カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』@おさひさし

土屋政雄
ハヤカワepi文庫


あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく――全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞受賞作家の新たなる代表作。(本書帯より)


感想
 この物語の著者カズオ・イシグロは日系英国人であり、英国でもっとも名誉である文学賞ブッカー賞」を受賞している。彼はかつてソーシャル・ワーカーとして働いており、その経験が著書にも生かされている。
 ことこの『わたしを離さないで』という物語は、福祉国家としての英国の裏側がデフォルメされながら描かれている。
 主人公キャシーをはじめ、ヘールシャムという「すばらしい環境」の中で育てられた子供たちには「提供」という仕事が待ち受けている。察しの良い方にはこう書いただけでそれが何の「提供」であるか容易に想像できるであろう。しかし彼らはそれをごく当然のこととして受け止めるばかりか「提供」して「使命を終える」ことを誇りにしている。それはそう育てられたからに他ならないのだが、しかしキャシーたちはある時点から自らの存在に疑問を抱き、葛藤することになる。
 物語の中には恋愛もあるし、生々しい喧嘩の描写もある。日常的なシーンはそれなりに楽しめる。しかし物語内に張り巡らされたいくつもの伏線や、それが徐々に明かされていくミステリー小説のような展開の方が気になるだろう。
 特に最後の辺りの場面は衝撃的である。大人になったキャシーとその恋人トミーはとある目的のために、かつての保護官であるエミリ先生と再会するのだが、そこでエミリ先生が語るヘールシャムの真実は、SF的な要素を含みながらも、現実味あふれる残酷なものである。もうすぐそこにそんな現実が控えているのだ、と読者は強く思わされる。読後もこの物語は強く心に残るだろう。もしかしたらもう一度最初から読み直すことになるかもしれない。

 全て言葉にしてこの物語の感想を語るのは難しいが、とにかくこの物語は非常に面白い。見かけたら是非手にとってみることをお薦めする。