シャルル・ペロー『赤ずきん』@たゆな

【あらすじ】
 赤ずきんと呼ばれる女の子がいた。彼女はお使いを頼まれて森の向こうのおばあさんの家へと向かうが、その途

中で一匹の狼に遭い道草をする。
 狼は先回りをしておばあさんの家へ行き、家にいたおばあさんを食べてしまう。そしておばあさんの姿に成り代

わり、赤ずきんが来るのを待つ。
 赤ずきんがおばあさんの家に到着。おばあさんに化けていた狼に赤ずきんは食べられてしまう。
 満腹になった狼が寝入っていたところを通りがかった猟師が気付き、狼の腹の中から二人を助け出す。
 赤ずきんは言いつけを守らなかった自分を悔い、反省していい子になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/赤ずきん
より引用

【感想】
童話やおとぎ話にはしばしばこういった類の酷い話がある。
何が酷いかと言うと母親が酷いのである。
狼の住む危険な森を通らせることなんてあるのだろうか?
大人である読者はそうは思わないかも知れない。
それは、マイナスイオン(笑)が溢れている印象を受ける「森」という単語や、どこかコミカルな「オオカミ」に

欺されているだけである。
これを現代の日本に置き換えると、釜ヶ崎に住む父親にお弁当を届けに行くといった感じであろう。

危険を冒してまで母親の手助けをする。
これこそ美徳。
そういうことですか。

この作品で言われている、いい子というものは大人のエゴである。
上からの命令をただはいはいと聞く子は使用者側からしては、使い勝手が良い。
これに対し、私が思ういい子は危険なことは危険であると認識できる子である。
つまり物事をきちんと認知できる人間である。
前者の大人が望む人間より、私が望む人間が増えた方が社会にとって利益となるだろう。