猫町「機械化されるヒト」

 第二次大戦において、アメリカのライフル銃兵の発砲率は一五から二〇パーセントだったそうだ。ライフル銃兵なんて銃を撃つ役割であるはずなのに、たったそれだけなのである。どうして発砲率がこれほどまでに低いのか。その理由はいろいろあるだろうけれど、主たる要因はとても単純なものだ。たとえ自分の命が危険にさらされる状況にあったとしても、人は人を殺したくないのである。
 この発砲率の低さに気付いた軍はそれを改善するための訓練を行った。条件反射的に人を殺させるようにしたのだ。今までは単に丸い的を撃つだけだった射撃訓練を、見た目や動作を兵士に似せた的を使い、頭に模したキャベツを撃つと中に詰めたケチャップが飛び出るようにした。これを反復することで、兵士は実戦でもまるで訓練のように、殺人であるということを意識せず、人を殺すことができるようになった。実際、ベトナム戦争での発砲率は九〇パーセントを超えた。
 軍人である僕もこの訓練を受けてきた。だから当然人を撃つことはできる。しかし今でも、その際には抵抗感を感じ、後には罪悪感も覚える。ある程度実戦を踏んできた僕でもそうなのだから、殺人が人に与える重圧とは相当なものなのだろう。

 いつもの訓練の後に、上官が今度の任務を告げた。途上国の紛争の人道的介入だそうだ。僕にとって今回の任務の今までとは違うところは、子ども兵のいる地域だということだ。僕は今まで子どもを相手にしたことはない。まがりなりにもプロだから与えられた任務は遂行できるとは思うが、一切の逡巡なしに実行できるかというとあまり自信はない。戦場では一瞬の躊躇が命取りになる。自分が死ぬことはある程度覚悟しているから構わないが、仲間に迷惑をかけることはあってはならない。そんなことを考えていると不安になってきた。僕は不安になったときはいつも医務室に行くようにしている。
 どうも僕は軍人のわりに、他の面々と比べると強健さに欠けていて、なにか心配ごとがあるとここのお世話になり、医師には顔も覚えられている。あいさつもそこそこに本題に入って相談すると、
「あー、君はまだ聞かされていないのか。今回は君たちの精神的負担を軽くするためにね、非致死性兵器の使用が許可されているんだよ」
 と医師は答えた。
 非致死性兵器というのは相手の死傷を最小限に抑えながらも無力化する兵器のことだ。それくらいは知っているけれど、実際に使用したことはないし、いったいどんなものなんだろうか。そう思って尋ねてみた。
「それがね、聞いたことないとは思うけど、ハイパーソニックサウンド、HSSを用いたものが最近発明されたんだよ」
 医師はそう言って、長々と説明し始めた。専門的な言葉を使っていたからよくわからなかったところもあるが、つまりはHSSとは超音波を使うことで円柱状の音を送ることができ、特定の人物にだけ音が聞こえるようにできるシステムだという。そして今回使用する非致死性兵器は、それを利用して平衡感覚を失わせ、頭痛や嘔吐といった症状をもたらすような音である音響弾丸を相手に発射する兵器、ということらしい。なんだかSFみたいな話だったが、彼が言うならそうなんだろう。ともかく、それなら子どもの被害も少なくなるから僕の抵抗感も薄れるだろうし、少し安心した。

 後日、その兵器を使った訓練があった。思っていたより小さくて使い勝手はよかった。操作も少し時間をかければ覚えられたが、さすがに人に向けて使うわけにはいかないので、実際に試すことはできなかった。ただHSSを利用した音楽スピーカーを持ってきてくれていたので、それを聞いてみた。それは確かに聞いていた通りの性能だった。今までの話だけでは半信半疑だったが、身をもって体験してみると確かにすごい技術で、兵器の話も信憑性が増した。
 また任務のより詳しい説明もあった。今回行く国では政府軍と反体制組織の紛争が激しくなっていて、反体制組織の横暴があまりに目に余るため、我が国が組織の鎮圧することになったそうだ。僕が受け持つ主な任務は二つで、一つ目は主要な難民キャンプの監視だ。これをしておかないと、反体制組織は兵が少なくなったとしても首謀者が生き残っていれば、キャンプを襲って子どもたちを誘拐することで、何度でも人員を補充でき、組織を再建できる。二つ目は前線での戦いだ。実際に武器を使っていないのが少し不安だが、しっかり練習してきたから大丈夫だろう。

 最初は難民キャンプの監視だった。とは言っても敵が襲ってこない限りは特にすることもない。兵士が長期間戦場に立ちっぱなしだと肉体的にも精神的にも疲労がたまるので、休息することもかねての任務なのである。ただ、ここで見た現地の人々の生活はなかなか衝撃的だった。まず村全体に悪臭が染みついていた。それもそのはずで、汚水が垂れ流しにされていた。川に流すこともできずに、汚水で水たまりができているんだからたまらない。ずっとこんなところにいたら頭がおかしくなりそうだと思ったが、しばらくすると少し慣れてきている自分に気がついて悲しくなった。それから、国が混乱しているからか警官は給料がほとんどないらしく、人々から金品を巻き上げてそれで生活しているのだという。住民たちは警官の姿が見えると、見つからないように隠れだすほどだ。また別の話だと、いつもは穀物や野菜しかない市場にめずらしく肉があったので、これはなんの肉だい、と尋ねてみたところ、だれも口を開かなかった。ふと答えが想像できて、僕は尋ねるのをやめた。さらには一四、五歳ほどの少女が売春で日々の生活費を稼いでいた。中には赤ん坊を抱えている娘もいて、普通の感覚からすれば弟か妹なんだろうが、僕は、根拠はないが彼女の子どものような気がした。
 前線では、身をかがめもせず向かってくる子どももいた。おそらく身の守り方も教わっていないんだろう。一時しのぎのために使われている少年たちを、僕は非致死性兵器で無力化してから捕虜として捕らえた。自らの兵を捨て駒として使うようなところにいるよりかはよっぽどましだろう。こうして僕は来る日も来る日も撃ち続けた。殺さざるを得なかったこともあったが、多くは捕虜にすることができた。
 ここでしばらく過ごしていると、相手組織の異常さに嫌でも気付かされた。彼らは戦争のために戦争をしているのだ。もちろん最初は何か主張があったんだろうが、戦いの中でいつしかそれは失われてしまった。今では彼らが何を求めているのか誰にもわからない。そんな彼らに子ども兵たちは素直に従っているのだが、組織は子どもたちをあくまで暴力で調教した殺人マシン程度にしか思っていないらしく、治療する医薬品がないからといって、負傷した兵士にその場でとどめを刺していた。この国は狂っている。僕はもうこんな光景は二度と見たくない。しかし捕虜として多くの子どもたちを救うために、まだまだ続けなくちゃならない。子どもたちをここの暮らしから脱出させるために、僕は戦場で戦い続けなければならない。僕はそう深く心に誓った。


 男が医務室から去っていった。彼は心配症らしく、しばしば自らここに訪れる。
「……すごいですね。ここではそんな技術が可能になっているんですか」
 まだここに配属されたばかりの私の助手が言ってきた。
「いや、HSSは現在、スピーカーへの利用ぐらいが限界だ。兵器利用なんて夢のまた夢だよ」
「え? でもさっき……」
 彼は戸惑っているようだ。無理もない。
「そうだな、このことを説明するにはまず私が何のためにここで雇われているか、ということから始めようか」
脳科学の軍事利用のため……ですよね?」
「そうだ。私はその中でも特に兵士の殺人への抵抗感の除去について研究している」
「ええ、それはわかってます」
「それで、扁桃体で発現しているスタミニンという遺伝子が恐怖と関連しているんだが、これについて実験しているときに、まったくの偶然なんだが、非常に奇妙な現象が見つかったんだ」
 彼が注目しているのを確認して、私は続ける。
「その施術を行うと、本人にとって耐えがたい事象に遭遇したとき、外面では通常の反応をしているのに、内面ではその出来事が起こっていないものとして処理するようになるんだ」
「? 不快な出来事だから忘れたいって思うのは当然のことじゃないですか?」
「違う違う。忘れたいと思った結果なら、起こった出来事を一度記憶してから忘却する、というプロセスをたどることになる。しかし実際には、被験者の脳内では顕著な忘却作用は観察されなかった。つまり被験者の内面では、最初からその出来事が起きていないということを記憶していただけなんだ。それなのに外面は施術前と変わらなかったということだよ」
 彼は少し考えて、さらに質問をしてきた。
「しかし、それだと現実と頭の中でのことに齟齬が生じますよね? それはどうなるんですか?」
「頭の中っていうのはけっこういいかげんでね、多少つじつまが合わないことがあってもなんとも思わないんだよ。たとえば夢を見たときって、起きてから思い返すと支離滅裂で意味がわからなかったりするだろう? でも夢を見ている間はたいてい違和感は感じない。それもこれと同じだよ」
 納得したんだかしていないんだかわからない顔をしつつも、彼はとりあえず話を先に進めようと思ったようで、
「それで、その話がどう関係するんです?」
 と聞いてきた。
「まあまあ、もうちょっと待て。この現象にはもう一つ特徴があって、耐えがたい事象の対処をするとき、脳に大きな負荷がかかるんだ。そのため、ある特定の状況下で強く条件づけられていれば、それと同じ状況での耐えがたい事象に対し、条件づけられた行動を無意識的に行ってしまうんだ」
「……ということは、限定的にとはいえ行動を支配できる……」
「そう。そして、この方法があれば殺人の抵抗感を払拭できる。そのためにはさっきの嘘が必要なんだ」
「どういうことです?」
「兵士に非致死性兵器だと言って、ただの銃を渡すんだよ。そうすれば、彼らは平和のために子どもたちを捕虜という形で劣悪な環境から救う夢を見ながら、平然と殺戮を繰り返すことができる。だいたい殺さずにすむわけがないんだよ。途上国の子ども兵なんてのはたいていドラッグを摂取させられていて、死ぬまで向かってくるんだ。だから兵士は人間性なんか排除して、殺人マシンに徹しさせてやったほうがいいんだ」
「……しかし、そんなことは認められないでしょう?」
「ここは君の思っているような善良な組織じゃないよ。だいたい今回の介入だって政府側につくことでうちの国にメリットがあるからやるわけだし。結局、戦争なんてのは儲けるためのもので、ある意味ビジネスチャンスなんだよ。ああそうそう、政府軍の人員を補充することも協約になっていたから、難民キャンプの監視に就いている、うちの兵士たちは片っ端から親を殺して娘を犯して息子をさらってきてると思うよ」
 私がそう言うと彼は露骨に顔をしかめた。
「おいおい、そんな顔するなよ。彼らの任務に伴う苦痛を取り去ってあげたんだから、とても倫理的な行いじゃないか。彼らには感謝されても良いくらいだよ。まあ、当の本人たちは何に感謝するのかすらわからないだろうけどね」