蔵庫から何かを取り出して私たちに近づいてきた。
 なんでこいついるんだろう? 早くくたばれ。
「なんかものすっごい鋭い視線を感じる……主に愛ちんの方から……。そんなことより! なんか不思議なこと起こってる今こそ楽しも……もとい、落ち着こう! ってことでおやつが残ってたから食べないかにゃー?」
「わ、おいしそうですね。シュークリームですか?」
 暗い表情をしていた桜ちゃんが途端に目を輝かせた。
ばかのくせに……グッジョブ! でも桜ちゃんが離れていってしまった……やっぱくたばれ!
「おいしいです〜」
「はっはっは、それはよかった。……賞味期限分かんないんだけどネ」
「えぇ!」
 でも、まぁ、胸の奥に少しあった不安な気持ちは薄れきていた。
 あんなでも部長で、先輩だ。
 日常とは異なる空間に人は不安を感じる。その不安を和らげるために――私達のために、あんなふざけた行動をしているとしたら……少しはおおめに見てあげてもいいかな。
「ほれほれ、愛ちんも食べにゃさい。腹が減っては戦もできんよ。もっとも、相手がほんとに幽霊なら憑りつかれて御臨終だけどにゃー。桜ちんなんて可愛いから食べられちゃうかもおおぉぉぉっ!」
「きゃあぁぁああーーっ!」
「何やっとんじゃお前はああぁっ!」
 前言撤回。こいつ何も考えてない。
 私の感謝を返せ。
 ただシュークリームを食べた桜ちゃんが幸せそうだったので今回は許す。さて、私も食べるとするか。
 隣の部屋の音も徐々に気にならなくなってきた私はさらに載せられたシューを手に取り口に含んだ。
 私は、気付かなかったんだ。
 その様子を、ばかが嬉しそうに、にやけて眺めていることに。
 ぱくっ。
 もぐもぐ。
 もぐ…………?
 ……………………。
 ………………………………っ!
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
吐き気を押さえてトイレに直行――しようとして鍵が閉まっている事を思い出した。
「ふぉおおおおおおーーーっ!」
 辛さが脳髄を貫いて私の中心に位ちする欠損不かな大事な危ない感覚爆発してやばい痺れて痛いマジ胸えぐのど死――ああぁっ!
 私は、死んだ。


「なんっつーもんを作ってんだアンタはっ!」
「いえーい。だ〜いせ〜いこぉ〜」
「い、いえ〜い?」
 ばかが戸惑う桜ちゃんと無理やりハイタッチ。
 むかつくなんてもんじゃない。脳の血管がブチ切れていないのが不思議なほどに怒りと殺意が湧いてきていた。
 気を失っていたのは五分ほどだろうか。
 何があったのかは理解している。強すぎる衝撃は記憶が飛ぶことすら許さなかったのだ。
 ばかを信じた私がばかだった。ってややこしいな。
 とにかくあいつが作ったシューが普通のシューな訳がなかった。
 大量のからしとわさびとマスタード、そしてハバネロが、あま〜いクリームの代わりにINしていたのだ。
 名づけるならデスシューだ。人が口にしていいものじゃない。
 なにこれ、嫌がらせ?
「むろんですヨ?」
 デスシューをばかの口にIN。
「ふぉおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
 ばかが死んだ。よし、これで少しは怒りも収まった。桜ちゃんが怯えてるが、ここは仕方がないと割り切ろう。
 ふへへへ。ようやく桜ちゃんとふたりきりだぜ。
「さくらちゃ〜ん」
「ひっ!」
 桜ちゃんはなぜか顔をひきつらせて私から遠ざかる。なぜだ。私はこんなにも笑顔だというのに。
 はっ! わかった。隣の部屋のおばけが恐いんだ。
 そういえばさっきからどんどん音が大きくうるさくなってきている気がする。もはや隣で改修工事でもしてるのではないかというほどだ。
 ……気付けよ、私。
「おのれ、おばけの野郎っ。私と桜ちゃんのラブラブタイムを邪魔しおって……もう許さない! これでもくらえ!」
 すでに部室に来た当初抱いていた不安や恐怖はなくなっていた。慣れてきたというのもあるだろうが、やはり桜ちゃんという守るべき存在が、私に勇気を暮れているのだろう。
 なぜか桜ちゃんは私に怯えているようにも見えるが……。気のせい、だよな……。
 と、とにかく! 私は隣の部屋と繋がる通気窓へとデスシューをシュートした。
 デスシューは放物線を描いて、丸い穴へと吸い込まれていった。
 暫くした後、
『グゥオオォオオアァッァアアア』
 この世の物とは思えぬ声に、ビクッと体が跳ねた。
 お、おおお、怨霊っ? え? まじ?
 本物!
 ドタバタガタジタドサッ! と、暴れまわる音が続く。
 背中を冷たい汗が流れる。
 薄れ、忘れ、なくなったと思っていた恐怖心が再び蘇る。
 恐い。やっぱり、恐い。
 泣きそうな顔で抱きついてきてくれた桜ちゃんに笑いかけることもできなかった。
 私は、どこかで安心していたのだ。たかをくくっていた。
 幽霊なんていない。作り話だ。そう思って心の平静を保ってきた。隣の部屋の物音は聞き違い、もしくは単なる風の音でおばけではない、と。
 だが、しかしだ。
 その音の発生源が、人だとなぜ思わない?
 夜の、
 学校に、
 忍び込んだ、
 不審者だと、
「なんで考えなかったんだろ……」
 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!
 鍵のかかった扉を強く叩く音が響き渡った。
『あけろ……あけなさい……。早く……でてこい』
 くぐもり、しわがれた、老人のような声。
 全身を刻まれ、血を全て流せばこんな声になるだろうか。
 それとも、獲物を前にして、渇き飢える人とは、これほど醜い声を発するものなのだろうか。
 私は寝ているばかをたたき起こして、行動に出た。
 桜ちゃんの震える手が私の手を握り締める。私も、握り返した。
 二人とも、震えていた。


「はぁ、はぁっ、っは……はやく、急いでっ!」
 扉は外から開けられた。そうして私たちは部室から出る事が出来たのだ。
 外の何者かが扉を開いた瞬間、私達は全速力で走りだした。
 後ろで何か叫んでいたようだが、そんなことを気にする余裕もなかった。
 逃げる事しか考えられない。部室棟を出て、校門へと向かう。
「と、とにかく、外に出たらなんとかな……」
 突然、足元が重くなった。
 手を繋いでいた桜ちゃんとばかにゃーが私を越して、先に出た。
「愛、ちゃん?」
「ど、どしたの、あいち……」
 足に、何かがまとわりついていた。
 なんだ、これ? なに?
 それは、人の手のようで……。
『……たぁ……たぁ、す、けぇ……』
 息がかすれた怨嗟のような声。じっとりと生温かい感触が足首を包む。
 足元を見て、
 私は、
 今夜最大の絶叫を上げた。



 舞台裏


 気持ちよく寝ていたら、たたき起こされた。
 頭痛い。
 起きたら嫌なことしか思い出さないから起こさないでほしいんだが……。
 腰も痛い……。重力にやられた。…………いや関係ないか。やばい、眠い。
 寝ぼけた頭で現在の状況を確認してみよう。
 時刻は分からないが、鉄格子の向こうが暗いので夜なのだろう。場所は鉄格子が主張しているので部室棟だと分かる。ちなみに鉄道研究会だ。壁の棚いっぱいに電車の模型が並べられている。
 そして俺の名前だが……あー、なんだっけ? まだ寝ぼけてるな。まぁいいや。人間、基本的に『お前』とか『あんた』とか『きみ』とかで会話は成立する。名前なんてそのうち思い出すし、いらないだろう。
「おい」
 ほれみろ、人を呼ぶのには実は『おい』だけで十分なんだよ。
 声の主を振り返ると田中がしかめつらで立っていた。田中とはこの鉄研の部員で、特徴は……ない。
「なんだよ田中。俺は眠いんだが」
「静かにしろ。騒ぐとばれるぞ」
 静かにしろって……お前らがうるさいから俺が目覚めたんだが。
 田中の言葉に反応する者がいた。ちょうど俺を挟んで田中と対面している鈴木だ。
「別に大声でしゃべってるわけでもなし、大丈夫だよ。ってかまだ来ないだろ。暇つぶしになんかしようぜ」
 鈴木―哺乳類霊長目ヒト科。特徴は耳にピアスだ。
 どうやらこいつら夜の学校で何かやろうとしているらしい。やれやれ、何をするかは知らないが起こされた俺はいい迷惑だ。
 ぶっちゃけ暇は暇でも俺は寝たいのだ。
 さあ帰ろう。今すぐ帰ろう。こんなところにいてもいいことないよ。
「暇か……こんな話ならあるが」
 田中が語り始めた。おいおい、帰れよ。なんで俺いるんだよ。お前らだけで勝手によそでやれ。
 そうして田中が語り始めたのは、この学校の昔の話。その昔この部室棟が懲罰室として使われていたという話。一人の生徒が閉じ込められて、血だらけで発見されたという話。
 こえぇー。なんだよその話。なんで今するんだよ寝れなくなるだろうが。
「ちなみにこの話は場所はこの部屋だ」
 うおぅ! まじで寝れねえよ。完全に今の話で目がさえちまったよ。
「いやまぁ、デマなんだろうけどさ」
「いやまぁ、うそなんだけどな」
 やっぱりな。
「ちなみにこの話にはその後、死んだ生徒が恨みを晴らすために夜部室棟に残る生徒を襲う、という続きもある」
 ははは。そりゃねぇわ。昔あったって話ならまだ信憑性もあるけど、今現在継続して夜徘徊するとか。
 ないわ〜。
「よしっ! 次は俺の番だな」
 鈴木がやる気満々で告げる。あれ? これもしかして怪談大会になってる?
 俺が苦笑いを浮かべてうんざりしていると、廊下から話し声が聞こえてきた。
「しっ! どうやら来たみたいだ」
 声に反応した田中が扉に耳を寄せて、手招きする。
 なんだ? 誰が来たんだ? ってか何をするのかそろそろ教えろよ。
 廊下の向こうでの会話が聞こえてくる。
『いいのよ、桜ちゃん♪ 夜の校舎って恐いもんね? 私でいいならいくらでも頼って。何が出てきても私が守ってあげるから』
『あ、ありがとう。愛ちゃんがいてくれてほんとによかったよ』
 この声……。隣のオカ研の女子達か?
 数秒後。
『ウドゥロロログルニヒラババクェェエエッ!』
『ひああぁぁあぁ――――――――――っ!?』
 隣の部屋から叫び声が上がった。
 おいおい、何があったんだ。こんな時間に、マジで幽霊でも出たか。笑える冗談だ。
 この部室棟、通気口があるとはいえ、隣の部屋の声は聞こえづらい構造なのだ。なぜか廊下の声は筒抜けなのに……。よって彼女らの声は叫び声以外聞こえない。……七不思議の一つに入れてもいいかもしれんな。
この施設、改築される前何に使われてたんだ?
「よし。ターゲットが部屋に入った。これより、ミッション1『キーオブザヘル』を開始する」
 何をするかしらんが……名前ダセーな。いやもう痛いと言っても過言じゃねえよ。
「おい、作戦名もうちょっとなんとかならなかったのか? テンション下がるんだけど」
 鈴木が俺の心情を代弁してくれた。だよな、もう少し、なぁ?
「う、うるさいっ! 俺もどうかと思うよ! でも文句言わなかったじゃん! いまさらんなこと」
『しーっ!』
「むぐっ」
 俺と鈴木が同時に指を一本口の前に立てる。
 さっきのお返しだ。


 ミッション1『キーオブザヘル』とは隣の部屋にこっそり近づき、鍵を閉めるというものだ。
 ………………しょぼ。
 とにかく、これで隣の女子は部屋から出られなくなったわけだ。ここにきて俺もようやく二人がしようとしていたことがわかった。
 夜の学校に来る女子を閉じ込めて脅かそうとしているのだ。おおかた気になる女でもいるんだろう。
 結構陰湿なことをする。それにしても彼女らが来ることをどうやって知ったんだ?
「発案から計画、実行まで全部してくれたあいつがいなけりゃどうしようもなかったな」
「へぇ、そんな奴がいるのか」
「ああ、協力者様様だぜ」
 そいつが誰か知らないが、正直知り合いにはなりたくないな。敵に回すのはもっと嫌だ。
「よし、続いてミッション2『サウザンドノイズインフィニティ』に移行する」
「おう。でもほんとこのネーミングセンスどうにかなんねぇかな……」
「言うな。発案者がこれじゃねぇとやらねぇつったんだから、あきらめよう」
「あぁ、この作戦名もその協力者がつけたんか。その協力者すげーな」
 さて、どうやらこいつらはまだこの茶番を続けるらしい。俺は付き合ってられないので、寝れる場所を求めて部屋を出ようとした。
 ガチャ!
 なんか変な音がした。あっれ〜おかしいな。なんかこの音さっきも聞いた気がするぞ〜。おもに隣の部屋当たりで。
 おいおい、他に協力者でもいるのか。
「なんだ、今の音?」
 田中が扉に近づいてドアノブを回す。しかし、扉が開く気配はなかった。
「おい、田中、鈴木悪ふざけもいい加減にしろ。早く鍵開けろよ」
「うおっ! あかねぇ! なんでだ!」
「なんだと! 代われ! マジであかねぇ! ちょっ、なんとかしろよ!」
 無茶言いやがる。この場にいる全員部屋の中だ。壁でもぶち破らにゃ外にはでれねえよ。
 田中と鈴木は本気で驚いているようだ。ただし、小声でだ。隣の部屋に声が聞こえないようにだろう。その様子は演技には見えない。どうやら、本当に鍵が閉められたらしい。
 マジか……こんな騒がしい奴らと一晩一緒に過ごさなきゃいけないのか? 寝れないじゃん……。


 あれからいくらか経過した。隣の部屋では小さな声が聞こえてくる。内容はわからないが、計画通りなら彼女らも怪談大会を始めているらしい。
 その間やる事もないので、俺達は部屋の中で暇を持て余していた。ごろごろと寝転がってだらける。
「暇だ……」
「しりとりでもするか」
「そうだなー。じゃ俺から、リンゴ」
「ゴール」
「ルール」
「瑠璃色」
「ろ? ロック」
「んー、孔雀」
「く、くるぶし」
「しらたき。腹減った」
「キツツキ。俺さっきから最初と最後の文字同じだな……」
「俺も腹減ったー。きつねうどん」
「あ、『ん』がついた。しゅーりょー」
「はい終わり」
 …………。
 終わった瞬間、沈黙が降りた。やっぱしりとりじゃ時間は潰せても、暇は潰せない。同じ言葉で終わらせるの、なかなかむずかったぜ。
 のそり、と田中が起き上がる。
「だいたいな。お前があの女に頼んだのが悪いんだろうが!」
 いきなり小声で鈴木に怒鳴る田中。
 急にどうした? 腹でも痛いのか? 正露丸飲むか?
「なんだと……それ言うなら、もともと桜ちゃんかわえぇとか言って相談してきたてめぇが悪いだろうが!」
 鈴木も立ち上がり怒鳴り返す。だが、小声だ。
「お前こそ、愛って女に話しかけれるかもとか言ってただろうが!」
「残念でした〜。それ嘘だから。ほんとはあの女に話しかけたかっただけだから。ぶっちゃけこんないたずらに協力してるのもあいつが発案者だからだよっ!」
「うわ〜。趣味悪」
ロリコンに言われたくないな」
 どうやら退屈による苛立ちが極限まできて切れたらしい。かなり醜い争いを続けている。
 この話からするに協力者って部長さんかな。確かに性格はかなり問題ある気もするが……。
 二人はとうとう取っ組み合いのけんかを始めた。俺は被害を避けるために部屋のすみに移動。
 ぶつかったのだろう。棚の上から電車の模型が入った段ボールが落下してきた。
 ガタガタガタンッ!
 盛大に中身をぶちまけ大きな音が響く。そこはさっきまで俺がいた場所で……潰れる俺を想像して全身に鳥肌が立った。
 さすがに二人も今の音で冷静になったのか。けんかを止めた。
 やれやれ、隣の子ら、恐がってないといいが。
 ぎぎぎぎぎっ!
 バランスを崩した棚が傾いて二人を潰そうと迫った。
「あぶなっ!」 
 間一髪二人は棚を支えて大事に至らなかった。
 ふぅー……。ったく、命は大切にしろよな。


 がりがりがりと床を削り続けているため、指が痛い。おい、いつまで続ければいいんだ。
「くっ。『サウザンドノイズインフィニティ』は計画終了まで続けなくてはいけない……って言われたけど、これきついな」
 田中がこんこんと壁を小突きながら言う。
 計画終了っていつだよ。もう三十分もこうやってるぞ。
 鈴木はさっきのダンボ―ルを引きずったりそこらの物を動かしたりしている。
「あの人の言う事でも、そろそろやめたいな……。早く終了合図が出てほしいぜ」
「まったくだ。付き合わされてる俺の身にもなれ」
「愚痴言ってても終わらねぇよな……あきらめて続けようぜ」
 俺達はそうしてまた黙々と作業に戻る。
『サウザンドノイズインフィニティ』とは、簡単に言うと隣の女子がびびるように物音をたて続けるというものだった。以上。それ以外には何もしません。
 暇なのでちょいと幽霊について考えよう。隣のオカ研の部長が言ってるのを偶然聞いたのだが、幽霊というものにも種類があるらしい。
 地縛霊とか浮遊霊などの違いもあるが、もっと根本的な違いがあるそうだ。
 いわく、幽霊には触れる幽霊と触れない幽霊があるらしい。
よく漫画などでは幽霊が壁をすり抜けたりする。そういう幽霊は人に憑りついたりするタイプのもので、あれも間違いではないが、それだけではないと言う。
 幽霊の中には物体に触れる幽霊がいるそうだ。
 普通の人間と変わらない。
 ただ見えず、声も聞こえない存在。
 それは、とても寂しいと思った。
 幽霊としてこの世に残るという事は、未練があるという事だ。やりたいことがあるとか単純に生きていたいとか……大切な人に会いたいとか。
 やりたいことは、願いによっては実現することもできるかもしれない。
 でも、人に会いたい―話したいという願いだけは絶対に叶わないのだ。
 たった一人、
 たった一人でいつ終わるかも知れない第二の生を受ける。
 寂しく、悲しく。
 それが、俺が持つ幽霊の在り方だった。
 そう思うと、
「……こんな騒がしい奴らでも、いないよりいいな」
 ささやいた声は俺達が生み出す物音に混ざり、溶けて消えていった。俺自身にも聞こえずに。
 そんな、がらにもないことを言ったからだろうか?
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
隣の部屋からこの世の物とは思えない叫び声が響いてきた。な、なんだ!
『………………』
 俺達は突然の出来事にしばし固まった。ま、まさか、ほんとにお化けでもでたか?
 ひゅー……ぽとん。
 食べかけのシュークリームが落ちてきた。
『………………………………』
 先程より長い、しかし意味合いが全く異なる沈黙が俺達を包んだ。
 だれも、うごけない。
「……しゅーくりーむ、だよな?」
「……差し入れ?」
「……いや、結論を出すのは早い。なんせ隣にいるのは我らが首謀者。普通の事はしないだろう」
 …………だったらこれ、なんだよ? 
 俺はそのシューらしきものを見た。見た目はシューだ。中のクリームの色も茶色っぽいが、チョコ味だろうか。
 ただ、一言だけ言わせてくれ。
「……食べかけ」
『………………』
 おそらく、二人もわかっているだろう。
 食べかけ、ということは……あちらの女子三人の誰かが口を付けたという事だっ!
 普通、食べかけの食い物など、気持ち悪くて口にしたくもない。しかし、それが女子の食べかけだとすれば話は別だ!
 高校生男子にとって、女子の食べかけというのはそれだけでも神秘! 未知の領域だ! 何があったかは知らないが、こんなチャンスを逃す手はない!
『…………』
 自然と、手が伸びる。
 男なら、これだろう。
 俺は拳を、握り締めた。
『じゃんっ、けんっ、ぽんっっっ!』
 俺、ぐー。田中、ぱー。鈴木、ぐー。
「よっしゃあああああああああああぁぁぁっ!」
『チックショオオおおオォォオおおおおぉっ!』
『ふぉおおおおおおぉぉぉぉぉっ!』
 田中は両手を天に突き上げ歓喜し、俺と鈴木は両手を地について己の無力を嘆いた。
 隣の部屋からなんか聞こえた気がしたけどそんなことどうでもいい……。
「では、いただきます」
 田中がためらいなく、女子シューを口に入れた。
 あぁ……そんな簡単に……。
「うん、うまっ! やっぱちがうね! むぐむぐ……、むぐ……。……………………?」
 田中の様子がおかしい。笑顔が徐々に消えていき、汗が噴き出しているように見えた。
 俺と鈴木は不可解そうに田中を見る。
『グゥオオォオオアァッァアアア』
 田中は白目をむいて、全身を痙攣させて仰向けに倒れた。
 ガタガタと震えだし、呻きながら暴れている。
 その様子はまるで悪魔に憑りつかれたかのようだった。
 ドタバタガタジタドサッ!
 周りに散らばっていた模型を蹴散らして暴れまわる。
「ま、まさか、幽霊に憑りつかれたのか?」
「そんな馬鹿なことがあるか! おい、田中」
 俺は田中に呼びかけた。しかし、田中は苦しそうにもがいた後、ぱたりと全身の力を失った。
 ま、まさか、死んだか?
「た、田中!」
 鈴木が田中を揺り動かす。するとうめき声が返ってきた。よかった。どうやら生きているらしい。
 そして俺は気付く。田中のほっぺたにシューのクリームが付いていることに。
 俺は、それを指ですくい……口に含んだ。
 っ!
 何だこれは? 甘くない……いやむしろ辛い。っていうか刺激が強い。
 毒か? 毒なのか? 
 いやもうこの痛さ。
「毒だっ!」
 俺は仰向けになって倒れた。
 いや、味の感じからしからしとかわさびだとは思うんだけど……ここまできたらもはや毒と変わんないって……。
「おい、どうしたんだよっ! おい!」
 鈴木の叫び声が響く。鈴木、慌てるな。しばらく口きけないし、動けそうにないが、体に問題ないから。
 いや、あるだろ。
「返事しろよ!」
 あれ?
 そこで気付く。
 さっきから。隣の部屋が静かだ。
 そういえば、隣の部屋で、扉を叩く音がしていたような……。
 ドンッ! ドンッ! ドンッ!
 俺たちの部屋の扉が、勢いよくノックされる。
 その音に、俺も田中も飛び起きた。
 びくりと身を固めた俺達は、次に聞いた声に絶望した。
『こらっ! 今何時だと思っておる! 学生は夜間立ち入り禁止だ! どこのクラスだ!』
 その声を聴いて俺は全てを悟った。
 どうして俺達の部屋に鍵がかけられ閉じ込められたか。
 どうして隣の部屋から女子達の気配が消えたか。
 つまり、
「やっべええぇええ! 警備員に気付かれた!」
「え、え? じゃあ……あの人、高根先輩逃げたのか!」
「お前らが、騒ぎ過ぎたからだ!」
 こいつらばかか! こんなに騒いだらそら気付くわ!
 おそらく、警備員は俺達が部屋に入り、隣のオカ研の鍵を閉めた時に警邏に来たのだ。
 そして鍵が閉まっていなかったオカ研と鉄研の扉を施錠した。(いや、オカ研を閉めたのは俺達だけど)
 部屋の明かりは窓が反対側にしかないため気付かなかったのだろう。
 そして、他の場所の見回りをしていた。しかし、もう一度この近くを見回っていると騒ぎ声が聞こえてくる。様子を見に来て俺達発見、というところだろう。
 ガチャリ。
 鍵が開けられ、
 ギィイイィィ……。
 扉が開かれた。
 俺達は顔を見合わせた。
『逃げろおおおぉぉぉぉおおおおおおっ!』
 扉が開いた瞬間、俺達は体当たりするように扉を押し開けた。勢いよく開いた扉は、そのまま警備員を押し倒す。
「今だ!」
「ナイス!」
「ごめんなさい!」
「このっ、またか! 隣の部屋のガキ共と同じことを。待たんか!」
 どうやらオカ研組も強行突破したらしい。
 とっさにつられて逃げ出してしまったけど、忘れ物を取りに来たとか言えばどうにかなったんじゃね? そもそも俺別に逃げる必要ないし。
 俺達は振り返る事なく駆け続け、逃げ続けた。
 そして、俺達はとうとう前方を走るオカ研組の背中を捉えた。
「おーい! あんたら、後ろから……」
 追いついて声をかけようとした瞬間、後ろから服を思い切り掴まれた。
 見ると、警備員が田中を掴み、田中が鈴木を引っ張り、鈴木が俺の靴に引っかかっていた。
 大きなカブか! 
 俺はつんのめって倒れそうになる。
 あぶない!
 俺はとっさに手を伸ばした。
 そして、女子二人を引っ張っていた女子の足首を掴んでしまった。
 女の子が振り返り、俺と目が合う。
「……た、たすけて」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 
    裏鍵


 少女の叫び声に驚いた警備員はとっさに田中を掴んでいた手を放してしまった。
 その隙を逃す俺達ではない。全力で逃げ出した。
「なになになになんなのよ! お化けっ! 幽霊っ! もう、いやっ!」
「いてっ! 痛い、痛いって!」
「落ち着くにゃー、愛ちん。暴れてる前に逃げるべしですヨ?」
「高根先輩! いったいどうなったんすか! 俺達ずっと隣の部屋で言われた通りしてたのに」
「ばかっ! それ言ったら!」
「なに〜っ! ばかにゃー! 全部貴様のせいか!」
「ありゃ、ばれたかにゃー?」
「ふえええぇぇぇええぇん……!こわいよ〜!」
「あぁ! 桜ちゃんが泣いてる! 貴様ら全員覚悟できてんだろうな!」
「君達、ちょっと待ちなさ」
「うっさいわ、ハゲっ!」


 私は追いついてきたおっさんを蹴り飛ばした。
 どうもこのおっさんは警備員のようだ。だとしたら、さっきまで恐がってわめいていた自分が恥ずかしくなる。でも掴んできた手は、とても気味悪くて恐かったのだ。てかあの手は誰だ?
「ちっくしょおぉーっ! 私ばかじゃん! 道化じゃん! めちゃくちゃ恥ずかしい!」
「やーい。ばーか、ばーか……にゃー」
「てめぇに言われたくないわあぁあああぁ! そして語尾をとってつけるなあああぁぁあ!」
「いってぇ! 何この女。さっきから俺ばっか蹴ってるんですけど! 偶然? 怒りで手当たり次第に蹴ってるのか? どっちにしろ、今日最悪だよ! 安眠妨害された上にとばっちりばっかじゃん!」
「いたっ! なんか踏んだぞ!」
「俺もなんか当たった!」
「ほんとになんかいるんじゃないかにゃー?」
「俺だよ!」
「うわあああああああぁぁぁん! おかあさあああん! 愛ちゃああああん!」
「きっさっまっらっああああぁぁぁぁあぁ! 桜ちゃん泣かせてんじゃねェえええええええっ!」
「この女まじなんなの! 超こえぇよ! 幽霊とかめじゃねぇよ!」
「君達、待ちなさああああああああい!」
 
 
 私達は皆で並んで、駆けだした。
 警備員に怒鳴られながら俺達は学校を走り出た。
 今思うと、私達がしたことは不法侵入だ。
 それでも俺は、むしろ清々しい気持ちだった。
 私は、おもいっきり叫んで、ふざけて、楽しんだ。
 俺は、バカ騒ぎを見て、久しぶりにワクワクした。


 始め、不安だった夜の闇は、
 今は、明るい月が照らし出して、
 寂しかった静けさは、
 皆の声が満たしていって、


 だから、今日の出来事は、無駄じゃない。
 大事な大事な、宝物だ。


 六つの影が月に照らされ、浮かび上がる。
 これから先も、駆けていく。
 後ろはもう、振り返らない。