島田荘司『占星術殺人事件』@霧夢

―あらすじ―
1936年2月26日。二・二六事件が発生したその日、猟奇的で難解を極める事件が起きた。画家の梅沢平吉が自宅の密室状態のアトリエで殺された。そして現場に残された遺書には怪奇な内容が記されていた。

それは若い6人の処女からそれぞれの星座に合わせて体の一部分を切り取り、それらを合成して完璧な肉体を持つ女性「アゾート」を作成するというものだった。

その後、6人の姉妹が全員殺され、それぞれ頭、肩、胸、腰、大腿部、下足部が切り取られた状態で発見された…。はたしてアゾートは作成されたのか? また、アゾートはどこにあるのか? そして犯人は誰なのか? 幾多の謎は解かれることなく、占星術殺人と名づけられたこの事件はやがて迷宮入りとなった。

それから約40年後の1979年。御手洗潔は、石岡和己からこの事件のあらましを聞き珍しく興味を示した。すると文献などから事件を調査する二人のもとへ思わぬ来訪者が現れた…。
ウィキペディアより引用)

この作品を読んだのは自分が高校生の時であった。
たまたま図書館でこの本を見つけ、読み始めたのがそもそもの始まりだが、それ以前から本書に興味を抱いていたのも事実であった。
というのもこの作品は、「新本格ゴッドファーザー」「ゴッド・オブ・ミステリー」などと称される島田荘司の処女作だからである。
まあ、それだけが理由でないというのも勿論あるが、それでも興味を持って一度は読んでみたいと思った作品であった。
この作品は、あらすじよりわかるように実に猟奇的である。だが、推理小説というのは元来猟奇的なものであり、今でもその風習は少なからず残されている。
ちなみにこの作品は、あらすじからもわかるように「探偵」が事件に巻き込まれる型の作品ではなく、むしろ「安楽椅子探偵」系の小説である。
この手の小説の面白さは、探偵が語る事件の真相があたかも「本当であった」かのように聞こえることだ。探偵が事件に巻き込まれるようなタイプとは違い、探偵はあくまで第3者として依頼人等から情報を得て推理するという形式に縛られる。その情報は、もしかすると誤情報や、意図的に隠された事実などが存在する可能性も決して否定できないのに、探偵が紡ぎ出すその真相という一つの「話」は、あたかも真実であったかのように思えてしまう。(形式的に、後日談として探偵が語った真相が真実であったという情報を補完する場合も多いが、探偵が語ったその時点で目の前に犯人がいるというパターンは少なく、どうしてもそのリターンにはタイムラグが発生する)
そこが、安楽椅子探偵型の面白さであると気づいたのが、本作品である。
このシリーズは、回を重ねるごとに主人公像がどんどん変わっていくというか、肩書きやらなんやらがいつの間にか別物にすり替わっているという、後付け設定ならぬ後変設定となっているが、その辺りはあまり深く突っ込まないのがマナーなので悪しからずw
この作品は、自分が生まれる前に発表された作品であるが、今もなお名作といわれるだけあって、今読んでも面白い一作となっている。
ぜひ一読を勧めたい一冊である。