松村栄子『僕はかぐや姫』@黎明

【あらすじ】
「性」以前の澄明な精神を求めて、自らを〈僕〉と称する女子高生徒。
17歳のうつろいやすい魂とジェンダーのうっとうしさを描いて、時代の皮膚を垂直に刺す第9回「海燕」新人文学賞受賞作。
amazonより)
【感想】

 主人公である裕生は一人称として「僕」を使うが、別に男になりたいわけではない。
 ただ男だ女だとか言う以前の、作中の言葉を借りれば「性以前の透明な精神性」を守りたかった。言い換えれば、女性になることを保留しようとしている。そのために「わたし」ではなく「僕」を使っているのだ。

 しかし、同じ考えを持っていたはずの文芸部員尚子は気がついたら「僕」を捨てて他のみんなと同じ「わたし」を手に入れていた。どこにでもいる女の子になってしまったのだ。生物の授業で自分は女性なんだと教えられた時は、どこか空の彼方から自分をふさわしい場所に連れて行ってくれる存在の来訪を願った。だが、もちろんそんな空想は現実にはならない。さらには内心崇拝していた穏香に「僕」を使う理由を説明すると「女性であると認められて、初めて人間として認められるんじゃないのかな?」と指摘され、なんだ彼女もそういう事を考えるのかと落胆し、男子校の文学部員や元彼には女子高では味わうことのなかった女性としての自分を突き付けられる。こうして、じわじわと「僕」という防波堤は崩れて「わたし」へと向かっていく。

 また友人の原田は指摘する。「裕生の白痴願望って可愛い女願望だよね。いらぬ知恵を身につけると三歩下がれないもんね」。そう、裕生は他の女性のように可愛くは振舞えない。そうするにはいらぬ知識が多すぎるのだ。だからそれがコンプレックスとなり「僕」の肯定への一因となっているのだろう。裕生自身それを自覚している。

 そして文芸部の合宿の日、裕生は「僕」と決別する。否、卒業すると言ったほうが正しいか。しかしそれはリセットであっても決してマイナスではない。そこで得た「わたし」は、当時の価値観からすれば可愛げのないいらぬ知恵をつけた「わたし」だが、それは尚子や穏香とはまた違った裕生のみが持っている「わたし」なのだから。

 曖昧で未分化な精神が女性になっていく過程とその間に生まれる葛藤をうまく描いた小説だったと思う。