上田秋成『雨月物語 浅茅が宿』@刹那

[内容]
 下総国葛飾郡真間の村に勝四郎という男がいた。生まれついての不精な性格のせいで生活が貧しくなった頃、ふとしたきっかけで京都で一儲けしようと思い立つ。そして勝四郎は、妻の宮木に次の秋には必ず帰ると固く誓い、単身京都へ上った。
 都で利益を得た勝四郎は、関東が戦乱の巷となったという噂を聞き、故郷へ向かった。しかし、途中で盗賊に襲われ、更に近江国では熱病に冒されてしまう。そして病が癒えた後もそこに滞在し続けること足掛け七年。やがて起った畿内の戦乱を機に、宮木を見捨てた後悔の念に駆られて勝四郎は帰郷を決意する。
 荒れ果てた真間に帰り着いた勝四郎は、昔と変わらない家で宮木と再会する。勝四郎は、宮木は死んだものだと思っていたので気が動顛したものの、二人は再会を深く喜び合い、共に寝た。
 夜明け頃にふと目を覚ました勝四郎は、自分が野原のように荒れた家で、一人で寝ていることに気づく。共寝していたはずの宮木を探して家中を歩くと、寝所があった所で簡素な墓を見つけた。そこに貼られていた宮木の辞世の歌を読んで初めて勝四郎は宮木の死を悟る。そして、その死の詳細を知る人を探そうと外に出ると、日が高く昇っていた。
 勝四郎は、唯一昔からここに住んでいる漆間の翁を訪ねた。そして、自分が都に上った翌年の八月十日に宮木が亡くなった経緯を具に聞く。翁は更に真間の手児女の伝説を語った。それは多くの男から思いを寄せられた手児女が、誰も傷つけたくないために入水したというものであった。翁は、勝四郎の帰りを一途に待ち続けていた宮木の心は手児女にも勝って悲しかったであろうと言って涙ぐむ。それを聞く勝四郎の悲しみは言葉に尽くせないものであった。

[感想]
 雨月物語は、中国の白話(口語体)小説や日本の古典から題材を取った怪異小説集であり、作者は上田秋成で、江戸時代中期に成立した。「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の淫」「青頭巾」「貧福論」の九編から成り、雅文に漢語を交え、簡潔流暢な文章で怪異的神秘的雰囲気を表現している。
 今回取り上げた「浅茅が宿」は、中国の明代の短編小説集『剪燈新話』の一編「愛卿伝」が典拠とされており、骨格は『今昔物語』巻二十七「人妻死後会旧天語」からとされている。また、家の荒廃の部分は『源氏物語』蓮生の未摘花の荒廃ぶりを彷彿とさせる。さらには『万葉集』や『古今和歌集』の歌を引き歌表現で組み込み、真間の手児女の伝説も書きこんでいる。こんなにも多くの典拠を持ちながら、それを感じさせない程一つの物語としてまとまっている所は本当に感嘆する。
 元々本文そのものに枕詞、序詞、歌枕といった和歌における修辞技巧が盛り込まれており、若干表現にしつこさを感じるものの、散りばめられたそれらは全く違和感なく文章になじんでいる。また、先述した引き歌は、その文脈と引き歌の歌意が見事に一致し、表現に深みを帯びさせている。どこが引き歌表現なのか探しながら読むのも面白い。
 また、妻の宮木の辞世の歌「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまで生ける命か」(貴方は約束の秋には帰ってこなかったけれど、それでもいつかは帰ってきてくれると思う自分の心にだまされて、この世に今日まで生きている命よ)も、元は藤原敦忠の歌で、三句目の「はかられて」は「慰みて」であった。この変化によって、宮木の複雑な心情をより的確に表している。自分の心に慰められるのではなく、だまされるとせざるを得ないような心情に追い込まれて尚勝四郎を待ち続けた宮木の一途さと、結局勝四郎は帰ってこなかったという恨みが入り混じり、なんともいえない悲しみと苦しみが表現された名句であると思う。
 雨月物語を含む日本の近世小説は、今の世に通じる部分が数多くあり、他の時代の作品に比べて読みやすい。だから古典文学に興味のない人でもあっさりと読むことができる。近世怪異小説最高の達成と評されるこの『雨月物語』を一度は読んでみて欲しい。