お題「やかん」「苺」「草」@三奈月かんな

 青くさい匂いが充満していた。

 日も落ち、気温は徐々に下がってきているのだが、昼に満ちた匂いがなかなかなくならない。しかし、広い草原の中ではそれから逃れることはできない。草を刈って作った小さな円の中でたき火をしつつ、時折空を見上げる。風はあまりなく、空を見る分には今夜は晴れだろう。

 ほぼむき出しの地面は少し湿っていて、服越しにその湿り気を伝えてくる。クルスは火かき棒を時々火に触れさせたり周囲を見回して暇をつぶす。夕飯後の後片づけも既に終わって、今は相方の帰りを待っているのだが、一人はやはりつまらない。だからと言って、クルスが不用意に動けば心配をかけるのは分かっているから大人しくしているしかなかった。しばらく、ぼんやりとしながら手をいたずらに動かしていると、後ろから草をかきわける音が聞こえた。

「ただいま」
「――おかえり、リリィ」

 振り向くと、待っていた相方で。その手の中で鈍い色のやかんが下げられている。ごめんなさい、川が思ったより浅くてなかなか十分な水が汲めなかったの。そう言って彼女は円の中に入ってきた。その手からやかんを受け取って、クルスは火にかける。たき火の上にわたした木の枝は少し黒ずんでいて、そろそろ別のものにしたいな、と考える。その中に茶葉をいくらか入れて、しばらく放っておく。

 本当はクルスがこういった雑用をしたいのだが、実際にやるとなるとクルスの調子が悪くなってリリィに迷惑をかけるだけ。それがもどかしく、けれどどうにもならないことだ。とは言え、不便でもそれ以上にいいこともあるのだから、クルスが不満を言うことではない。むしろ、不平を言うべきは彼女の方だろう。

 リリィはクルスの隣に腰かけて、しばらく無言でたき火を眺めていた。この時こそが一致日の中で一番平和な時間で、クルスはその静けさを甘受する。

 しかし、ぱちり、とたき火がはぜた音に、リリィは我に返って、あ、と声を出した。

「クルス、腕を出して」

 飛び跳ねるように立ち上がって荷物を取りに行く。それからクルスに命令して、荷物の中からいくつかの道具を取り出した。包帯、はさみ、薬草、液体の入った瓶……

 静かな時間は終わりだ。

 それを名残惜しく思いながらも、クルスは素直に従って、服のそでをまくり上げた。まずは右腕。手袋を外すとそこは真っ白だった。

 巻かれている包帯はほとんど白のままだったが、僅かに黄色くなっているように見えた。

 今はたき火を月と星の明かりだけで見ているうえに、クルスは色を判別するのが苦手なので厳密には判別がつかない。しかし、それを見たリリィの眉が寄ったために、クルスの思ったことは間違いではなかったらいい。

 少し痛いかもしれないけど我慢してね、と言うリリィに曖昧に笑って、クルスは腕を差し出す。今のクルスはそういった感覚が鈍くなっていると知っているはずのリリィはそれでも心配性だ。包帯を手馴れた様子で外していくリリィの表情は真剣そのものだ。

「調子が悪いところはない?」
「いや……特には」

 首を振ると、何かあったらすぐに言ってね、と言われる。あなた、鈍感なんだから、おかしくなってから治すの、大変なのよ、とも。そうするよ、と答えてクルスはリリィの作業を見守る。

 包帯のとかれた腕は土気色をしていて、表面は包帯を巻いていたのにもかかわらず乾いている。そして分かっているからだろうか、仄かに香る腐臭。夏だからか、少し強い。

 不意に、脳裏に潰れた苺のような赤が蘇った。自分の周りに広がる色と強烈な匂いとその向こうで見たこともない表情を浮かべる彼女。音のない世界。かざされる手の向こうで暖かい雫が降っている。なんのことかは分からないのに、ただ美しい……

 はやく治さないとね、と独り言のように眼前で呟かれた言葉で、意識を現実に戻された。包帯を巻きなおす手つきは手馴れたもので、茶色い皮膚が見る間に隠されていく。

 じぃ、とリリィを見ると、表情は静かなのに目だけは暗く光っていて、クルスは淡く笑った。

 このまま彼女といられるのであれば、こんな体も悪くない。